47 クオンと家族
幼い頃からクオンは厳しく育てられた。
国王になるための英才教育だ。
王妃が産んだ唯一の子供である第一王子。王太子であれば当然のことだった。
父親は国王ゆえに忙しかった。
母親も王妃として忙しかった。
国王には側妃がいた。側妃の子供もいた。腹違いの弟王子だ。
弟達の方が優秀で国王にふさわしいのではないかと言われないよう、両親はクオンを甘やかさなかった。
むしろ、厳しかった。
クオンは王太子に相応しい優秀な人物に成長していたかもしれないが、愛情溢れる家庭で優しく大切に育てられたとは言えなかった。
寂しさや物足りなさを感じていた。
自分よりもはるかに多く、自分の母親である王妃や産みの母親である側妃と過ごせる弟達を羨ましいと思っていた。
クオンの心を慰め、むなしさを埋めるのは菓子だった。
最初は脳に栄養を与えるには糖分がいいと教わり、菓子もしっかり食べるようにと教えられた。
それほど好きでもなかったが、次第に食べる癖がついた。
常に食べるようになった。
食べ過ぎだと言われ、菓子が禁止になった。
クオンは辛かった。イライラした。
なぜ、自分は王太子に生まれたのか。
第二王子以下であれば、もっと自由に楽に生きることができたと思った。
愛情深く育てられたとも。
それに耐えているのだ。菓子位よこせ! 太って不健康になって死んでも知るか! 弟達が王位を継げばいいと思っていた。
中等部時代。反抗期が訪れた。
ある日、王妃が様子を見にやって来た。
王太子が勉強せず、機嫌を悪くし、菓子をよこせといっていることを聞きつけたからだった。
クオンはどうせ注意しにきたのだろうと思った。
王妃は弟達を一緒に連れてきていた。そして、勉強をサボっている兄を見せて言った。
「クルヴェリオンは王太子に相応しい優秀な者です。いずれは国王として国を治めるため、必死に勉強してきました。ですが、一人の人間でもあります。これまでのことに疑問を持ち、将来に対して不安を感じ、決して逃れることのできない期待と重圧に苦しんでいます」
その通りだとクオンは思った。
「王太子や国王になるのは凄いことです。ですが、良い事ばかりではありません。一日のほとんどを勉強に費やし、自由時間どころか休憩時間もろくにありません。遊びに行く時間もありません。菓子も禁止になってしまいました。自由な小遣いもありません。予算と自由な小遣いは別だからです。自由な小遣いがあったところで、使う機会もありません」
最悪な状況だとクオンは思った。
「成人すれば、本格的に執務をしなくてはいけません。王太子である以上、好きな職にはつけません。王太子として働き続ける日々となるでしょう。政略結婚もあるかもしれません。世継ぎが必要でもあります。これから先、何度も悩み苦しみ、周囲からの期待と圧力によって押しつぶされそうになるでしょう」
クオンは余計に不機嫌になった。
最悪な人生だと感じた。
王妃の言葉は、不幸になるしかないという呪いの言葉のように感じた。
「そんな時、頼れるのが家族です。家族としての思いやりと力を合わせ、支えるのです。兄が辛い時には弟が支えます。弟が辛い時は兄が支えます。互いにそうすることで、困難に打ち勝てます」
王妃はクオンの弟達に視線を移した。
「困難な状況の兄を見て、弟としてどう思ったかを正直に言いなさい」
「難しくて面倒なことは優秀な兄上に任せます。なので、協力します。でも、好きなことや興味のあることだけです。他のことは嫌です」
第二王子のエゼルバードはそう言った。
「自分の好きなことをしたい。あちこち行きたい。勉強よりも剣術や体術を習いたい。兄上を応援したい」
次に意見を言ったのは第三王子のレイフィール。
王妃が兄弟で支え合うべきだといったのに対し、弟達の発言の中には合わない部分が含まれているとクオンは思った。
王妃は頷いた。
「正直で大変よろしい」
クオンは唖然とした。
正直だとしても、内容は褒められたものではない。
