50 第二の高貴な者
後宮の医務室は地下、一階、二階の三カ所にある。
地下は下働きや召使の下位用。一階は侍女や侍女見習いなどの上位用。二階は側妃や身分の高い者の高位用になっていた。
但し、人命に関わる緊急事態もある。
倒れた場所や発見場所によっては、最も近い医務室の利用が許されていた。
リーナが倒れていたのは二階。
発見者が高貴な者だったせいもあり、二階の医務室に運び込まれた。
診断結果は栄養不足、睡眠不足、激務による過労だった。
一日の休養という診断だったが、リーナを発見した高貴な者が尋ねた。
「この者は過労で倒れたのです。一日程度の休養をしただけでは、またすぐに倒れるのではありませんか? 倒れる際に床で頭を打ったようです。後遺症があらわれる可能性もあります。それでも休養は一日だけでいいと思うのですか?」
後遺症が出る可能性を考え、医者は三日間の休養という診断に変更した。
休養室の状態を確認したところ、地下の休養室は満室だった。
一階の休養室になるという説明を聞いた高貴な者は尋ねた。
「なぜ、二階の医務室ではないのですか?」
「設備が違います。上階の方がより良い設備になります」
「なぜ、設備の悪い方から使用するのですか?」
「階級が低いからです」
愚かしい。
高貴な者は思った。
設備が悪ければ、病気も怪我も治りにくい。
治療代がかさむ。さっさと治して働かせるべきだと思った。
そして、閃いた。
高貴な者は慈悲深い表情を作った。
「どうせ休養するなら、良い設備の方がいいに決まっています。二階を使えばいいでしょう」
リーナは二階の医務室での休養を特別に許可されることになった。
翌日の午後。
「落ち着かない……」
リーナは高待遇を喜ぶべきだったが、居心地が悪かった。
なぜなら、二階の休養室は豪華絢爛な休養室だった。
天蓋付きの豪奢なベッド。調度品も同じく煌びやか。
面倒を見てくれるのは医務室付きの者で、食事内容も豪華だ。
リーナは栄養不足と診断されたせいもあって、様々な食材を使った食事が用意された。
午前と午後にはお茶と菓子まで運ばれて来る。
リーナは突然王族か貴族になってしまったような気がした。
あまりにも場違い過ぎて、怖かった。
このような扱いを受けたことで、後で何かあるのではないかと不安だった。
主に請求面で。
突然、ドアが開いた。
中に入って来た人物を見て、リーナは驚いた。
それは倒れているところを発見してくれた高貴な者だった。
ベッドから出ようとすると制止され、ベッドで構わないと言われた。
「気分はどうですか?」
「……大丈夫です」
リーナは緊張した面持ちで答えた。
「私が誰だかわかりますか?」
「高貴な方です」
「他には?」
「外部の方だと思います」
リーナは正直に答えた。
だが、高貴な者が知りたいのはもっと具体的なことだった。
「私の名前を知っていますか?」
「知りません」
リーナはなぜそのような質問をするのだろうかと不思議に思った。
「知らないのですか?」
プラチナブロンドに空色の瞳を持つ美貌の持ち主。後宮という場所。
普通はわかる。確信がなくても、推測はできるはずだった。
だというのに、
「会ったこともない方のことを知っているはずがありません。それとも以前、どこかでお会いしたことがあるのでしょうか?」
「いいえ。それよりも質問があります」
すでに質問状態だけど。
実を言えば、尋問に近い雰囲気をリーナはひしひしと感じていた。
「この部屋には私達しかいません。正直に答えなさい。医者になぜ倒れたのか理由を聞かれ、わからないと答えていました」
医者に質問された際、リーナの最初の答えはよくわからないというものだった。
そこで医者が様々な質問をした結果、栄養不足と睡眠不足と過労という診断になった。
「医者の診断が正しいと思いますか? 別の理由ではありませんか?」
リーナはますます不思議に思った。
「お医者様がそう言っているのであれば、それが正しいと思います。別の理由があるとは思いません」
「控えの間で何者かに襲われたことを隠していませんか? 後宮内の安全性に関わる問題です。何者かに脅されていたのだとしても、正直に話しなさい」
リーナはびっくりした。
あまりにも予想外の質問だった。
「違います! 時間がないので急いで仕事をしていました。急にめまいがして……倒れて気を失ったみたいです。気が付いたら医務室でした」
「では、別の質問です」
リーナは数枚の紙とペンを渡された。
「後宮では階級によって待遇が違います。召使いは下位です。どのような生活や食事をしているのかをできるだけ詳しく書きなさい」
リーナの受け取った紙には質問票と書かれていた。
「食事のメニュー……」
一枚目は一週間分の朝・昼・夕の食事内容を書くものだった。
間食についても記入する場所がある。
リーナが栄養不足で倒れたため、食事内容を確認したいのだと思われた。
どうしよう……。
リーナは困った。
ずっと忙しく、食事をほとんど取れていなかった。
代わりにクオンから貰ったお菓子を食べていた。
どうやって菓子を手に入れたのか、誰に貰ったのかと聞かれてしまう気がした。
自分で買ったと答えても、購買部の履歴を調べれば、自分で買ったものではないことがわかってしまう。
クオン様に会ったのも貰ったのも秘密にしないといけないのに……。
リーナが悩んでいる様子を見た高貴な者は口を開いた。
「覚えているものだけで構いません」
リーナがよく覚えていない、思い出そうとしているのだと勘違いしたようだった。
取りあえず、今日の分は書けるかも……昨日の夕食も。
リーナは今日の朝食・昼食・午前中に出されたお茶とお菓子、昨夜の夕食を書いた。
昨日の昼食は食べていない。倒れてしまったからだ。
とても不味い薬湯を飲まされたため、それが昼食かもしれない。あるいは間食だ。
朝食はなし。早朝の掃除時間がかかって急いだ結果、金の控えの間でめまいを起こして倒れてしまった。
おとといから前は召使いとしての食事だ。
リーナは覚えている限りのことを書いたが、菓子については書かないことにした。
クオンに迷惑をかけたくないと思った。
「二枚目は生活や勤務についてです。守秘義務があると思うかもしれませんが、これは調査のために関係ありません。書類を見ながら答えを記入しなさい」
リーナは質問票に答えを記入した。