521 リーナからの報告
レーベルオード伯爵、パスカルの話が終わると、二人の視線はリーナに向けられた。
次はリーナが話す番であることを示していたが、リーナはなかなか言葉を口にできなかた。
しばらく無言の状態が続いたため、パスカルが優しく言葉をかけた。
「リーナも話したいことがあるはずだ。入宮するまでに色々と準備をしていると聞いたよ」
「召使達と面接していたが、何らかの結果が出たのか? それともまだ考え中なのか?」
レーベルオード伯爵からも尋ねられたリーナは、決意したように一息つくと口を開いた。
「私は……レーベルオード伯爵家の養女になれたこと、そしてウォータール・ハウスで過ごすことができて本当に良かったと思っています。心からの幸せを感じながら、日々を過ごすことができました。だからこそ、私にできることがあればと思って……以前、お父様は視察する際に閉鎖するか壊した方がいい場所があれば報告するように言われました」
リーナが視察をするのはウォータール・ハウスに問題がないかどうかを確認するためだった。
ウォータール・ハウスで催す仮面舞踏会には多くの高貴な客が来るだけでなく、一部は宿泊する。その際、問題や不具合があっては困るというのが大きな理由だったが、通常時であっても問題や不具合はないように努めなければならない。
リーナは可能な限りの場所を自身の目で見て確認した。その際、疑問に思うことがいくつもあった。
リーナは養女になったとはいえ、ウォータール・ハウスのこともレーベルオード伯爵家のこともよくわかっているとは言えない。外部の者と同じような感覚だ。
だからこそ、内部の者では気が付かないことに気付くというのはあるものの、逆に内部の者でなければわからないようなこと、レーベルオードに脈々と受け継がれてきた価値観、風潮といったものを、個人的な判断によって否定や無視をしてもいいのだろうかと思い悩んだ。
自分自身は優秀ではないと思うからこそ、自らの判断について余計に自信がなかった。
「私はずっとお掃除の仕事をしてきたので、掃除に関する判断は難しくありませんでした。でも、閉鎖をしたり壊したりというような判断は難しくて……確かに凄く大きなお屋敷なので、空いている部屋や整理すべき部屋がありましたけど、必要ないのかといえばそうでもないというか……もしかすると、後で使うことになるかもしれないですし……」
リーナは必死に自分の考えていたことを伝えようと言葉を模索した。
「お父様やお兄様は東館や西館のことで、どちらかがいらないという意見でした。でも、私はどちらも必要な気がしました。なぜかというと……外観のためです」
外観。
あまりにも単純かつ思わぬ理由にレーベルオード伯爵もパスカルも驚きの表情になった。
「グリーン・ガーデンから屋敷を眺めると、南館の左右に西館と東館が見えます。それぞれの館は別の時代に建てられたものなのに一体感があって、とても美しく調和している外観だと思います。でも、西か東のどちらかが無くなってしまうと、左右のバランスが崩れてしまいます。片側の空間がぽっかりと空いてしまう景色を想像すると、今のままがいいのではないかと思いました」
レーベルオード伯爵とパスカルは互いに東館と西館のことを使用状況、設備、個人的感情などといったことから判断し、必要か不必要かを判断していた。
しかし、リーナが気にしたのは二人とは全く違う視点、南館も含めたウォータール・ハウスとしての外観や庭と調和するような景観の美しさを損なわないかどうかだった。
「……リーナは凄いな。僕は全然思いつかなかった」
パスカルは純粋に溢れる驚きを抑えきれないといった表情でそう言った。
「それはいつ気が付いたのかな? 部屋で? それとも散歩の時かな? もしかして、誰かがそのようなことを言っていた?」
「散歩の時です」
リーナは正直に答えつつ、更に説明を続けた。
「ウォータール・ハウスに来た時、私はあまりにも凄いお屋敷なので、ハウスではなくパレスだと感じました。マリウスや屋敷の者達から話を聞けば聞くほど、由緒あるレーベルオード伯爵家の屋敷に相応しいのだろうと思いました。貴族は立派な屋敷を建てて、自分が凄い貴族であることを示すといったことが書かれた本も読みました。なので、余計にウォータール・ハウスの凄さが減ってしまうようなことはしない方がいいと思ったのです。どうしてもというのであれば、取り壊しではなくて閉鎖にすればいいような気がしました。でも、使わない部屋が多くあるのは勿体ないかもしれません。そこで」
リーナは父親と兄の様子を伺うように、言葉をゆっくりと発した。
「別の利用方法をする、とか。あくまでも例えばですけれど……ウォータール・ハウスの警備隊のものとして使用するのはどうでしょうか?」
