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後宮は有料です! 【書籍化】  作者: 美雪
第五章 レーベルオード編

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482 幸せの可能性

「リーナ様は体現されてきました。それは希望を捨てないこと。どんなことがあっても、いつか幸せになれると信じて生きていくことです。これはどんなに弱く、恵まれていない者、まさに普通の者でも可能なことです。簡単そうに思えるかもしれませんが、簡単ではありません。いつかがいつかはわかりません。一生、そのいつかが来ないかもしれないという不安に襲われます。そして、人は長い人生の中で多くの苦しみや悲しみを感じます。どれほど優れた強き者であっても、希望を手放し、見失ってしまう可能性があるのです。非常に優れた能力を持つミネットも、自らに訪れた苦難を乗り越えることができず、ついには希望を手放してしまいました」


 マーカスの胸に痛みが走った。娘が人生に絶望することを喜ぶ父親などいない。


「リーナ様もミネットと似ている部分があります。ミネットが自分の容姿が悪いと思うように、リーナ様も自分の器量が優れていないと思っていることです。実際は普通、一部に関しては専門的といわれるような能力さえお持ちなのですが、これまでの過去の経緯から、まだまだ不足な部分が多くあり、努力だけでは補えないこともあると思っています。確かにご出自に関することなどはどうしようもありません。養女になってもぬぐい切れない部分があります。本人の努力だけではどうしようもありません。何かをきっかけにして、いくら努力しても無駄だと、ミネットのように絶望してもおかしくないのです」


 マーカスは眉間に深く皺を寄せた。


 確かに努力だけではどうしようもできないことがあるのをわかっている。だからこそ、マリウスの説明も、ミネットの絶望も理解できた。


 リーナに似ているような部分があるというのであれば、非常に警戒すべきことだった。


「ですが、リーナ様はミネットと決定的に違う部分があります。それは、リーナ様は生き続ける限り、自分が幸せになれる可能性があると強く信じていることです」


 マリウスの表情が輝くような笑みを讃えた。そして、その青い瞳が映し出すのは父親の姿ばかりではない。見えないはずの未来を照らそうとする希望の光もまた。


「だからこそ、リーナ様は自らを向上させ、努力することで少しでもよくなりたい、少しでも幸せに近づきたいと思っています。この先にある死が苦しみからの解放だと考える以前に、生きている今、不足な自分をいかに幸せに近づけることができるか、その方法は何かを考え、努力しながら実行するだけで精一杯なのです。これは良い意味で狭く、鋭く、非常に建設的です。ですので、不幸な現実から逃れるために死ぬことなど全く考えていません。それは逆に生きていく中で見つけることができる喜びを捨て、幸せになれる可能性から遠ざかること、失ってしまうことだと思われています」


 マーカスは息を飲んだ。


「リーナ様はただ真面目に必死で生きて来ただけだと思っています。ですが、それがいかに難しいことだったのか……人は苦しい時ほど、大切なものを手放してしまいやすいのです。ですが、リーナ様は手放しませんでした。真面目さも、努力することの大切さも、優しさも。そのことが、私を強く勇気づけてくれました」


 マリウスの表情はとても優しく晴れやかだった。


「リーナ様が来てから、ここは随分変わりました。内装のことではありません。人が変わったのです。雰囲気も。そして、心からの笑みが戻りました。閣下にも、パスカル様にも。レーベルオードの者達にも。リーナ様のおかげです。リーナ様の真面目さ、努力することの大切さ、優しさが伝わり、愛と喜び、幸せを生み出したのです。リーナ様はまさにご自身が希望。幸せの再来を告げるスズランの花のような女性です」


 マリウスの言葉は揺るぎない確信に満ちていた。


「リーナ様は幸せになるでしょう。なぜなら、リーナ様のように希望を持ち、可能性を信じて生きていくことこそが正しい。私はそう思いたいのです。だからこそ、リーナ様に幸せになって欲しいと願い、幸せになれるように支えようと思います。リーナ様が幸せになることで、私の考え、信じたことは正しかったのだと証明したいのです」


 マリウスは自らの決意を言葉にすることで、父親に示そうと思った。


「人は生まれながらにして幸せとは限らず、ある日突然不幸の谷底に落ちてしまうこともあります。ですが、希望を失うことなく生き続ける限り、幸せに近づく機会も喜びを感じられる時間も必ずあります。私もリーナ様を見習い、コツコツと努力し、少しでも幸せに近づけるように生きていこうと思います。その小さくも真面目な努力が希望や勇気、優しさとなり、生きる意味、喜び、幸せを感じる人生につながっていくはずです」

「……そうか」


 マーカスは胸に込み上げる想いを抑えながらそう言った。


「実を言うと、私はすでに幸せを見つけてしまいました。やはりレーベルオードなのです。レーベルオードの幸せが、私の心を満たします。パスカル様や閣下がリーナ様と過ごされ、心からの笑みを浮かべている姿を見た私は、嬉しさのあまり涙を堪えきれませんでした。そして、私と同じように涙をぬぐう者達を大勢見ました。この屋敷、レーベルオードに幸せというものが今まさに存在することを強く感じ、そのことに対する喜びが込み上げました。喜びは幸せが感じさせる感情です。この屋敷には多くの喜びが溢れました。それは幸せが溢れているということです。リーナ様が与えてくれた幸せです。この幸せが一時のものだとしても、私は決して忘れることはないでしょう」


