471 幕間の社交
ウェズロー子爵夫人として王妃主催のバレエ鑑賞会に出席していたアリシアは、幕間になると大広間に移動した。
アリシアは王宮で女官として働いているため、社交の場に顔を出す機会は非常に少ない。だからこそ、限られた機会と時間の中で、ウェズロー子爵夫人としての務めをしっかりと果たさなければならない。
化粧室に行って戻るだけで終わりの休憩時間を過ごす気は毛頭なく、時間の限り広間で過ごし、女官勤務だけでなく社交もこなしていることを印象付けるつもりだった。
「ウェズロー子爵夫人」
早速大物からの声がかかる。アンダリア伯爵夫人だった。
「お久しぶりでございます」
アリシアは微笑みを浮かべながら、優雅に挨拶をした。
「話があるのよ。明日、時間を取って欲しいの」
アンダリア伯爵夫人は宰相の妻であり、実家は四大公爵家の一つであるサウスランド公爵家だ。
エルグラード王家や他国の王家の子孫でもある血筋、そして、国王が最も信頼している盟友の妻という立場を考えれば、その要求を断るわけにはいかない。
しかし、アリシアはあっさりとその常識を破った。
「すでに朝から晩まで予定が入っているので無理です」
アリシアをただの王族付き女官として見るのであれば、このような返事をするのは無礼な行為と取られてもおかしくはない。
だが、名門ウェズロー伯爵家の跡取りである子爵の妻だ。いずれは当主夫人ということになる。
伯爵家の家格でいうと、アンダリア伯爵家よりもウェズロー伯爵家の方がはるかに上だった。いかに宰相の妻とはいえ、アリシアに対して高圧的に振る舞えるだけの権限はない。
アリシアの後ろ盾はウェズローだけではない。王太子がいるのは周知の事実でもある。
「月曜日は?」
「仕事がありますので無理です。木曜日ではいかがでしょうか?」
「木曜日ですって!」
アンダリア伯爵夫人は眉を吊り上げた。
「遅すぎるわ。無礼ではなくて?」
「私は王族に仕える身。仕事が優先です」
アンダリア伯爵夫人は黙り込んだ。さすがに自分の都合と王族の都合のどちらを優先させるかであれば、王族の都合となるのは明白であり、反論する余地がない。
しかし、アリシアは女官だ。つまり、平日勤務で週末は休みのはずだった。
「どうして明日では駄目なの?」
「変更できない予定があるのです」
「どんな予定?」
アンダリア伯爵夫人は諦めなかった。宰相の妻にしてサウスランド公爵家の者だというプライドがある。些細な用件であれば、絶対に許さないという気迫が目に見えていた。
「個人的な予定をこのような場で話したくありません。他の方々も聞かれていることと思いますので」
アリシア達は大広間で話をしている。大勢の女性達がアリシアとアンダリア伯爵夫人の会話に大注目していた。
「他の者達には聞かれたくないというのは、あまり好ましくない予定なのかしら?」
アンダリア伯爵夫人は挑発した。このようにいえば、そうではないとアリシアは反論するしかない。でなければ悪い噂を流される可能性が高くなる。
アリシアの笑みはすでに消え、女官さながらの厳しい表情になっていた。
「あまり好ましくない予定というのはどのようなものでしょうか?」
今度はアリシアがやり返した。
好ましくないと形容するのであれば、口にすべきではないようなことになる。言えるものなら言ってみろという挑発とも取れるが、アンダリア伯爵夫人が言えるわけもないことは誰もが承知してもいる。
つまり、アンダリア伯爵夫人の挑発には乗らない。互いに言えないことがあるのを理解し、深くは触れないまま、受け流すべきだという意思表示になる。
「そうねえ……」
アンダリア伯爵夫人は考えるような素振りをした。アリシアは優秀だ。王太子付き筆頭侍女を務めていただけに、揚げ足を取られないような予防を張り、失言をしない。
このような女性との社交的な会話、駆け引きは非常に高度になる。かなりのやりがいがあり、楽しいというのがアンダリア伯爵夫人の正直な感想だった。
「ごきげんよう」
突然、二人の会話に乱入するつわものがいた。
アリシアとアンダリア伯爵夫人の視線だけでなく、その場にいる多くの女性達の視線を受けてなお平然と微笑んでいられるのは、強い女性である証とも言えた。
「明日は私が予約しているの。一日中ではないけれど、それなりに長くなると思うわ。他の予定も知っているけれど、どれも変更できないわね」
