502 父から息子へ
「母上は息子の幸せよりも、元平民の孤児である女性の幸せを優先するのか?」
無論、そうではない。息子の幸せが最優先だ。しかし、息子が望むのは元平民の孤児を妻にすることだった。
それでは幸せになれない。なぜ、そのことがわからないのかと母親は思うしかない。
「そうではありません。息子の幸せを願うからこその意見です。決して王妃としての意見だけではありません」
クオンは待ち望んでいた言葉を得た。
「母親として息子の幸せを望むのであれば、私の考える幸せを否定するのではなく、理解しようと努めて欲しい。母上が喜び、多くの者達が誉めそやすような相手を妻にしても、私自身が幸せを感じなければ苦しみでしかない。愛する女性を他の男性と婚姻させるなどもっての外だ。妻にすると決めた以上、黄金の塔に住まわせてでも、一生私だけのものにする」
クオンは母親に自分の気持ちをしっかりと伝えたかった。
母親の望むことと自分の望むことは違う。そして、母親が幸せだと思うことは、息子にとって幸せどころか苦しみでしかないことを。
そのために、クオンは黄金の塔を使用することまで持ち出した。
勿論、これはただの脅しだ。リーナを黄金の塔に一生監禁するつもりはない。監禁するのであれば、むしろ邪魔な母親の方だとさえ思う。
黄金の塔には忌まわしいイメージがある。
その言葉が両親に対し、強い影響を与えることは十分見越していた。
「私の幸せは愛する女性を妻にして子供を作り、愛情に溢れた温かい家庭を築くことだ。王太子の責務との両立はできないというのであれば、王太子の座を降りてもいい。私には優秀な弟達が三人もいる。誰が王太子になってもやっていけるだろう。エゼルバードとレイフィールは王になりたがらないが、別の者が王になった場合には、できる限り支えてくれると言っている。セイフリードは私が幸せになるためであれば、自分が王太子になっても構わないと言ってくれた。私は弟達の言葉がとても嬉しく、心強いと感じた」
無理だ。
父親も母親も即座にそう思った。
最も王太子、次代の王にふさわしいのはクルヴェリオンだ。他の王子達は確かに優秀、知能が高いかもしれないが、行く末が不安だった。
興味がないことには関わりたがらない気ままな第二王子。
自身の正義を押し通そうとする第三王子。
知能は高くても、自らの世界に籠りがちで暴君と呼ばれる第四王子。
弟達が結束しているのは、クルヴェリオンがいるからだ。
クルヴェリオンがいなくなれば、三人の結束は崩れ去る。互いの主張を正当化し、争うことは目に見えていた。
クルヴェリオンが黄金の塔を持ち出すほど強く深く女性を愛し、王太子の座をかけてでも妻にしたいというのであれば、どう考えても勝負はついていた。
王太子が寵愛する女性を黄金の塔に住まわせているとわかれば、王太子の評価は急激に下がる。
例え、女性が酷い扱いをされているわけでもなく、幸せな日々を過ごしていたのだとしても、黄金の塔のイメージが多くの者達に悪い印象を与えてしまうのだ。
認めるしかない。但し、側妃だ。
両親の結論がようやくクオンの要望に近づいた。
「どうしても私に王太子という重い責務をこなして欲しいのであれば、愛する女性を妻にするという対価が欲しい。愛する妻と子供のためにも、良き夫であり父親、そして国民にとっても良き王、統治者になるための努力をする。それでも反対するのであれば、私は苦しい立場になり、今後どうするかの選択が非常に限られてくる。その中に、愛する者を妻にすることを諦めるという選択はない。私が信念にしていることだ。この信念を失うことは未来を失うことと同じだ」
息子の決意は相当な覚悟を伴っていた。
両親は息子に苦労をさせたくない。だが、息子が望むのは苦労してでも、欲しいものを手に入れること、愛する女性を妻にすることだった。
これ以上対立しては、親子どころか王家が分断されてしまう。
その危機感が、国王と王妃の胸に忍び寄った。
