499 最愛の花
「私にとって、光の花はお前だ」
クオンは自らの選んだ花のドレスに身を包んだリーナを、愛おしさの溢れた眼差しで見つめた。
ふと偶然気づいた足元に咲く小さな花。
それは豪華でも煌びやかでもない。ただ、自然のままに咲く、どこにでもあるような普通の花。
その花から感じる何かに目を留めたものの、手折ることも持ち帰ることもせず、そのままにしておくのがいいと決めて離れたというのに、その小さな花が頭から離れない。
その花が枯れてしまったら。誰かに傷つけられてしまったら。摘み取られてしまったらと思うと、強い胸騒ぎがした。
気になる気持ちを抑えきれず、ついには花の元へかけつけた。小さな花は変わらず咲いている。ひっそりと。
やはりこの花は美しい。特別な何かを感じる。
その花を守りたくて、自らの花として守ることにした。もっと居心地がいいであろう別の場所で。
だが、花はずっと美しいままかわからない。もしかすると、別の場所に連れていかれたせいでしおれ、枯れてしまうかもしれない。
全ての花が太陽の光と水を多く与えればいいわけではない。日陰や乾燥を好む花もある。いつの間にか育った花であるなら、余計にどのようにすればいいのかわからない。
それでも、側におきたい。
花を大切にするだけでなく、愛情を注ぎたい。
花は今も美しいままだ。いや、違う。より美しくなった。
花はバラでもユリでもない。例え、それを誰かがスズランだと言っても、やはり小さな花なのだ。
強い風で一瞬にして吹き飛ばされてしまいそうな花は、生きるために懸命だ。それだけで愛しいというのに、近づくほどにかぐわしい香りが漂うばかりか、いつの間にかその全てに魅了されている。
花は確かに小さい。弱くも見える。だが、不思議な魅力に溢れている。目を離せない。
花の名はリーナ。希望と幸せを予感させる最愛の花。
クオンはリーナを抱きしめた。
リーナから感じるのは温かさ、優しさ。そして、愛。
強い想いがクオンの心を満たしていく。
「……離したくない。今夜は私の部屋に泊まっていくか?」
リーナは答えた。すぐに。
「今夜はあまり遅くならないように帰る予定だと聞いています」
その通りだが、帰したくないとクオンは思った。
「帰りたいのか?」
リーナは考えた。
自分の家はいずれここになる。王宮。いや、後宮。クオンの元だ。しかし、今は違う。今のリーナの家はレーベルオード伯爵家であり、ウォータール・ハウスだ。自分の部屋がある。大切な家族も。
「正直に答えると、今日は帰りたいです。お兄様やお父様を心配させたくありません。それに、順序を守りたいです。クオン様が以前おっしゃったように。少しずつゆっくり、焦らずに、進んで行きたいです」
「わかった」
クオンは返事をした。すぐに。
順序を守りたい。それは本心からのものであり、自ら口にしたことでもある。
リーナは正しい。そして、自分の選んだ方法も。
クオンは心からそう思った。
「だが、私の部屋に来たばかりだ。もう少し共に過ごしたい」
「私もクオン様ともう少しお話したいです」
「では、話をしよう」
二人は話し合った。まさに歓談だ。今夜の催しについて、バレエについて。更には王宮、後宮について。側妃候補になることも。
「お前がどのように思っているのか、もっと知りたい。時間が足りない」
やはり宿泊させたいとクオンは思った。歓談でいい。一晩中話していたいとも。
リーナは微笑んだ。
「そのように思っていただけるのは嬉しいです。私ももっとクオン様のことが知りたいと思います。でも、女性が夜更かしをするのはよくないことです。悪い噂の元になりかねないですし、お肌にも悪いです」
クオンはため息をついた。
「屋敷に帰るのは夜中になってしまうだろうが、帰った方がいい」
その言葉は本心からのものだった。
最近のクオンはリーナへの愛しさがつのり、自分の気持ちが抑えにくく感じることが増えた。
何もしないといって宿泊させても、いざ宿泊させれば気持ちが揺らいでしまわないかと懸念した。
早く……リーナを妻にしたい。だからこそ、順序を守る。
リーナの悪評につながりかねないような理由を自分が率先して作るべきではないとクオンは判断した。
「また会える。次もさほど遠くはならないはずだ。あくまでも予定ではあるが」
「またお会いできるのを楽しみにしています」
「私も同じだ。むしろ、お前よりも強く心待ちにしているように思う」
「クオン様」
リーナは言った。
「ありがとうございます、帰らせてくれて。クオン様が私の気持ちを大事にしてくれたので、凄く嬉しいです。それに、とても安心しました」
クオンは思った。やはり、リーナがいいのだと。
リーナはクオンの選んだ方法が正しいことを証明してくれた。その方法はリーナの気持ちに添うものであり、嬉しさと安心を与えることができた。
愛する者を喜ばせ、安心させること。それは、クオンが心から望むことだった。
クオンは呼び鈴を鳴らした。
本来であれば、王太子付きの侍従が待機しているのだが、今夜は友人であり、側近であるヘンデルが待機していた。
ヘンデルがドアをノックして部屋に入ると、クオンは迷うことなく伝えた。
「帰らせる。無事送り届けるように」
「この時間だから、道は空いているよ。それに、遅くなるようであればフラットに泊まる予定だったらしい。レーベルオードのフラットは近いからすぐ帰れるよ」
ヘンデルは待機する間、パスカルと話をしていた。
その際、時間が遅くなるようであれば、時間をかけてウォータール・ハウスまで帰るのではなく、王宮の側にあるフラットの方に宿泊することを話した。
遅くなったからといって宿泊する必要は必ずしもない。勿論、王太子の意向次第というのはあるものの、レーベルオードとしては、リーナを宿泊させずに帰るようにして欲しいという意向であることを伝えるためだった。
「パスカルを呼ぶよ。待っているから」
その後、部屋に呼ばれたパスカルと共にリーナは帰った。
パスカルが共にいれば安心だろうと思いつつも、クオンはリーナが帰ってしまったことにため息をつかずにはいられなかった。
そんなクオンを見て、ヘンデルは苦笑した。
「我慢しなくていいのに。今どきは婚姻前に色々と確かめる。その方が後で問題が起きなくていいとさえ思っているよ」
「私は慎重だ」
「わかった。王太子としてはその方がいいかもね。周囲が喜ぶ方法だ」
ヘンデルの言葉に、クオンは自分のやり方は王太子らしいのかもしれないとも思った。
しかし、これからしようとしていることを考えると、周囲が喜ぶとは到底思えなかった。
「今夜はご苦労だった。リーナは音楽会を非常に楽しんだようだ。その部分に関しては成功したと評価する。私も楽しめた。後は結果がついてくるかどうかだ」
クオンの言葉に、ヘンデルは笑顔で応えた。
「ずっとデートを我慢していたわけだし、その分、沢山楽しんで貰いたかった。良かった」
「疲れた。寝る」
「あ、それだけど、ちょっと待って欲しい」
ヘンデルの言葉に、クオンは尋ねた。
「……緊急の書類でもあるのか?」
「いやあ。今夜はリーナちゃんが泊まるかもしれないっていうことで、寝室をちょっと飾り付けたみたいだよ。俺じゃなくてアリシアがだけど。片づけるように言うよ」
クオンは眉を上げた。