一部については注意すべきではないのかと思った。
「私たちは家族です。嘘で塗り固められた言葉やお世辞を言う必要はありません」
王妃は王太子である息子を見つめた。
「クルヴェリオン。少しは傲慢になりなさい」
クオンは驚いた。
世話役や教育官には傲慢になってはいけないと教えられてきた。
だというのに、王妃は正反対のことを言った。
「貴方はこれまで、世話役や教育官の言う通りにしていました。それは良い事です。ですが、このままでは将来が不安です。傀儡の国王になっては困ります」
父親の国王は傀儡だった時期がある。
息子にも同じようになって欲しくないということだ。
「反抗期は大いに結構。世話役や教育官をもっと困らせてあげなさい。但し、好き勝手にふるまえばいいということではありません。貴方が身につけるべきは、王族としての賢い傲慢さです。王太子として命令しなさい」
クオンは余計に驚くしかない。
「貴方に何かを教えるのは、基本的には王族ではありません」
優秀かもしれないが、貴族や平民だ。
「様々に教えはしますが、それらは自分達や国民にとって都合の良い事ばかりです。国民は傲慢な王族では困ると思います。だからこそ、貴方には傲慢にならないよう教えます」
クオンは王妃の言葉に目を見張った。
当然過ぎるがゆえに、そのことに対して疑問を抱かないことが盲点なのだと気付いたからだ。
「王族であっても人間です。個人の感情や行動があっても当然なのです。傲慢さもその一つです。王族としての強い権限を国民の為だけに使う必要はありません。時には自分を守るためにも使って構いません。王族は守られて当然です」
王妃の言う通りだとクオンは思った。
クオンは人間だ。一生、理想の王族のままには生きられない。
だからこそ、今のように反抗している。
努力するにも我慢するのにも限界があるのだ。
「貴方は健康的ではないという理由で菓子が禁止になりました。文句を言いました。しかし、それだけです。菓子を持って来いというのは命令のつもりだったのかもしれませんが、命令だとはっきり言いませんでした。そのせいで世話役や教育官はただのわがままだと判断しました。自分達で注意して事態を収拾しようとしたのです」
クオンは黙って王妃の言葉を聞き続けた。
「もし、貴方が命令だといえば、王太子の命令です。従うでしょう。もしくは陛下や私に報告や相談をしたはずです」
クオンの意見はただのわがままとして否定され、両親である国王や王妃にも報告されなかった。
クオンが不満に感じて反抗するようになり、ようやく報告された。
「これからはあえて命令してみなさい。未成年王族の命令は成人王族の命令とは違うことがわかるでしょう」
未成年の命令は強制権が弱い。
正当な命令ではないと判断され、国王や王妃に伺いが立てられる。
国王や王妃が許可するようなことでなければ、実行されない命令が多々ある。
「王族としての立場や命令をどのように使うかについても、今のうちから積極的に学んでおきなさい。成人してから学ぶのは難しくなります。王太子の命令ということで、ほとんどのことがすぐに実行されてしまうからです」
本当にその命令が正しいものであったのか。精査されにくくなる。
王太子が間違えていても諌めるのではなく、王太子に従うことの方が優先されてしまう。
撤回しても、すぐに修正できることばかりではない。
修正できないこともある。
「命令で誰かを処刑してしまえば、その命令を撤回しても、死んだ者は生き返りません。命令するということは、大きな責任を伴う行為なのです。貴方は優秀過ぎて傲慢さが全然ありません。その結果、王太子として命令するという行動には至りませんでした。ですが、すでに王太子です。命令はいくらでもできます」
その通りだった。命令はできる。
相手を従わせることができるかどうかはともかくとして。
「反抗期ついでに色々なことを考え、実行してみなさい」
王妃はポケットから小袋を取り出した。
