501 親子の日曜日
日曜日。
クオンは朝から国王の執務室にいた。
父親と話すつもりではいたものの、母親が同席していることにクオンは眉を上げた。
「大変素晴らしい音楽会だったそうだな。父親だというのに、息子が開いた催しに招待されなかったのは非常に残念だ」
父親の言葉は嫌味から始まった。しかし、息子は冷静に返した。
「デートに両親を招待するわけがない。女性に余計なプレッシャーを与え、緊張させてしまう。くつろいだ雰囲気で親しく会話することもできない」
「会話以上に親しくしていたと聞いている」
父親は音楽会に関する詳細な報告書を読んでいた。
「なおさら両親を呼べない。察してくれてもいいと思うが?」
「私は寛容だ。息子が意中の女性とのデートを楽しんだことを喜ばしく思っている。だが、母親は息子が心配で仕方がないだけでなく、自らが主催したバレエ鑑賞会の評価がイマイチであることに落ち込んでいる」
「母親の面倒を見るつもりはない。父上が夫として面倒を見ればいい」
「息子の言葉に、母親は余計に深く傷つくだろう」
「かもしれない。だが、母親の言動に対し、いかに私が強い怒りを感じているか思い知っただろう。私の寵愛する女性が華々しく社交界にデビューするのを邪魔したばかりか、バレエ鑑賞会にも招待しなかった。上級貴族で名門貴族の令嬢がただ一人招待されないとなれば、社交界で何を言われるかわからない。母上がいかに愚かなことをしたのか自覚し悔い改めないのであれば許さない」
ここでようやく母親の発言になった。
「クルヴェリオンは冷静ではありません。個人的な感情に惑わされています。舞踏会の予定もバレエの予定もずっと前から決まっていました。王家の催しが優先されるのは当たり前ではありませんか」
「レーベルオードの催しを知って日程を変えた」
「あれは私の催しと国王陛下の催しの成功、出席者達の負担を考えた結果です。レーベルオードは関係ありません」
「レーベルオードの催しに出席する者達には大きな負担になった。だが、皆わかっている。引退寸前の国王とその威光を借りた妻の女性、それに対し新王になる王太子、どちらの怒りを買うのが得策ではないか、子供でも分かる」
母親は息子に厳しい視線を向けた。
「国王と王妃をないがしろにするのは王太子として相応しくありません」
「私の邪魔をするのであれば、誰であろうが容赦しない。父上はレーベルオード伯爵令嬢を妻にすることに反対はしていない。だが、母上は反対するだけでなく、邪魔をした。私がそれを黙って見ているわけがない。母親を大切にすべきとは思うが、ようやく妻にしたいと思える女性を見つけた。私の子供を産ませるつもりでもいる。その女性を大切にして何が悪い? 母親には息子の気持ちを理解して欲しいと思うばかりだ」
「クルヴェリオン、私はただの女性でも母親でもありません。エルグラードの王妃です。だからこそ、言わなければなりません。レーベルオード伯爵令嬢を妻にすべきではありません」
クオンは心の中で大きなため息をついた。まだ言うのかと。
「貴方が選んだことを考えれば、さぞ素晴らしい女性なのでしょう。ですが、一目見ただけで多くの者を魅了し、納得させるような女性ではありません。学校を出るどころか、高度な教育を受けているわけでもありません。名門貴族の令嬢というのは体裁的なものでしかなく、本来は元平民、しかも孤児です。後宮の召使として働いていた女性ではありませんか。そのような者を王太子の妻として認めることはできません。その女性を妻にすれば、王太子の妻だということに配慮する者達はいるかもしれませんが、本心からではありません。必ず悪評が出ます。それは夫である貴方の足を引っ張ることになり、ゆくゆくは大問題となるでしょう。子供が生まれたとしても、そのような出自の女性が産んだ子供を王にすべきではないと思う者達もいるはずです。王位に関わるような問題が懸念されるのであれば、妻にすべきではないと考えるのが賢明かつ正しい判断です。これは私だけの意見や判断ではありません。多くの者達が賛同する意見や判断です」
クオンは父親に視線を移した。
「父上はどう思われる? 母上の意見に賛同し、レーベルオード伯爵令嬢を妻にすべきではないというのか?」
妻である王妃、息子である王太子から強い視線で睨まれている国王ハーヴェリオンは深いため息をついた。
「正直に言えば、王妃の意見と同じだ。息子の将来だけでなく、国の行く末、生まれてくる子供に関する問題を考えると、そういったことにならない女性を妻にした方がいいと思う」
王妃は力強く頷いた。
「だが、王妃が望むような女性で、息子が心から愛せるような女性がいない。息子が若ければ、時間的にもまだ猶予があるだろう。だが、子供を作ることを考えるとそろそろ期限だ。とはいえ、愛してもいない女性と婚姻させ、我慢させるしかないというのも不憫だ。息子には心から愛する者と結ばれて欲しい。そして、息子が心からの愛情を注げる子供を作って欲しいと思っている。でなければ、息子が王になった後、孫の王太子との親子関係がうまくいかず、それがエルグラードを揺るがす大問題になるかもしれない」
