519 家族の夜
子供達の帰還を待ちわびていた父親の命令により、夕食は早い時間から通常よりも早く始まった。
その際は誰もが饒舌で、食事が終わる時間が予定よりも遅めになるほど会話が豊富だった。
夕食が終わると、リーナは父親と兄と共に部屋を移動することになった。
レーベルオード伯爵は東棟に向かったため、リーナは自分の部屋で過ごすのかもしれないと推測した。しかし、その予想は見事にはずれた。
「今夜はここで過ごす」
レーベルオード伯爵が向かったのはリーナとパスカルの母親であるリリアーナが使用していた部屋、伯爵夫人の居間と呼ばれる部屋だった。
父親の選択にリーナだけでなくパスカルも驚いたものの、特に何かをいうこともなく、ソファに座った。
「まずは私から話がある」
どんな話なのかとリーナは身構えた。
「ここにいるのは家族だけだ。だからこそ、口にする。王太子殿下に見初められたとはいえ、そのお考えを全て知ることはできない。レーベルオード伯爵家にとって都合の悪いこと、リーナに負担がかかることなどは言わないだろう。それを我慢するのが忠義だという者もいるが、私は家族が不幸にならないような道を模索したい。入宮するとはいっても、正式に側妃として迎えられたわけではない。候補だ。嫌なこと辛いこと悲しいことがあれば、我慢せずに私やパスカルに伝えるように。リーナが我慢することなく、幸せになれる方法を考える。これは父親からの厳命だ」
レーベルオード伯爵の口調は力強い。命令という形ではあるものの、父親としてリーナを支えようとする気持ちが込められていることが明らかだった。
「まだある。今回の入宮は婚姻ではない。王族の妻になるための教育を受ける全寮制の学校へ入学するようなものだ」
「学校ですか?」
リーナは父親の発した言葉に驚いた。
「だからこそ、入学金や寮費のようなものとしての入宮代が必要になる。お前の場合は王太子殿下の希望による入学のため、王太子殿下が支払う。学費と寮費を全面的に免除された特待生のようなものだ。リーナは初めて学校に入るため、わからないことが多くあるだろう。だが、恥じることはない。わからないからこそ学びに行くのだ。そうだな?」
「はい!」
リーナは力強く返事をした。
「私、明日から学校に行くのですね! 全然そんな風に思っていませんでした!」
「場合によっては、友人ができる可能性もある」
「えっ! 友人が?」
リーナは更に驚くしかない。
後宮にいる側妃候補は王族の妻になることを目指している。それはつまり、競い合う相手ばかりということだ。友人ができるという考えは、露ほども思いつかなかった。
「でも、他の方々とは競争相手というか、友人になるのは難しい気が……」
「それは違う」
レーベルオード伯爵ははっきりと否定した。
「後宮には第二、第三王子の側妃候補もいる。そういった者達は元々競争相手ではない。また、お前はすでに王太子殿下の寵愛を受け、妻になることも内定している。つまり、王太子殿下の側妃になるための競争や審査はすでに終わり、勝敗が確定している。お前以外の候補は全員失格、敗者だ」
リーナはこれから後宮で他の候補者達に負けないように努力しなければ、クオンの妻として認められないと思っていた。
しかし、父親はすでに勝負はついており、他の者達が敗者だと口にした。
父親を信頼し、その判断に間違いはないだろうと思うからこそ、リーナはその言葉に驚き、困惑するしかなかった。
「本来であれば、敗者は退宮すべきだろう。しかし、入宮は学校への入学のようなものだと説明した。つまり、退宮は退学ということになる。貴族であるがゆえに、自主退学は不名誉だと感じてしまい、身を引きたがらない。国王陛下も候補達の不名誉な評価、今後の立場が悪くなる可能性があることをわかっているだけに、強制退学をなかなか命じない。その結果、体裁ばかりを気にし、無駄に高い授業料を払い続けながら学校に留まり続ける留年組の生徒がいるだけだ。勝者のお前とは比べるまでもない。気にする必要はまったくないのだ」
父親が真面目な表情で説明している様子を見ていたパスカルは、できるだけ冷静な表情をしようと努めていた。しかし、内心では父親の説明に大笑いをしていた。
「学校は友人を作る場でもある。だが、お前自身と友人になりたいのではなく、王太子殿下の寵愛されている者と友人になりたいと思うような者もいるだろう。そのような者と友人になるのは好ましくないが、見分けるのも難しい。だからこそ、まずは父親である私や兄であるパスカルに相談し、どのような判断をするのか聞くのだ。決して自分だけで友人にしてはいけない。父親や王太子殿下の許可がないと友人は作れないと答えるのだ」
「お父様や王太子殿下の許可がないと、私は友人が作れないのですか?」
リーナは友人を作ることに許可がいるという認識がなかったため、更に驚いた。
「今の状況ではそうなる。はっきりいうと、王太子殿下の寵愛を受けるお前と友人になりたい者達が大勢いる。レーベルオード伯爵令嬢であり、王太子殿下の寵愛を受ける者としての立場は決して軽いものではない。友人は慎重に選ばなければならないのだが、お前には難しいかもしれない。だからこそ、私やパスカル、王太子殿下が代わりに判断する。わかったな?」
「わかりました」
リーナはしっかりと頷いた。
「全寮制だけに、家族とは頻繁に会えない。外部への外出も難しい。だが、不可能ではない。外出することや実家に戻ることも可能だ」
後宮という言葉は非常に閉ざされた場所というイメージがある。しかし、実際に後宮という場所を別の視点で見ると、そのイメージは覆る。
「そもそも、後宮はとても広い。敷地の中には複数の建物や庭園がある。購買部のように買い物をできるような場所もある。どこでも自由に出入りできるわけではないものの、普通の貴族の屋敷よりも広い空間で過ごすことができる。そのことは、後宮で働いていたお前の方がよく知っているかもしれない」
リーナは頷きつつも、レーベルオード伯爵家の屋敷であるウォータール・ハウスは決して普通の貴族の屋敷ではないと、心の中で思った。
「後宮は王宮の一部になる。そのため、外出先が王宮である場合は許可が貰いやすい。王宮で行われる公式行事や夜会等への出席、王宮敷地内にある王立歌劇場での観劇は問題ない。それ以外にも、王宮敷地内にある美術館、植物園、果樹園、菜園、庭園等についても、比較的許可が出やすいと聞いている」
「王宮には果樹園や菜園もあるのですか?」
リーナは王宮に様々な施設があるとは思っていたものの、果樹園や菜園などがあるということを聞いたことはなかった。
「庭園の中には国内の植物、農業品種を集めたような場所があってね。それが植物園、果樹園や菜園になっている。他国から贈られた珍しい植物もあるよ」
パスカルが簡単に説明を付け加えると、リーナの様子はみるみる変化した。
「見てみたいです!」
「美しい花々もある。王宮植物園にしかない特別な品種もある」
「そうなのですね」
「果樹園で取れた新鮮な果物を食べることもできる」
リーナは父親の説明に表情を変えた。
「王宮の果樹園で取れた果物なのに、食べることができるのですか?」
「できる」
「もしかして……有料ですか?」
「無料だ。元々、そこで収穫されるものは王宮で消費されている。果樹園に入る許可さえ貰えばいい」
「誰に貰うのですか? 国王陛下ですか?」
「果樹園を管理している者の許可を貰えばいいのだが、王太子殿下の許可を貰えば間違いないだろう」
「今度、聞いてみます!」
花よりも果物か。
父親と兄は揃って苦笑した。





