475 兄との散歩
朝食の後、リーナとパスカルは早速庭の散歩に出かけることにした。
リーナも時間を見つけては散歩をしていたが、天気の都合や警備の都合、勉強や執務等の予定もあったことから、屋敷の外に出て過ごした時間は限られたものだった。
「今日は一緒に新しい場所を散策しようか」
「はい!」
リーナは散策という言葉に目を輝かせた。パスカルと一緒に散歩するだけで、これまでとは違う何かがありそうな予感がした。期待が膨らむ。
「どの庭に行くのでしょうか? 私はいつも屋敷の側にある庭園を散策していました」
「となると、少し遠くの庭がいいね」
パスカルは微笑んだ。
「実を言うと、大体のコースは決めてある」
パスカルはリーナがどのように過ごしているのか、マリウスからの報告を受けていた。
どの庭に行ったことがある、ないといった情報も当然のごとく知っている。
「どんなコースですか?」
「歩くことになるけれど、靴は平気かな?」
「大丈夫です。ヒールはいつも最小限です」
リーナは歩きやすい靴を重視していた。多くの貴族の女性はヒールが高い靴を愛用するが、リーナはバランスを取りにくいため、高いヒールを好まない。
適度にヒールがある靴はいいが、ハイヒールやピンヒールなどは絶対に履かなかった。
パスカルはリーナを連れて東館から庭に出ると、南東の方角を目指した。
リーナの部屋がある東館の南側にはフォーマル・ガーデンがある。規則的な幾何学模様のデザインに整形された庭で、中央には噴水があり、様々な種類の花壇も美しい。
移動がしやすいこともあり、フォーマル・ガーデンはリーナが最も利用している庭だった。しかし、それ以外の庭もある。
ウォータール・ハウスの南東方面には多くの木が茂り、森のような雰囲気を醸し出している場所がある。
そこはフォレスト・ガーデンと呼ばれており、森の中を楽しむように散策できる庭園になっていた。
「インヴァネスは森や湖で有名だ。リーナが昔住んでいた屋敷も森の中にある。それに比べれば、全然森らしくないかもしれない」
パスカルに手をつながれてリーナはフォレスト・ガーデンに初めて足を踏み入れた。
確かに多くの木がある。しかし、森よりもずっと少ない。小道もその脇も全て手入れされている。無造作に思えるような木も草も花も全てが計算されて配置されているのだ。
「ここは散歩をしたり、静かに過ごしたりするのに向いている。小道沿いに進むと、芝生の広場がいくつもある。好きな場所を見つけてくつろぐのもいいかもしれない」
「お兄様はよくここにこられるのですか?」
「小さい頃はよく来たかな」
パスカルが説明した通り芝生で覆われた広場につくが、二人はそのまま小道を進んだ。
小道はまたしても木々に囲まれるようになったが、脇道や小さな空間が所々にある。
「休憩場所もある」
小道の途中には屋根付きのガゼボがあった。中にはベンチがある。
「歩き疲れたら、途中にあるガゼボやベンチで休めばいい。屋根付きの場所なら雨宿りもできる」
「そうですね」
またしても芝生の広場があらわれる。広場の中や周辺には雄々しい枝を伸ばした巨木がいくつもあり、その根元や周囲には花が咲き誇っていた。
リーナは確かに庭だと思った。森ではない。
森はどこまで歩いても木々が多く茂っており、地面もほとんどが土と葉だ。花があっても非常に少なく、ひっそりと咲いている程度だ。
しかし、ここはグランドカバーとして芝生が敷き詰められており、小道の脇にもさりげなく花々が配置されている。この広場に至っては、かなり多くの花々が咲き乱れている。
人の手によって植えられ管理されている花だが、周囲の風景にとても馴染んでいる。
インヴァネスの森とは違うけれど、自然を感じられる。とても優しい感じがするところだわ。
リーナは気持ちが安らいだ。
「気に入った?」
「はい。とても素敵です」
「ここは花の広場。花が沢山ある。勿論、見るだけでなく好きに摘んでもいいよ」
「いいえ。可哀想なのでそのままにします」
「リーナは優しいね」
パスカルが微笑んだ。その笑みも優しい。リーナはとてもくつろげると思った。
「ウォータール・ハウスには趣向の違う庭がいくつもあると聞いています。何か変わった庭があるのでしょうか?」
「シークレット・ガーデンもあるよ」
「シークレット・ガーデン?」
秘密の庭。リーナは興味をそそられた。
「どんな秘密があるのですか? それとも、どこにあるのか秘密の庭とか?」
「おいで」
リーナはパスカルに連れられるまま、脇道に進んだ。しかし、脇道は途中で途切れ、行き止まりになってしまった。
リーナはパスカルが道を間違えたのだろうと思ったが、そうではなかった。
パスカルは道がないにも関わらず、木々の間から奥へ進もうとした。
「ちょっと気をつけて。枝や草があるからね」
「道がないのにいいのですか?」