「私は昨夜、レーベルオード伯爵令嬢に王太子として入宮するようにと伝えた。許可が欲しい。当然、貰えると思っている。違うのであれば、はっきりと言って欲しい。私は両親と決別する道を覚悟する」
即刻、父親が答えた。
「入宮を許可する。但し、側妃候補だ。まずは側妃にふさわしい女性かを見極め、あまりふさわしくないということであれば、ふさわしくなるように教育する。それでも駄目だということになれば、多くの者達が反対するだろう。それを抑えるのは王太子の役目、お前の手腕次第だ。見事困難を克服することができれば、お前は望むべきものを手にすることができる。それでいいな?」
「それでいい」
クオンは頷いた。
「王妃もこの件に関しては言いたいことがあるだろう。だが、国王の決定に従うように。母親として息子の幸せを考えるのであれば、まずは息子のしたいようにさせるべきだ。クルヴェリオンはもう子供ではない。立派な大人だ。両親の支えがなくてもやっていける。そのように育てた。父親も母親も息子を心から愛し、信頼している。だからこそ、息子が自らの力で問題を解決し、望む未来を手にするための挑戦をしたいというのであれば、それを認めるべきだろう。わかったな?」
「……わかりました」
これ以上クルヴェリオンの冷静さを失わせるようなことはできない。ここは陛下の言う通り試させればいい。そうすれば、いかに無謀かつ困難なことを望んでいるのか実感するはず。
王妃は心の中でそう考えたからこそ、了承した。しかし、どのような結果であれ、王妃が了承したのは事実だ。
クオンが勝利した。そして、その勝利は国王の決定という言葉を発した父親のおかげだった。
「父上が国王の力を使ってまで示してくれた私への深い愛情に心から感謝する」
「私はハーヴェリオンというただ一人の男性だ。父親として振る舞いたいが、国王であるがゆえに難しいこともある。自らの無力さを感じることが何度もあった。だが、国王だからこそできることもある。私は歳を取った。いずれはこの世を去る。だからこそ、本当に大切なことは生きているうちに伝えておきたい。人にとって愛はかけがいのない尊いものだ。国王も王太子も人だ。愛を大切にして悪いことなどない。愛する者を妻にすることは、人として正しい選択だと私は思っている」
息子は頷き、笑みを浮かべた。その笑みを見た父親もまた笑みを浮かべた。
ただ一人、笑みを浮かべることができない女性がいた。母親だ。
クラーベルは愛している男性と結婚したわけではない。絶対の忠誠を誓う者と愛する国のために自らの生涯を捧げた。
クラーベルは息子を産んだ。
愛していない者との子供だったが、クラーベルは自分の産んだ子供に愛を感じた。そして、決意した。
どんなことをしてでも息子を王にする。誰よりも賢く、強く、絶対的な王に。そして、息子は愛する祖国を守り、繁栄させ、偉大なる王として歴史に名を遺す。
母親は懸命に考えていた。自らの決意、願いを叶えるためにこれから何をすべきかを。
クオンの行動は早かった。すぐに必要書類を揃え、承認するための署名と印を父親からだけでなく、母親からも貰った。宰相からの承認印はとっくに手に入れている。
これで、王太子の判断を覆すことができる者は一人もいない。
クオンは執務室に戻ると、側近達を招集した。
「レーベルオード伯爵令嬢を入宮させる。国王と王妃の了承は貰った。署名と印もある。これで必要なものは揃った。手はずを整え、関係者への正式な通達をするように」
ついにこの命令が来たかと側近達は思いながら、険しくも新しい道を切り開いた王太子の強さを心から賞賛し、自分達が支えて行かなければと改めて決意した。
そして、日曜出勤をしていたレーベルオード伯爵は王太子に呼び出され、娘であるリーナ=レーベルオードを側妃候補として入宮させるようにという命令と正式な書類を受け取った。
リーナの入宮日は次の土曜日だった。