アリシアを助けるような発言をしにきたのは、ヘンデルの母親であるイレビオール伯爵夫人だった。
イレビオール伯爵夫人は王太子付き首席補佐官として忙し過ぎるヘンデルに代わり、ヴィルスラウン伯爵領を領主代行として治めている。そのため、ただの伯爵夫人ではなく女性領主とみなされ、かなり強い発言力を持っていた。
「青玉会のことなの。だから、私以外の役員達も揃ってお茶会をするのよ」
「引き抜きの話かしら?」
「どのような内容かは言えないわ。でも、なんとなくわかるでしょう?」
アンダリア伯爵夫人はすぐに理解した。自分と同じく、レーベルオード伯爵令嬢に関することなのだと。
「アリシアは大変なのよ。緑のバラを讃える会、赤き炎の会、金と銀の調べの会との約束もあるの」
アリシアは無言のままだったが、さすがイレビオール伯爵夫人だと思った。
アリシアはイレビオール伯爵夫人と午前中に会うことになっている。最初は午後を打診されたが、すでに緑のバラを讃える会との約束があったため、午前中か夜にして欲しいと返事をした。
その結果、午前中に会うことになり、その後すぐに夕方と夜に関しても赤き炎の会と金と銀の調べの会との約束が入ることになった。
自分の予定をイレビオール伯爵夫人に教えてはいないにも関わらず、それでも知っているということは、イレビオール伯爵夫人が独自に情報取集をしており、アリシアの予定を把握しているということだった。
「週末も予定が詰まっているなんて、忙しいのね」
アリシアの予定は全て社交グループとの予定だ。個人との約束ということであれば、約束相手一人に圧力をかけることで変更しやすくもある。しかし、社交グループなどの団体、複数人相手の約束を変更するのは難しい。
しかも、どれも社交界では知られているようなグループになる。どの者達も自分達の予定を絶対に変更させないために、わざと団体、複数相手の約束として取り付けている可能性があった。
「ウェズロー子爵が可哀想だわ」
完全な嫌味の一言だったが、アリシアは動じなかった。
「勤務の都合上、時間はこちらからご連絡することになりますが、どうされますか?」
「仕方がないわね。でも、午後にして頂戴。遅くてもいいわ」
「わかりました。ご連絡します」
アリシアは頭の中にあるスケジュール表にアンダリア伯爵夫人の予定を組み込んだ。
「ウェズロー子爵夫人、私も木曜日にお会いしたいのだけれど」
声をかけてきたのは内務大臣の妻であるザルツブルーム公爵夫人だった。
「私のお友達と一緒にお茶をしましょう」
「木曜日の予定は埋まってしまいました。金曜日になります」
誰のせいで予定が埋まってしまったのかは明白だった。
「残念ね」
悠然と微笑むアンダリア伯爵夫人に、ザルツブルーム公爵夫人は笑みを返した。
「本当に。でも、私のお友達が火曜日に予定を入れているの。そこに同席するわ。でも、お友達を同伴するわけにはいかないから、金曜日に予定を入れて頂戴」
「わかりました。時間については後ほど連絡するということでも?」
「いいわ。でも、お友達に連絡しなければならないから、できるだけ早くして」
「勿論です」
その後も様々な者達から誘いがあり、アリシアは頭の中にあるスケジュール表に次々と予定を組み込むことになった。
これでは女官の仕事どころではないわ……。
はっきりいえば、社交の誘いは断りたい。しかし、断れない相手の場合もあるだけでなく、今回はなぜ誘いが来たのかもわかっているだけに、断りたくなかった。
アリシアが誘われるのは、リーナに関する情報収集が目的だ。アリシアもリーナがどのように思われているのかについての情報収集をするために利用できる。好機を逃す手はなかった。
互いに利用し合う。
それが社交の基本だ。
「あら、時間だわ」
幕間の時間が終わることを告げる鐘がなる。
「アリシア、後でね」
イレビオール伯爵夫人は微笑みながら言った。勝手に帰るなということだ。
アリシアは返事をしなかったが、帰る際にも多くの者達に呼び止められるのは困る。
イレビオール伯爵夫人を盾にして他の者達をかわし、できるだけ早く王宮に戻ることにした。
この日、アリシアにとって最も重要なのは王妃主催のバレエ鑑賞会でもウェズロー子爵夫人としての社交でもない。王太子主催の音楽会を成功させることだった。