「これは貴方を励ます贈り物です。キャンディです」
キャンディは舐めながら食べるため、なくなりにくい。
たった一つであっても長く菓子を食べ続けることができると王妃は説明した。
「些細なことかもしれませんが、頭を使ってうまく対応しなさい」
クオンは小袋を受け取った。
レモン味のキャンディだった。
「これには栄養素も入っています。菓子は禁止でも、栄養素の入った食品は適度に食べてもいいということになるかもしれません。もっと利口になるのです」
王妃の言葉にクオンは返す言葉がなかった。
自分のことを優秀だと思っていたが、自分だけでは気づけないことがあった。
勉強不足だと感じた。
「弟達からもあります。兄に贈るには何がいいかを考えさせ、選んだものを持ってきました」
「兄上の好きなもの、菓子を贈ることにしました」
歳が近いエゼルバードはポケットから小袋を差し出した。
「チョコレートです。一つだけという条件だったため、店のチョコレートを買い占め、一つの大きな箱にいれてまとめようと思いました」
一つでも沢山になる。当分の間はチョコレートに不自由しなくて済む。
「ですが、それは狡賢すぎる。抜け道だと指摘され、不許可になりました」
クオンはエゼルバードを利口だと思った。
「ポケットに入れて持ち込める程度という条件が加わりました。そこで大きなポケットがついている服を選びました。後宮の購買部で人気の品です。王族の味覚にあうかわからないので、私も同じものを購入して味見をしました。大丈夫ではないかと思います」
エゼルバードはチョコレートが好きだ。
味見といいつつ、しっかり自分の分も購入して食べていた。
「兄上に提案したいことがあります。菓子が禁止であっても、飲み物は禁止されていません。ココアを飲めばいいのでは?」
クオンはエゼルバードの優秀さを実感した。
自分では到底考えつかないことだった。
エゼルバードがチョコレート好きだからこそ、思いついたのかもしれない。
「食事のデザートも利用できます。多めに用意させて取り置き、後で食べます」
エゼルバードは抜け目がなかった。利用できるものは利用する。
食事は禁止されていないため、デザートを利用する。したたかだ。
菓子が欲しいと主張し、勉強をサボっている兄は頭も要領も悪いと思っているに違いないとクオンは思った。
差し入れはレイフィールからもあった。
「菓子を欲しがっていると聞いたから菓子にした。欲しいものを貰うと嬉しいし、元気が出る。クッキーにした」
飴やチョコレートはかぶるので選ばなかった。
「キャラメルと迷ったけどやめた。歯につく。取ろうとすると変な顔になる。王族としてみっともない。カッコいい兄上がいい」
クオンは驚いていた。
王族としてみっともないという言葉がレイフィールから出るとは思わなかった。
「自分も勉強はあまり好きじゃない。でも、馬鹿にされたくない。馬鹿にされないようにするための勉強だと思う」
レイフィールは王族だ。第三王位継承権がある。
だが、母親は公爵令嬢と言っても養女。元平民だ。
そのせいで受ける差別を屈辱だと思っている。
これ以上差別されないよう勉強しなければならないことをわかっていた。
「兄上は運動すればいい。お腹が空く。お菓子が出て来る。食事の時間まで我慢しろというやつは、処罰してしまえばいい。間違っている。王族に対して無礼だ」
王族が空腹なのに何も用意しなかった。
用意する手間を惜しんだだけだ。咎めてもおかしくない。
「前に食事時間まで我慢しろと言われた。王族のお腹が空いているのに、何も用意しないなんておかしい。捕縛しろと命令した。父上に処罰して欲しいと頼んだ。僕の方が正しいと言われた。注意と罰金になった」
クオンは黙り込むしかない。
レイフィールはすでに命令を使いこなしていた。
「クルヴェリオン。私からの差し入れだけでは、お菓子は一種類しかありません。ですが、弟達のおかげで二つ増えました。貴方を支えている証拠です」