ハーヴェリオンは何も考えていないわけではない。自分なりの考えがあった。
息子に我慢させることで万事がうまくいくわけではない。更にその先の将来、王家やエルグラードの光に影がさす可能性も考えていた。
「クルヴェリオンは寵愛する女性のせいで盲目状態というわけではない。どのようなことが問題になるのかしっかりとわかっている。それをいかに克服するかで、自身が強い存在であることを示すことが可能だとも思っている。これからの時代は生まれつきの身分で全てが決まってしまうのではなく、実力さえあれば上を目指すことも可能であり、努力したことは報われるという希望に満ちた国を創り上げようとしている。実際には今でもそのはずなのだが、やはり身分の壁がまだ大きい。それを少しずつ変えていくのは王家の役目だ」
「身分の壁をなくすのは賢明ではありません。それでは王家も統治も揺るぎます」
「それは昔の考え方だ。私の考えは違う。身分差が緩和されても、王家は特別な存在であり続けることができる。そして、統治も揺るぎない。国民が望むのは身分の高いだけの王ではなく、より良き未来に導いてくれる力強い王だ。国王が弱くても偉ければいいだけの時代は終わった。いや、私が終わらせる。私自身が弱くて偉いだけの王だった。過ちを繰り返してはならない」
今度は息子が強く頷いた。
「エルグラードは大国になる過程で、国の将来を対外政策で補うことにした。併合や戦争で国土を広げるというものだ。その結果、強大な軍事力、広い経済圏を作り上げることで国力が上がった。王の元に多くの力が集まることで、戦争や災害、様々な問題を克服し、乗り越えて来た。身分制度は重要だ。国王に従う者にはその分見返りがある、厚遇される、よい生活をすることができる。人は平等がいいといいつつ、本当に平等では満足しない。自分だけ特別な何か、人よりも優れていることを認められたいと感じる。その気持ちは大事だ。向上心につながる。向上心があるからこそ、人は努力する。何をしても変わらない、皆同じ、報われないのでは、人は努力をせずに怠惰になる。国民が怠惰になれば、国が衰退するのは目に見えている。繁栄の時代が長くても、永続はしない。歴史がそれを証明している。我々は過去から学び、未来をよりよきものにしていこうと努力すべきだ。国王や王太子ならば尚更、国民全てに希望を与え、努力することの大切さを説き、強く導いていかなければならない」
ハーヴェリオンは妻である王妃を見た。
「私は賢い女性を妻に選んだ。王妃の公務もしっかりこなす。人一倍責任感があり、努力する者だ。いい王妃だけでなく、良き母親になるだろうと思った。だが、エンジェリーナを王妃にすることを考えなかったわけではない。むしろ、家柄や容貌などを考慮すれば、エンジェリーナの方が王妃として望ましいと言われるのはわかっていた。怠惰であっても美しく出自のよいエンジェリーナを飾りの王妃に据え、実務的で優秀なクラーベルを側妃にして働かせるべきだと多くの者達が主張したが、私は頷かなかった。王妃は怠惰であってはならない。努力家であるべきだと。だが、努力をすればいいというものではないという者達もいる。クラーベルを認めない者達は確かにいた。だが、それが何だというのだ? クラーベルは自らの出自を卑下する必要はない。伯爵令嬢だ。優秀な女官としての経歴もある。そのことを誇ればいい。だというのに、なぜ、身分主義者達に媚を売る? お前達の時代は終わりだと切り捨てればいいだけではないか」
王妃であるクラーベルは答えた。
「陛下は多くの者達を切り捨てました。国王に従わなければならない、国王をないがしろにする者は許されないと示しました。ですが、それでは人々の心は掴めません。従うふりしかしません。クルヴェリオンが元平民の孤児である女性を妻にすることに賛成する者達がいたとしても、それは本心からではありません。王太子に従うため、しぶしぶ受け入れているに過ぎません。いずれ、些細なことをきっかけにして、その女性はやはりふさわしくないという声が上がるでしょう。いずれは庇いきれなくなります。愛する女性が多くの者達から非難され、攻撃されることに苦しむのはクルヴェリオン自身なのです。それよりも、その女性を身分にふさわしい相手と婚姻させ、女性の幸せを遠くから見守るべきではありませんか?」
王妃の主張は筋が通っている。決して、支離滅裂ではない。賢く優秀な女性だと思えるような意見だった。
リーナに強い好意を感じる前のクオンであれば、今の言葉を聞き、その通りだと思ったかもしれない。だが、今のクオンを止める力はなかった。