「シークレット・ガーデンだからね。道がない」
リーナは納得した。
小道を進んで辿り着くのであれば、それは秘密でもなんでもない。ただの庭だ。
しかし、道がないにも関わらずその先に庭がある。庭が隠されているのであれば、確かにシークレット・ガーデンという名称にふさわしい。
「凄いです。道はありませんが、しっかりと整えられています」
リーナの感想にパスカルは少しだけ驚いた。
「さすだね。わかってしまったみたいだ」
リーナとパスカルは木々の間を縫うように進んでいる。つまり、道に沿って進んでいるわけではない。
しかし、木々は完全に行く手を阻んでいるわけではない。一見すると枝などが伸びていて邪魔な感じがするが、手で軽く抑えるだけでいい。簡単に通るための場所があく。
また、本当に誰も知らないような隠された場所であれば、そこに辿り着くまでの手入れがされているわけがない。雑草が伸び放題でもおかしくない。しかし、足元は雑草ではなく芝生で、適度な高さに刈り込まれているため歩きやすくなっている。
つまり、視界に入りやすい上の方の部分は枝などをわざと残して刈り込み、足元などは通りやすいようにしっかりと手入れをすることで、枝の扉を次々と開けながら進むような道なき道になっているのだ。
「ここだよ」
辿り着いた先にはとても古そうな石造りの門とレンガの壁があった。高さがあるため、門や壁の向こう側は見えない。
「この中にあるのがシークレット・ガーデンですか?」
「そうだよ」
「この門を開けるのでしょうか?」
門は石造りということもあり、かなり重そうだった。取ってはついているが、押すにも引くにもパスカル一人では難しそうに思えた。
パスカルは優しく微笑んだ。
「大丈夫。こっちに」
パスカルはリーナの手を引きながら壁沿いに進んだ。角まで来ると曲がる。
「あっ!」
思わずリーナは叫んだ。
頑丈そうなレンガの壁がずっと続いていると思ったが、脇に出っ張りがあり、その陰になっている部分はレンガが崩れていた。大人でも十分に通れるだけの広さがある。
「ここから入れるよ」
「……偶然壁が崩れているのでしょうか?」
「昔から崩れているらしい。さっきの門の鍵は庭番が持っている。だから、庭番がここを手入れするために来る時は門から入るよ」
リーナは眉をひそめた。
「庭番もここから入ればいいのでは?」
「下はレンガが二段ほど残っている。自分だけならともかく、作業に使う手押し車を通すには持ち上げなくてはいけなくなる。だから、段差のない門の方がいい。それに、庭番は門から入ると決まっている。そうすると、門が開く音がする。庭の中にいる者に、庭番が来たことがわかるから、突然誰かが来て驚くこともない」
「でも、ここを通って中に入る者が突然来たら驚くのでは?」
「そうなるね。でも、ここはシークレット・ガーデンだ。どうしてもという場合を除き、レーベルオード伯爵家の者しか入れないことになっている」
リーナとパスカルはレンガが崩れた場所を通って中に入った。
崩れた場所は通路の部分になっており、内側にも外壁と同じ程度の壁がある。そのため、シークレット・ガーデンがどのようなものかがわからない。
「まるで、迷路のようです」
壁の間にある通路を進みながらリーナが言うと、パスカルは微笑んだ。
「確かに迷路のように見えるけれど、わざと回り込んでいるだけだね。門をくぐると左右に分かれているけれど、どちらもずっと一本道で、中央の庭につくようになっている」
「では、このような通路がもう一つあるのですか?」
パスカルは頷いた。
「そうだよ。僕達は今左の通路を進んでいる。門を開けた門番は右の通路から来る。そうすることで、顔を合わせにくくしている」
「どうして、顔を合わせないのですか?」
リーナは不思議に思った。
「ここはシークレット・ガーデンだからね。どんな庭かもだけれど、誰と会っているのか、ということも秘密だ。はっきりいってしまうと、恋人や夫婦だけで過ごすような場所だから、他の者と会いたくない、邪魔だというわけだね」
「なるほど……」
リーナは納得したものの、すぐにまた疑問が生じた。
「お兄様、私達はここに来てもいいのですか? 恋人でも夫婦でもありません。兄と妹です」
パスカルはリーナの生真面目さに苦笑した。
「大丈夫だよ。レーベルオードの家族だけの庭だと説明した方が良かったかな? 姉と弟でもいい。ここは他の庭と違って壁がある。だから、遠くから様子を見ることができない。他の者達の目を気にしないで済む」
「そうですね」
リーナは納得がいったというような表情で頷いた。
「でも、血のつながらない兄と妹の場合は注意が必要だよ。それはただの男性と女性と同じようなものだからね。二人きりにはならないようにすべきだ。僕達は血のつながりがあるから大丈夫だけどね」
パスカルの言葉に、もう一度リーナは頷いた。