「警備隊の本部を移動させるということか?」
ウォータール・ハウスの警備隊本部は敷地内にある建物の一つに置かれている。但し、その建物はウォータール・ハウスの近くではなく、敷地の外周寄りだった。
「ウォータール・ハウスができた頃は、屋敷の護衛達が住む住居や厩舎が東側にあったそうです。でも、東館を増築する時に古くなった厩舎と護衛隊の住居が取り壊され、別の場所に移動したと聞きました」
古い時代、貴族は自分の屋敷や領地と往復する際に必要な大勢の護衛を雇っていた。そのため、屋敷の側には護衛達が住む専用の住居が整えられていた。
やがて、国内の治安が良くなり、貴族に大きな軍事力を持たせないような方針を国王が打ち出すことで、護衛数が減少。また、領地や遠方との行き来が盛んになることで訪れる者が増え、客が宿泊する場所を整える必要性が増していった。
ウォータール・ハウスが何度も増築されたのは、単に巨大な屋敷を作るためというよりは、時代の変化や必要とされる需要に応えるためだった。
「現在はウォータールが王都に取り込まれ、ホテルなどの宿泊施設が整っていることから、屋敷に宿泊する客は非常に少なくなりました。だったら、東館をまた警備の者達の場所として利用すればいいと思ったのです」
リーナは話してしまったことで気が楽になり、次々と言葉が出てくるようになった。
「それに警備隊の寮はかなり古いのに予算がなくて、結構可哀想だというような意見を聞きました。お風呂は共同浴場が一つだけ。壊れると修理の間は使えません。早く身支度するためにシャワーの利用をしたくても、数がとても少ないので順番待ちは常時、待てない者は浴槽のお湯をかぶるだけとか。東館は客間にシャワーを備えた浴室が沢山あるので、警備の者達が喜ぶと思いました」
わからないことは聞いたり調べたりすればいい。そこに答え、あるいはヒントが見つかるかもしれない。だからこそ、リーナはできるだけ様々な職種や年齢の者達から意見を聞くようにした。
そして、召使の住む場所についての問題であれば、召使達自身がどう思うのか、その意見を知ることが大事だと考えた。
「西館は何度も修繕されているので、召使達の不満は高くなさそうです。ただ、家族で住み込みをする者達から要望が色々とありました」
レーベルオード伯爵家には代々仕えている者達が多くいるため、家族で住み込みをする者達が大勢いる。
「子供が成人した場合は独立した雇用者としての個室をすぐに割り振って欲しい。保育室が狭いので広い部屋にして欲しい。知育玩具を共用備品として充実させて欲しい。学生専用の勉強室が欲しいという意見もありました。様々な要望があったので、もう一度見直してから提出しようと思ったのですが、いつもより夕食が早かったので時間がありませんでした。後で提出したいと思っているのですけど」
リーナは報告書を書いてはいたが、そのまま提出する自信がなかった。夕食前に見直し、夕食後に渡せるようにするつもりだったが、夕食の時間がずれてしまったために見直しができていなかった。
「東館も西館も取り壊すことなく、より有効な使用方法ができるような改善と工夫をすることで無駄をなくし、経費を節減する方法を模索する。また、利用者の意見を尊重し、改善に盛り込むことで待遇を充実させるという内容になると思います。なので、お父様とお兄様の方で検討して頂けると嬉しいです」
リーナの説明を聞いたレーベルオード伯爵とパスカルはまたもや気が付いた。
二人は召使達への配慮をしているつもりではいたものの、それはあくまでも自分達にとって都合のいい範囲内だ。召使達が実際にどう思っているのか、その意見を聞いて屋敷を改善しようと思っていたわけではない。
屋敷はレーベルオード伯爵家のものだ。当主や跡継ぎ、あるいは雇用者としての立場は召使達にとって圧倒的なものになる。二人がわざわざ召使達の意見を収集し、尊重する方向で何事も決めなければならないというわけではない。
しかし、召使達への配慮をするのであれば、リーナのように召使達の意見に耳を傾けるという方法こそが正当かつ誠実なものだと感じた。
「報告書を見るのがとても楽しみだ。この件については代々の当主がウォータール・ハウスの有用性や利便性のみならず、より美しく素晴らしい屋敷にしようと考えながら守り続けて来たことを重視し、建物を取り壊さない方向での対処を検討する」
「僕も賛成です」
父親と兄は互いが主張を取り下げ、リーナが懸命に考えた内容や方向性での解決を目指すことにした。
それはレーベルオード伯爵家の家族全員で考え、意見を出し合い、よりよい解決を目指すということだった。





