524 深夜の第四王子達
図書室のソファで寝ていたセイフリードは呼びかける声に気付いて目を開けた。
「坊ちゃん」
当初その呼称に対しては不満であったものの、慣れてしまったがゆえに不満を口にすることはなく、セイフリードはつぶやくような口調で返事をした。
「何だ?」
セイフリードが籠っている図書室には秘密の隠し通路がある。
図書室と隠し通路を結ぶ出入口はない。但し、会話をするための小さな穴が設けられていた。
「どうだった?」
「坊ちゃんの狙い通りだったぜ」
答えたのはネグロと呼ばれる男で、セイフリードに密かに仕える者達の一人だった。
「ロサードが対応中だとよ」
後宮に新しい側妃候補の女性リーナが入宮する。
リーナはこれまでの側妃候補とは全く違い、王太子の寵愛を受けている。また、経歴も異色だ。今は名門伯爵家の令嬢であるものの、以前は平民の元孤児。しかも、後宮で働いていた者だった。
リーナの素性調査の書類等には平民の孤児であったことも、後宮で働いていた召使であったことも、リリーナ=エーメルの名前で侍女見習いだった経歴も載っている。
そのため、後宮で働いていたからこそ、偶然王族の目に留まったのだろうと考える者達がいるかもしれない。
しかし後宮を知る者であれば、それがおかしいことに気付く。なぜなら、階級の低い者達が王族に会う機会は一切ないはずだからだ。
また、リーナの素性に関する国の調査に不備があった。王太子は側近に相応の対応と補償をするように命じた。これまでの勤務態度が非常に良かったことを評価され、リーナは特別な計らいによって王族付きになり、王太子の寵愛を得られるまでになった。
この説明に納得する者達もいるかもしれない。しかし、非常に不味い事態だと思う者達もいる。
国の調査に不備があっただけでもかなりの問題だが、身分社会であるエルグラードにおいて、貴族と思われた者が貴族ではなかったというのは大変な大問題だった。
それに加え、素性に問題があった者を厳格な採用審査が行われるはずの後宮が雇用していたことも大問題だ。
更に後宮にとって一番頭が痛いのは、国の調査に不備があったことが判明したのは、後宮華の会に起因していることだった。
リーナの素性調査は孤児院の案件に関わっているため、第二王子が責任者ということになる。直系王子の中で一番後宮に対して寛容だった王子に対し、後宮は自らの首を絞めるような行為をしてしまったに等しい。
様々な事情や思惑、今後の対応が複雑に絡み合う状況になるからこそ、後宮を裏から操ろうとする者達が、必ず入宮に絡む件で会議を開くだろうとセイフリードは考え、網を張るように指示を出していた。
「詳細はまとめて後日。郵送するってさ」
「何番だ?」
セイフリードは自分の元に情報が届く方法を様々に考案し、番号を振っていた。
「五番」
大学から配布される資料の郵送物という手段に、セイフリードは駄目出しをした。
「それは控えろ。パスカルが大学関連に自ら乗り出してきた。見破られたくない」
ほぼ外出することなく後宮に籠っているセイフリードに何かを届ける手段は限られてくる。
一つが見破られれば、似たような手段も見破られる可能性がある。
特に一般郵便物を使ったものは、郵送物全てに厳しい目が向けられ、徹底的に調べられる可能性が高い。
細かい部分は違ったとしても、郵送物という大きな共通点が知られてしまうのは非常によくないことだった。
「どうしてもというのであれば、七番にしろ」
七番もまた大学からの郵送物ではあるものの、配布資料ではない。セイフリードが提出した課題論文の郵送返却を利用した方法だった。
後宮や王族への郵送物は開封され、厳重に調べられるのが基本になる。しかし、王族であるセイフリードが書いた論文=王族の私的文書を怪しみ、細かに検分する権限はない。
「七番? 側近なら検分可能だろ? 坊ちゃんは未成年だしさ」
セイフリードは未成年であるため、王太子が後見人になっている。王太子であれば、セイフリードの私的文書を開封できる。
しかし、王太子は忙しい。セイフリードに届く郵送物を全て自分で改めることはしない。そういった権限は側近であるパスカルに任せている。
