507 おかしい評価
夕食の後、リーナはミネットを自分の私室に招いた。
リーナはミネットと二人だけで話すことを希望したが、ミネットはレーベルオードに来たばかりになるため、部屋付きの侍女達が部屋の中に待機することになった。
つまり、秘密の話はできない状態だ。
しかし、リーナはそれでも構わなかった。
「早速ですが、ミネットに話があります」
「わかっております」
ミネットは前置きする必要はないと感じた。
「これから話すことや見せるものについては秘密にして欲しいのです。大丈夫ですか?」
「はっきり申し上げますと、どのような秘密かによります。非常に問題があるようなことですと、兄や父上に報告しなければならないかもしれません」
「そういった問題ではないのですが、私にとっては問題です」
リーナはため息をついた。
「実は、私は今週の土曜日に王太子殿下の側妃候補として入宮することになっています。ここで過ごせるのは金曜まで。土曜は早起きして、午前中には王宮に行かなければなりません。ですので、それまでに入宮の準備をする必要があります。入宮自体の準備はお兄様やお父様がしてくれているのですが、私も色々と準備をしていて……」
リーナはそう言うと立ち上がり、部屋に置かれた戸棚の所まで行った。そして、戸棚から刺繍をしている最中のハンカチを取り出した。
「私は刺繍が得意ではありません。でも、お嫁に行く時はハンカチに刺繍をして渡すものだと聞いたことがあるので、ハンカチに刺繍をしてみたのです。でも、この程度しかできません。部屋付きの侍女達は皆優しいので、大丈夫だと言ってくれます。でも、私は自分に才能がないのを知っています。だから、ミネットに冷静な判断をして欲しいのです。これはお父様やお兄様へ贈る品にしても大丈夫だと思いますか?」
リーナがミネットに依頼したのは、自分の刺繍したハンカチの品定めだった。
リーナの側にいる侍女達は、賢明に刺繍をする姿を見ているため、大丈夫だ、喜んでくれる、込められた気持ちが大切だと口々にリーナを励ました。
しかし、リーナは侍女達の言葉を聞くほど不安になった。
信頼していないわけではない。だが、納得もできなかった。
そこで、あえて自分のことをよく知らないミネットの方が公正な判断をでき、その言葉に納得できるのではないかと考えた。
「手に取って見てもいいでしょうか?」
「勿論です」
リーナはミネットにハンカチを渡した。
ミネットはハンカチや刺繍をじっくりと検分した後、言葉を発した。
「はっきりと申し上げてもいいのでしょうか?」
「はっきり言って下さい」
リーナは緊張した面持ちでそう言った。
「では、申し上げます。リーナ様は刺繍が得意ではないとおっしゃられましたが、リーナ様のような身分の高い者はほとんど刺繍をしません。そういった慣習は自分で刺繍をするようなさほど身分の高くない者達のものでしょう。ですので、リーナ様は刺繍をしたハンカチを渡さなければならないわけではないのです。ご自身が用意されたものに納得できないようであれば、渡さなければいいのではないでしょうか? または、別の品に変えても問題ありません。そもそも、側妃候補としての入宮は婚姻するわけではないので、嫁入りとは違います。正確に言えば、婚姻や嫁入りを目指すために試験を受けに行くようなもの、あるいは学校に通うようなものではないかと個人的には思えます。以上です」
リーナはミネットの言葉をじっくりと考えた。
リーナのイメージでは、お嫁に行くというのは婚姻するために家を離れるということだ。
確かに側妃候補としての入宮は婚姻とは違う。しかし、内密ではあるものの、クオンの妻になる申し出を受けている。いずれは妻になるために家を離れるという意味では、婚姻するために離れるという状況に近い気がした。
また、後宮からはよほどのことがない限り、外出できない。つまり、この屋敷にまた戻れるのかわからない。側妃候補として入宮したまま側妃になれば、屋敷に戻ることはない。
そういったことから、家を離れる時に渡すべき品となると、入宮する前ではないかとリーナは思った。
ところがミネットの意見によると、刺繍したハンカチを渡さなければならない状況ではないため、無理に渡すことはない。渡すとしても別の品に変えてもいいという。
「……ミネットは正直に教えてくれたのだと思います。でも、刺繍したハンカチを渡すかどうかについての意見です。私が聞きたいのは、刺繍の出来栄えのことなのです」
ミネットは内心ため息をついた。
知りたいことが刺繍を渡すかどうかではなく、刺繍の出来栄えの良し悪し、贈る品として問題ないかだということはわかっている。
しかし、答えにくかった。
だからこそ、はぐらかすように別のことを言ったわけだが、誤魔化すことができなかった。
「では、刺繍の出来栄えについてもはっきりと言うべきだということでしょうか?」
「覚悟はしています。なので、はっきり遠慮なく言って下さい。とても厳しい意見でも構いません!」
リーナは真剣な表情でミネットを見つめた。
そんな表情をされると余計に言いにくいのだけど。
ミネットはそう思いつつも、感想を口にした。
「では、申し上げます。見た瞬間、非常に驚きました。なぜなら、意外に思ったからです。この刺繍のデザインや色はリーナ様が考えられたのでしょうか?」
「そうです」
リーナは頷いた。
「このデザインでは駄目ということでしょうか?」
駄目だと言いたい気持ちを抑え、ミネットは冷静な口調で答えた。
「リーナ様は刺繍について学ばれてないのではないかと思いました。なぜなら、ハンカチへの刺繍は右下が基本です。ハンカチを折り畳んでも自分の刺繍した部分が見えるような位置、つまりは右下に施すものなのです。ですが、リーナ様はハンカチの中央に刺繍されています。これでは折りたたんだ時、少ししか柄が見えません。しかも、一部だけなのでどのような柄かわかりにくく、おかしく見えます」
リーナはハンカチの中央に刺繍を施した。刺繍する場所の基本が右下だということであれば、常識から外れている。
折りたたむと柄の一部しか見えなくなるため、何が刺繍されているのかがわかりにくくなってしまうのもわかる。
「次に、花を刺繍するというのはよくあります。レーベルオードをあらわすスズランの花にしたというのはとても良い選択であり、いかにも常識的な選択です。しかし、スズランの花の刺繍をするのであれば、スズランという花を全体的に感じるデザインにするのが基本になります。つまり、一輪です。釣り鐘状の花がいくつかついた部分と茎、葉などを含めたものですが、リーナ様は釣り鐘状の花を一つだけを刺繍しています。しかも、スズランとは思えないほどの大きさです。何も知らない者が見ると、スズランには見えないと思います。上下を逆さにすると、チューリップのように思うかもしれません」
リーナはため息をついた。
刺繍が得意ではないことから、リーナはどうすればそれを補えるのか考えたつもりだった。とにかく、単純な形で数が少ない方が刺繍しやすいと思い、スズランの花の部分、釣り鐘状の小さな花を一つだけ刺繍することにした。
とても小さな花のままでは目立たないため、大きなものにすることでカバーしたつもりだった。しかし、大きくしたことや、花の一つだけを刺繍したのはスズランらしく見えないため、おかしいと判断されてしまった。