弟達がクオンを兄として慕っているからこそ、差し入れが届く。助力や益が増えるということだ。
「結果として、貴方はたった一回の機会で三種類のお菓子を手に入れました。今後に役立ちそうな知識や提案もありました。弟達の優秀さと優しさを知ったはずです」
確かにクオンは知った。
弟達は優秀だ。良い意味で利口かつ傲慢だった。
そして、それは王族らしいということになる。
「頻繁に会えなくても、弟達は貴方を知っています。弟達の世話役や教育官が、いかに王太子が優秀かを手本として教えてきたからです。常に優秀な兄、王太子のようになれと言われているのです」
王妃は弟達を見つめた。
「贈り物についても、私が菓子にしろと言ったわけではありません。それぞれが自由に考えました」
後宮の購買部へ連れて行き、自由に贈り物を選ばせた。
二人は迷うことなく兄の欲しがっている菓子を選んだ。
「弟達は貴方のことを想っています。安心しなさい。貴方は決して一人ではありません。一人で解決できないことは、皆で協力し、解決すればいいのです」
クオンは思った。
口先だけだ。会えないではないかと。
「今日は私から来ました。弟達も連れてきました。ですが、貴方から私や弟達に会いに来ることもできるのです。いつでも来なさい。貴方がそうしたいと思った時に。相談にも乗ります。気に入らない世話役や教育官についての愚痴でも構いません。内容によっては、陛下と相談して変更します」
常に母親は王妃だった。母親ではなく。
だが、今は母親らしいかもしれないとクオンは思った。
「クルヴェリオン。私達は貴方を信じています。そして、応援しています。そのことを忘れないように」
王妃は弟達を連れて退出した。
クオンは差し入れの菓子をじっと見つめながら考えた。
厳しく育てられているのは自分だけではない。弟達も同じだ。
王妃が頻繁に弟達に会って構うのは、腹違いだからこそ。
例え母親は違っても、父親は一緒。家族としてまとまり支えあうことができる。
そのことを教え込むことで、王家の火種をなくそうとしている。
クオンはわかっていた。一方で、気付かなかった。
自分から会いにいけばいいということに。
一人で黙々と我慢していた。孤独を感じていた。
距離があると思っていたが、距離をつくっていたのは自分の方だった。
クオンは菓子を食べた。
甘い……。
これまでは菓子がもたらす一時だけの感情に酔いしれ、様々なことを見失っていた。
クオンは恥ずかしくなった。家族のことを考えていない自分勝手な自分が。
クオンはまた菓子を食べた。どれも美味しかった。
満足感と幸福感が得られた。
母親と弟達がクオンを想ってくれるからこそ、感じられる幸せだった。
クオンは世話役と教育官を呼び出した。
「優秀な王太子に戻る。勉強もする。但し、提案がある」
勉強スケジュールを見直し、適度に休憩時間や自由時間を取り入れること。
弟達と一緒に過ごす時間を増やすこと。
健康を阻害しない程度に、イラつきを抑える菓子を常備すること。
命令はしなかった。
この程度のことは提案で十分だと考えた。
命令は大きな責任を伴う。
王太子として菓子をよこせと命令するのは馬鹿馬鹿しいと思った。
世話役や教育官は、王太子が命令すると思っていた。
事前に王妃から聞いていた。もっと傲慢になれ、命令しろと伝えることを。
意外だった。
そして、なぜ命令しないのかを王太子に尋ね、その答えを知った。
王太子は命令の重みを知っている。大きな責任を伴うこともわかっている。
命令だけが解決方法ではない。提案し、理解を求め、信頼すればいい。
……王太子殿下は偉大な賢王になる! 間違いない!
王太子の世話役や教育官は涙を流して喜んだ。
「素晴らしい提案です!」
「すぐに改善致します!」
クオンのテーブルには小さな容器が用意された。
クオンはその中に母親と弟達から贈られた菓子の残りを入れると、少しずつ大事に食べた。
菓子がなくなると少量の菓子が補充され、常備されるようになった。