480 もう一組の親子
レーベルオード伯爵邸には、もう一組の親子がいた。
それはレーベルオード伯爵家の傍系に当たるマーカスとマリウスの二人だ。
レーベルオードに尽くす道とレーベルオードを離れる道を選んだ結果、共に過ごす時間がなくなるどころか、親子は離れ離れになった。そして、それは死ぬまで一生続くはずだった。
だというのに、リーナが養女になったことに関係する形で顔を合わせることになったのはまさに偶然、奇跡のような出来事だった。
「戻るとは思わなかった」
マーカスは正直な感想を息子に告げた。
「そのつもりでした」
マリウスも同じく、嘘偽りのない言葉を父親に発した。
「ですが、パスカル様の妹をお守りするためということであれば、戻らなくてはいけないと思ったのです。パスカル様やレーベルオードのためだけでなく、私のためにも」
マーカスは大きな息をついた。
「乗り越えたのか?」
「いいえ」
父親の問いに息子は即答した。
その答えは父親の予想したものだったが、続きがあった。
「ですが、レーベルオードから離れたことで、私の心に冷静さが戻って来たことは確かです。そして、私にとってレーベルオードがいかに大きな存在であるかも思い知りました。正直に言えば、私にはまだ迷いがあります。ですが、パスカル様は私を必要だと感じ、呼び戻されました。それに応えたいと思う気持ちに対しての迷いはありません。私が担うべき責務だと感じています。ミネットの分も」
やはりその名前がでるのかと、父親はもう一度大きな息をついた。
「私はとても心配している。父親としても、領主代理としても。お前が優秀であることは知っている。だが、欠点もある。一つは自分の容姿を必要以上に卑下していることだ。誰もが容姿だけで判断するわけではない。容姿に恵まれていることを素直に喜ぶ者の方が多いだろう。ミネットのせいでそれが叶わないのであれば、私はミネットの心の在り方を嘆くしかない」
「ミネットはあまりにも深い闇の中にいます。神に祈りを捧げても無駄かもしれません。なぜならミネットの祈りは嘆き、呪いの言葉も同然です。ですが、それしか生きる道がないというのであれば、仕方がありません」
部屋が沈黙した。
ミネットというのはマリウスの双子の妹だ。しかし、容姿はまったく似ていない。兄のマリウスはとても美しい容姿をしている一方で、妹のミネットの容姿は美しくなかった。
両親やマリウス、周囲の者達はミネットを醜いとは思っていない。普通。ただ、若干女性らしい顔つきというよりは、男性らしいかもしれないという程度のことだった。
しかし、双子は様々に比べられる。容姿は特に比べやすい。まるで女性のように美しい兄と、男性のような武骨さが感じられる妹の対比は強い印象になる。
どうしてお兄様は美しいのに私は美しくないの? 双子なのに!
ミネットは数えきれないほど問いかけた。両親にも、兄にも、神にも。しかし、それは生まれつきそうだったとしかいいようがない。
誰もが自分の容姿に満足しているわけではない。
兄も悩んでいた。美しいと呼ばれることを、素直に喜べなかった。妹のせいでもある。自分には必要のない美しさを強く嫉妬する視線で見つめられ続けた。すぐ側で。
女性が美しくありたいと思うのは当然のことだ。しかし、その美しさを持って生まれたのは女性のミネットではなく男性のマリウスだった。
マリウスは美しさよりも男らしさ、強さ、優秀さが認められたいと思った。しかし、多くの者達が褒めるのは容姿の美しさだ。その美しさに嫉妬する者達も多くいた。そして、パスカルの側にいたことで、余計に注目され、嫉妬されることになった。
マリウスもミネットも裕福で恵まれた家柄に生まれついたものの、何もかもに恵まれ、幸せに過ごしてきたわけではない。むしろ、家柄や自分の立場、状況に纏わりつくしがらみや嫉妬に晒され、互いの容姿を交換した状態で生まれていれば良かったと思い続けていた。
強くあれ。レーベルオードとして。
マーカスの教育は一貫していた。持つ者は持たざる者に羨まれる。それは当然のことだ。どうしようもない。それに負けない精神力を育てるしかないと思っていた。
二人は自分の心を強くするためにも勉学に励み、必要と思われる技術を身に着けた。そのおかげで優秀だということは誰もが認める事実だった。
但し、容姿に関してだけは成長すればするほど、二人の苦痛を大きくした。
限界が訪れたのは、ミネットが高等学校を卒業した時だった。
ミネットは大学に進学すべきという助言を無視して、王宮の採用試験に挑んだ。反対されていたために推薦状はなく、母親の姓を使ってこっそり応募していたために、試験に申し込んだことを誰も知らない状態だった。
ミネットは筆記試験に合格したものの、面接試験で落ちた。
自分の学力に絶対的な自信を持っていたミネットは、容姿のせいで落ちたのだと思った。
努力すれば何もかも乗り越えられる、大丈夫だと信じ続け来たミネットだったが、そうではないと思える現実を突きつけられた時、心の行き場を無くしてしまった。
こんなにも努力しているのに……顔だけは変えられない。どうしようもない。美しい兄と比べられるのはもう沢山だわ! 私だって、こんな顔に生まれたくて生まれたわけじゃないのよ! 兄のように美しく生まれたかった!
ミネットは潔く命を絶ち、今度は男性、あるいはもっと女性らしい容姿で生まれてくることを願ったものの、その計画はマリウスによって阻まれた。
そして、一族の長たるレーベルオード伯爵の命令により、領地内にある修道院で祈りに明け暮れる日々を過ごしている。
ミネットのことがきっかけでマリウスも精神的な限界を感じはじめ、ついには自らと妹の心の平穏を求めるべく神官になることを決意した。
「マリウス、無理をしてはいけない。パスカル様の信頼と配慮は嬉しいが、それに応えきれない時の責任が重すぎる。パスカル様が妹君に対し、いかに強い愛情を抱かれていたか、お前だからこそよく知っているはずだ。私は……せめてお前だけは、救ってやりたいと思っている。今はもう神官になったことを嘆いてはいない。ミネットのようになる前に、自ら神官になることを選ぶ方が賢明だったと思っているのだ」
マリウスは悟った。父親は妹のことを諦めていると。
ミネットはただ祈り続ける。いや、自らを呪い続けるのだ。神によって与えられた寿命という死が訪れるまで。世捨て人、生きる屍だ。
理性をなくしているわけではないが、これ以上容姿に対することに心を揺さぶられたくないという強い意志がミネットを縛り付け、人との関りを拒絶していた。
体裁的には修道院の管理を手伝うという名目になっているため、部屋に籠って帳簿などをつける役目もこなしている。
修道女見習いになることは許されていないが、ミネットは修道女になりたいわけではないため、見習いになれないことを不満には思っていない。
むしろ、自分のためだけに祈ることができ、修道女見習いとして様々な慈善活動に身を投じるため、人前に出るようなことをしなくていいのは幸いだと思っている。
「私は神官になることで長年当たり前のように考えて来たものとは違う生き方があること、そして、もう一度自分やレーベルオード、様々なことを冷静に考える時間を得ることができました。ミネットはとても賢い女性です。もしかすると、いずれ何かが変わるかもしれません。かなり歳をとってしまってからだったとしても、人生の終焉を迎えるまではまだ十分な時間があるはずです」
マリウスはミネットのことを諦めたくなかった。
ミネットは双子の妹だ。母の胎内で共に育った者でもある。ミネットに救いがないのは、自分にもまた同じく救いがないと言われるような気がした。それは受け入れたくない。信じたくないことだった。