とはいえ、王族の私的文書をパスカルが綿密に確認することはなかった。
パスカルはあくまでも側近。そして、貴族。できることに限界がある。王太子と全く同じことができる身分でもなく、権限もなかった。
「二十八番でもいい」
大学内でセイフリードが主催するクラブからの送付物という手段になる。これも非常にプライベートな内容になるため、私的文書扱いにすることになっていた。
ネグロはまたも尋ねた。
「むしろ、興味を引きそうだが?」
「僕の私的文書は絶対に開封するなと言ってある。絶対に見ない」
「うまく開けて、もう一度封をするとか」
「パスカルは僕の信用を損ねるようなことはしない」
「妬けるねえ」
ネグロの口調は冗談を言いながらにやけているようなものだったが、実際はそうではない。
新参者が重用されるのは気に食わない。自分の方が長く仕えている。
そう思っていることをセイフリードは察していた。
「お前は時期を見て異動しろ」
「護衛騎士になれるのか?」
「無理に決まっている」
「つまんねーの」
ネグロは少しもつまらないとは思っていないとわかる口調で答えた。
「言っとくけど、アスールみたいなのは無理。性格的にも容姿的にも絶望的だぜ」
「アスールの容姿を知っているのか?」
セイフリードに密かに仕える者達は、互いに本来の素性がわからないようにしていた。
配下同士で会う時は顔を含めて全身を極力隠すような衣装を着用するか、変装することになっている。
「偶然、買い出し中に会っちまってね。雰囲気はまるで違ったが、目の色と口調でわかった。神官にはうってつけの容姿とはいえ、中身が大問題だっつーの」
セイフリードは話を元に戻した。
「新設通路の監視だ」
セイフリードは成人すると王宮住まいになる。そのため、王宮への隠し通路を新規開拓する計画が密かに実行されていた。
「俺はこれからも太陽を拝みにくい生活を強いられるわけか」
「嫌なら王宮警備隊でもいい」
新設される通路が見つからないようにするため、王宮警備隊に潜む役であることをネグロはすぐに理解した。
「考えとく」
「その通路は徐々に塞ぐ。お前の住処がなくなるのは時間の問題だ。引っ越すしかない」
「ずっとここに住みたいと言ったら?」
「無理です」
答えたのは新たにあらわれた人物。アスールだった。
「噂をすれば、だな」
通路に潜むアスールは自らの正体を隠すため、ネグロと同じ黒い衣装に身を包んでいた。
顔の大部分も黒い布で隠されているものの、青い瞳と冷たく鋭い口調だけは隠されることなく晒されている。
アスールはネグロの挨拶には答えず、別のことを話し出した。
「出入口は厳重に蓋をします」
「俺の部屋から専用の出入口を作ればいいだけだろう?」
「どうしてもというのであれば、部屋の換気口から大量の油を流し込み、火をつけます」
「俺はここが好きなのになあ。ずっと守って来ただけに、愛着がある」
「新しい職場と部屋を用意しています。基本はほぼ同じ。気に入るはずです」
ネグロはアスールを睨んだ。
「あっちはお前が担当していたはずだろ? 完成したのか?」
「距離が長いせいで、掘削作業に遅れがでています。貴方が住めば順調になるでしょう。監視も作業も可能です」
「まあ、俺は何でもできるからな!」
「人を殺める能力と土木作業については高く評価しています」
「お前みたいに人を騙す能力も結構あるぜ?」
アスールは眉を上げた。
「私が人を騙していると?」
「お前が本心から神官になるわけない。みんな騙されている」
アスールは迷うことなく答えた。
「私は心から神を信じています。子供の頃から私を知る者達は口を揃え、私の信心深さと慈悲深さを語ることでしょう」
「騙されているからだろう?」
「いいえ。それは本当のことだからです。ただ、今の私は子供の頃とは違います。崇めているのは神だけではありません」
「神なんているのかねえ」
アスールは冷たさを増した視線をネグロに向けた。
「不敬です」
ネグロはアスールの手が動いたのを感知した。勿論、武器を手にするためだ。
「冗談だって。職業柄、何でも疑うのがくせでよ」
