477 兄の愛
「僕はどうしてリーナの部屋を東館にするのかと父上に聞いた。答えはすぐに返って来た」
娘の部屋は母親の部屋の近くにするのが定番だ。
そして、母親がフォーマル・ガーデンの景色や花々を見て心を慰めたように、リーナも窓からの景色を身って多少なりとも不安を和らげ、心を慰められるかもしれない。
それが答えだった。
「僕や父上の前では気丈に振る舞っていたとしても、心の中ではわからない。そこで美しい花々が慰めになればと父上は考えた。僕は正直驚いた。自分が慰めればいいと思っていたから、窓からの景色や美しい花々が慰めになるとは考えていなかった。やっぱり父上は凄いと思ったよ」
パスカルは自分という存在がリーナの頼りになると信じて疑わなかった。
だからこその盲点を父親に教えられた。
「僕はまだ父上には敵わない。何をやってもね。でも、負けたくない。世界で一番リーナを愛しているのは僕だ。リーナがこの世に生まれた時から、僕はリーナを愛していた。ずっと会えなくても、リーナのことを想い続けていた」
いつか自分の気持ちを妹に伝えたいとパスカルは思っていた。
今こそそれを伝えるべきだとも。
「人は何かを支えにしながら生きている。僕にとっては妹の存在が心の支えであり、希望だった。母上が別の男性との間に子供を作ったことを嫌だと感じたことはない。僕と血のつながった妹が生まれたことに、心からの喜びを感じたよ」
リーナは気が付いた。
自分は血のつながりがないレーベルオード伯爵に嫌われていないか、無理をさせていないかを気にしていた。
だが、兄のパスカルにも同じように嫌われたり無理をさせたりしていないかを考えていなかった。
母親が別の男性との間に子供を産むということは、別の場所で生きていくつもりであること、レーベルオード伯爵家には戻らないことを決定づけているといってもいい。
母親が父親以外の男性と愛し合い、その者との間に子供が生まれたことを悲しみ、憎んでしまう可能性もあった。
「妹に会いたくてたまらなかった。母上ではなくてね」
母親はもう戻らないと思っていた。
パスカルは父親よりもずっと先に心のけじめをつけていた。
「だから、母上に会うためにミレニアスに行くことになった時はとても複雑だった。慰めて欲しいと言われたけれど、僕と父上とレーベルオード伯爵家を捨てた女性を慰めることができるのかと考えてしまった」
リーナは言葉が出なかった。
パスカルが母親に対してどう思っているのかについても、深く考えたことはなかった。
「幼い頃から僕は妹を愛し続けて来た」
会いたくてたまらない。一緒に過ごしたい。兄として慕われたい。
その気持ちが強かったからこそ、勉強にも武術にも懸命に励むことができた。
「勝手な想像でしかないけれど、母上が病弱なせいで妹は寂しい想いをしていると思った。母親がいない僕と、母親がいてもいないような妹は似ているような境遇だとね。だから、僕と妹はわかりあえる、支え合えると思った。そう思えたおかげで強くなれた。優秀にもね」
そして、
「ミレニアスで母上に再会した時も、リーナに救われた」
「えっ?」
リーナは不思議に思った。
パスカルがミレニアスで母親と再会した時、リーナはその場にいたわけではない。誘拐されて行方不明になり、死んだと思われていた。
なぜ、自分がパスカルを救ったということになるのか、その理由が全くわからなかった。
「母上は妹の名前を叫びながら泣いていた。その様子を見て僕は思った。母上は僕と同じように妹を深く愛していたとね」
娘がいなくなったことで、母親は心の支えや希望を失ったように感じている。
パスカルは母上の気持ちを理解できた。
自分も同じだった。言葉では到底いい表せないほどの苦しみと悲しみを感じた。
「これまでは妹が僕の気持ちの共有者だったけれど、その時は母上が共有者だった。父上は妹の死を悲しんではいるけれど、僕のように心から愛していたわけじゃない。自分が心から愛する息子や妻だった女性が悲しむから、悲しんでいただけだ。だから、僕と父上は本当に同じ悲しみを共有することができなかった」
パスカルは大きく一息ついた。
「リーナが僕と母上の心を結び付けてくれた。悲しみや苦しみではあったけれど、同じ気持ちを共有することで、互いに慰められた。僕は心の中に生き続ける妹と共に生きて行こうと決心したし、母上も同じはずだ」
側にいなくてもパスカルの心に寄り添い、強く支えてくれたのはリーナだった。
リーナの分も生き続け、頑張らなくてはいけないと思った。
だからこそ、今がある。
「でも、やっぱり側にいてくれた方がいいに決まっている。リーナとこうして一緒に過ごしていたい。本当に……言葉では到底伝えきれないよ。でも、言葉にしたい。世界中の全ての言葉を駆使してでも、僕の本当の気持ちを伝えたておきたい」
パスカルはリーナの頬にそっと手を当てた。
その表情にも仕草にも愛が溢れていた。
「心から愛しているよ。ずっと一緒だ。例え、リーナが誰かと結婚しても、兄としての僕がいなくなることはない。むしろ、兄だからこそ一生側にいることができる。婚姻による結びつきは、婚姻を解消してしまえばなくなってしまう。だけど、血のつながりは決して消えることはない。僕とリーナには同じ血が流れている。ヴァーンズワースの血がね。だからこそ、ヴァーンズワース伯爵夫妻のことを嫌いでも、僕はヴァーンズワースの全てを嫌いになることができない。リーナはヴァーンズワースを救う存在でもある」
パスカルはリーナの額に優しく口づけた後、鼻の先にも口づけた。
愛おしくてたまらない。
表情も言葉もその雰囲気も、全てがとても甘かった。
「何度でも言うよ。愛している。誰よりも強く。だから心配しないで。僕がいれば大丈夫だ。どんなことがあっても、乗り越えていけるよ。絶対に幸せにする。僕が。約束するよ」
リーナは胸がドキドキした。
パスカルの言葉はまさに愛の告白だ。
勿論、男性としてのではなく、兄としてのだということはわかっている。
しかし、深い愛情が込められているのがわかるだけに、嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、胸が勝手にドキドキするのだ。
「リーナは僕のことをどう思っているのか知りたい。兄として慕ってくれる? 愛してくれる? 本当の気持ち教えて欲しい」
リーナはすぐに答えた。
「好きです。お兄様のことが。お慕いしていますし、信頼しています」
「愛してくれる?」
「勿論です」
「じゃあ、愛していると言って欲しい」
「愛しています」
パスカルは満面の笑みを浮かべた。
ずっと欲しかった言葉を、ようやく手に入れることができた。
とても長い年月がかかった。そして、現実では決して叶わないはずのことだった。
だというのに、それが叶った。
これは現実だ。間違いない。今、僕の目の前には世界で最も愛しい存在がいる。リーナが!
パスカルは溢れる歓喜に後押しされるがまま、リーナを抱きしめた。
「僕も愛しているよ。永遠に」
パスカルはリーナを抱きしめる腕に力を込めた。
そして、幸せの絶頂ともいうべきこの甘い時間を堪能した。