 マーカスは自身の大きな過ちに気付いた。


 マーカスはリーナをレーベルオードの養女だとは思っていたが、それ以上でもそれ以下でもないと思っていた。だが、それは間違っているのだと、息子の言葉に気付かされた。


「……私はこの屋敷に来てから、特別な催しを成功させることばかり考え、その後はお前とどのようなことを話すべきかを考えていた。そのせいで、とても大切なことを見逃していたようだ。私は……閣下やパスカル様のことを見ていなかった。そして、リーナ様のことも」


 父親の言葉にマリウスは頷いた。


「私は父上がリーナ様を見ていないことに気付いていました。ですが、催しを成功させるための準備に忙しいのは当然ですので、何も言いませんでした。いずれ父上はわかるだろうと思っていたのですが、あまりにもリーナ様にご興味を持たないので、むしろ不思議に思っていたところです。ですが、その理由も今わかりました。私やミネットのせいでリーナ様のことを考える時間がなかったのでしょう。ですが、私のことは気にされる必要はありません。ですので、ミネットのことを気遣ってあげて下さい。私はリーナ様とパスカル様の側で、レーベルオードとして生きていきます。それが私の本心、決意です」


 マーカスは頷いた。力強く。


「わかった。お前は自らの選んだ道を進めばいい。ミネットのことは私に任せるのだ。パスカル様とリーナ様を頼んだぞ。お前はとても強い。私の反対を押し切って神官になった位だからな!」


 父親の言葉に息子は微笑んだ。


「そうですね。あの時、それまでの人生で最大限の努力をした気がします。神官になるために、パスカル様と閣下を説得するのも大変でしたが、やりがいも感じました。そして、見事説得できたあかつきには、これで自分は救われるのだと感じたことも確かです。なのに、のこのことまた戻って来たわけです。本当に申し訳ない気持ちしかありません」

「閣下には謝罪したのだろうな?」

「勿論です。床に這いつくばりました。閣下は本当に寛容な方です。お許し下さいました。但し、条件付きです。パスカル様とリーナ様への忠義に励むようにということでした。閣下の執務室に出入するのもしばらくは禁止です」

「当たり前ではないか!」


 マーカスは叫んだ。そして、呆れた。


 当主が身内に甘すぎることは知っているが、その程度で済ますのは以ての外だと思うしかない。


「マリウスよ、やはり私はお前に厳しくしなければならない。閣下の処罰は甘すぎる! お前はレーベルオードを離れる決意をしたのだ。裏切りだ! 本当は絶対に許されるべきことではないのだぞ!」

「わかっています。私は二度とレーベルオードを離れません。ご心配なく」

「なんということだ! 閣下とはお話をしなければならないと思っていたが、なかなか時間が取れなかった。しかし、やはり時間を取っていただかなければならない。息子にこれほど甘い処遇は許されないと断じて進言する!」

「ご自由に」


 マリウスは微笑んだ。


「屋敷への出入を禁じても構いません。私はリーナ様が入宮の際、レーベルオードの者として同行するつもりでいます。まだ正式な許可が出ていませんが、恐らくは問題ないでしょう。パスカル様もそのつもりでおられますので。どうしても男性が無理ということであれば、女装することを条件にしてはどうかと、私から提案しました」

「女装だと?!」


 マーカスは驚愕した。


「私の容姿であれば、女装も似合うに決まっています。まさか、この容姿がそのような形で役に立つ可能性があるとは思いませんでした。勿論、女性らしく振る舞うだけの能力も自信もあります。ですが、恐らくは普通に男性としての同行になるでしょう。この容姿が女装することで役立つのであれば、私にとって大きな意味、自己肯定になるかもしれないというのに、非常に残念です」


 ようやく屋敷に戻ったというのに、またもや出ていく予定であるばかりか、女装することも辞さないと嬉々として告げる息子に、父親は想像を絶するほどの驚きを感じずにはいられなかった。


 まさに変化だ。


 女性らしくも見える美しさを心の底から忌避していた息子が、女装をしてもいい、それが自己肯定になるかもしれないなどと話すほどになるとは、父親は思っても見なかった。


 可能性を信じたい。


 マーカスはそう思った。マリウスが幸せになれる可能性を。そして、まだ深い闇の中にいる娘にもまた幸せが訪れる可能性を信じたくなった。


 娘が今の生における幸せを諦めていたとしても、自分がその分まで諦めなければいい。そこに希望が、可能性があるのではないか。父親としてできることが、まだまだ多くあるはずだとも。


 父親はもう一度娘に会うことを決心した。


 双子の兄であるマリウスが再びレーベルオードとして歩き始めたことを告げる。そしてレーベルオードの養女になった女性のことも。


 この女性は優れた容姿や能力に恵まれていたわけでもない。自分ではどうしようもないほどの不幸の中にいた。それでも、希望を捨てずに生きて来た。いつか幸せになれるということを信じて。


 そして、死ぬことは苦しみからの解放ではなく、幸せから遠ざかる、可能性を失ってしまうことなのだと思っている。その考えを、生を諦め死を美化しようとする娘に伝えたいと思った。


 この話がミネットを変化させるかどうかはわからない。ミネットの気持ちは固い。しかし、何かが起きる可能性もある。もしかすると、希望のかけら、救いになるかもしれない。


 父親として、マーカスは心からそうであって欲しいと願わずにはいられなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 伸びに伸びた身長で女装をしようとする兄の話がショック療法になって立ち直ったりして(笑)
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