そう言いながらもネグロもまた武器に手を伸ばした。
二人は水と油。決して交わらない。液体という部分がかろうじて共通しているだけに過ぎないような関係だ。
セイフリードに仕えていることは共通しても、ネグロとアスールが親しくなれる可能性はなかった。本人達にもその気がない。
「時間の無駄だ」
二人の会話に終止符を打ったのはセイフリードだった。
「アスール、用件は?」
「また被害が出ました。下位の増員が必要だと思われます」
「負傷か?」
「死亡です。ミレニアスの間者にやられました」
「俺がやる。標的を教えろ」
「ロッホが対応するそうです」
「またあいつか! 俺にもやらせろよ!」
「まだあります。資金の補充が必要です」
セイフリードは密かに抱える者達の存在を表ざたにしたくない。その者達が使用する資金をどこから調達するかということにも、慎重を期さなければならなかった。
「アマリージョに言え」
「断られました。今月は無理ですが、来月なら出せると言われました」
「金欠か?」
ネグロの言葉をセイフリードとアスールは無視した。
「ナランハに言え。僕の指示だと伝えれば出す。但し、金額は可能な限り抑えろ」
「わかりました。ですが、人員減少の問題は根本的な対策をするべきです。情報ギルドでも、他国人との取引を危惧し、一時的な取引停止を望む声が高まっています」
エルグラードの裏社会は非合法行為に溢れている。それは今も昔も変わらないが、情報のやり取りに関しては、時代ともに大きな変化を遂げてきた。
古い時代、重要な情報を集める者は密偵=違法行為をする者であり、緊急時は身を守る必要があることから殺傷能力のある武器に精通した者も多く、暗殺業を兼ねている場合も多くあった。
しかし、現在のエルグラードにおいて重要な情報を集める者は密偵でも違法行為をする者でもない場合も多く、暗殺業も兼任していない。
より多くの情報を集めるには、個人能力のある密偵兼暗殺者を大勢抱えるよりも、一般人を大いに利用するような手法が有用で成果も大きい。
その結果、世界に溢れる様々な情報を収集・分析、更に独自の調査を付加しつつ、金銭的に取引を行う情報産業が発達した。
取引はあくまでも情報と金をやり取りするだけに過ぎず、命のやり取りはしない。継続性を重視し、極力合法的。これがエルグラードの主流になる。
情報取引の際に殺人や傷害事件などの違法行為を犯す者達が増えるのは、情報産業を旧時代へと引き戻し、犯罪の温床として国からの厳しい監視と取り締まりを受け、産業の衰退につながる恐れがあるともいえた。
「情報ギルドで開かれる会議への指示もいただきたく」
セイフリードは即答しなかった。
数分後。
「ミレニアスに関しては手を打てるかもしれない。他国人との取引停止は見合わせろ。戦争がほぼ確定になれば、それを理由に停止できる。情報ギルドが率先して憎まれ役になる必要はない。むしろ、稼ぎ時だ。危険対応ができる者に担当させるか、取引場所や時間、人数調整で犯罪行為を牽制しろとでも言っておけ」
「わかりました。では、これで」
アスールは去った。しかし、ネグロは残っている。
「坊ちゃん、ミレニアスのお友達と取引するのはよくないぜ」
「それはしない」
「ローワガルンのお友達かい?」
セイフリードはうるさいやつだと思いつつも、答えを示した。
「ミレニアスの間者が活発なのは、エルグラードとの国交悪化だけが理由ではない。孤児院の不正をきっかけに、国内におけるいくつかの犯罪組織を取り締まった結果、その者達と取引していた者達が別の者達と取引をするようになった。しかし、ルールがわかっていない。ならば、ルールを教えてやればいい」
「聞いてわかるような相手じゃない気がするがなあ」
「大元が理解すれば、少しは改善する」
ネグロの頭の中に浮かんだのは、現在エルグラードに極秘滞在しているミレニアスの不良王太子だった。
「効果あるのかねえ? 坊ちゃんが直接話すのかい?」
馬鹿が! 別の者に決まっている!
心の中で罵りつつ、セイフリードは別の言葉を発した。
「寝る」
「おやすみ坊ちゃん」
ネグロはすぐに去り、セイフリードは目を閉じた。





