468 気に入って
「どうかしら? 気に入った?」
リーナはすぐに答えず、じっくりとドレスを検分するように見つめていた。
アリシアは微笑みを讃えたままの表情ではあったが、心の中では懸命に念を飛ばしていた。
気に入ったわよね? 気に入ったと言って頂戴! 私は報告しなければならないのよ! あまり気に入らなかったみたいだなんて報告したくないわ! お願い! 察して頂戴!
リーナは感想を口にした。
「素敵です。でも」
「良かったわ! 本当に素敵ね! 素晴らしいドレスだわ!」
アリシアはリーナの言葉の続きをかき消すように叫んだ。そのため、リーナは続きを言うことなく黙り込んだ。
「レーベルオードで用意したドレスも素敵だと思うのよ。でも、王太子殿下がせっかく贈って下さったわけだし、このドレスを着て行けば、王太子殿下はとても喜ぶわ。また白いドレスかと思うかもしれないけれど、正式なデビューの時は家の色にするのが基本だもの。大切にしなければならない慣習だわ。そう思わない?」
「……そうですね」
リーナはアリシアに誘導されるがまま、王太子から贈られたドレスを着用することに同意した。
「では、ドレスはこれに決定ね!」
アリシアはそう宣言した後、黙って控えている侍女達に強い視線を向けた。
「皆もよく覚えておいて。絶対にこのドレスよ。私は王太子殿下に贈り物がどうなったのかを報告しなければならないの。間違った報告をするわけにはいかないわ。もし、間違ってしまうと、私だけでなくレーベルオードにも影響が及んでしまうわ。なぜ、勝手にドレスを変更したのかと王太子殿下に思われてしまい、不興を買ったら大変よ。そうならないように、変更は絶対にしないで頂戴」
侍女達は頷くしかない。王太子に報告する内容が誤報であるわけにはいかない、勝手に変更することで王太子の不興を買うわけにはいかないのは当然だと納得した。
「小物も素敵なのよ。色遣いが激しいと派手になってしまうから、控えめな感じになっているの。リーナは派手なものはあまり好まないでしょう?」
「そうですね。派手ではない方がいいです」
リーナは素直に頷いた。アリシアの説明は正しいと感じた。
派手という言葉を巧みに取り込むことでリーナの同意を引き出したアリシアは、うまくいったと感じた。
「箱が多いけれど、宝飾品はないのよ。だから、レーベルオード伯爵家の所有するものから選ばないといけないわ。勿論、ティアラもね」
「はい。招待状のドレスコードは確認しました」
通常、音楽会というだけではティアラの着用はない。しかし、王宮で催される公式行事の音楽会に関しては、ティアラを着用することになっている。
今回の会場は王立歌劇場ではあるものの、王宮敷地内であるため、王宮に準じる場所ということになる。
そして、王太子主催であること、王族が出席すること、夜の催しであることなどの条件が考慮された結果、この催しは臨時とはいえ公式行事の扱いに準じるということになり、ドレスコードとしてティアラの着用が明示されていた。
つまり、リーナをデートに誘うのと同時にできるだけ早く王宮での社交デビューさせるため、王太子がわざわざ公式行事を作り出したようなものだった。いかに特別な待遇であるかはいうまでもない。
王太子の指示したデート内容、そのスケールの大きさに、多くの者達が驚愕することになった。
「ここにある宝飾品が、音楽会に身に着けるものの候補ということよね?」
「そうです」
リーナが個人的に使用を許されているのは幸せのパリュールとジャスミンのパリュールの二セットになる。
どちらも見事な宝飾品のセットだが、絶対に万能というわけではない。なぜなら、どちらも花をモチーフにしているからだ。
催しには様々な趣向がある。花のモチーフは女性らしさを感じさせるだけに、ほぼ万能に近い部分がある。しかし、催しの趣向によっては避けた方がいい場合もある。
音楽会に花のモチーフが駄目というわけではない。しかし、いくつか違うモチーフの宝飾品を用意し、最高の組み合わせを選んで貰うということになっていた。
「所蔵品はこれ以外にもあるのですが、中には当主夫人だけが着用できるといった制約がある品もあって……」
「名門貴族はそういったことがよくあるわ。ウェズローも同じような宝飾品があるの。子爵夫人のセットは、伯爵夫人であっても身につけることができないの。まさに子爵夫人だけしか資格がないというわけ」
そうなのかと思いつつリーナは説明を続けた。
「ここにあるのは私が着用しても問題ないということですので、ドレスに合わせて選んでいただければと思います。どうしても合わないということであれば、遠慮なく言って下さい」
「……もしもだけど、合わない場合はどうするの? 他の所蔵品から選ぶのかしら?」
「買うそうです」
「買うの?」
アリシアは驚いた。さすがに音楽会の前日だ。店に行ったところで良い品がある可能性は非常に少ない。
「アリシアさんには特別に教えてもいいと言われているのですが、内密に宝飾品を買わないかという話がいくつも来ているそうです」
「ああ、なるほどね」
貴族は多くの宝飾品を所有しているものの、事情があって手放す場合もある。その際、なぜ手放したのかと言うことに関して詮索されることや、手放したことを知られることを嫌う傾向が強い。
そこで知り合いや信頼できそうな相手に密かに宝飾品の取引を持ちかける。珍しくもないことだった。
「でも、明日なのよ? これから交渉して間に合うの?」
「宝飾品自体は預かっているそうなので、買う場合は支払いをする形になり、買わない場合は返品するらしいのです」
「そうなのね」
「用意させた方がいいでしょうか?」
アリシアは用意されている宝飾品を見た。
この中から選ぶということで問題はなさそうに思えた。しかし、別の宝飾品も選択肢にあるということであれば、確認したいと感じた。
「選択肢は全て見た上で、最良と思えるものを選びたいのだけど?」
「わかりました」
リーナが用意を言いつける前に、侍女達は動いていた。
宝飾品を並べるための場所を用意する者や宝飾品を持ってくるために部屋を退出する者に分かれ、素早く作業を始めている。
レーベルオード伯爵家の者達は宝飾品を多数用意するかもしれないことを事前に想定していたからこそ、リーナの指示をわざわざ聞かなくても動いている。そのことをアリシアは理解していた。
でも、駄目ね。
客がいることを考慮し、リーナの指示を侍女長などが受けるという形で動く。そうすることで、女主人であるリーナを立てるべきだった。
アリシアは心の中で厳しく評価したものの、今回は贈り物を届けること、更には衣裳の合わせをすることが役目であるため、何も指摘するようなことは言わなかった。
やがて、宝飾品が用意されるが、アリシアはできるだけ平静を保つように必死に努めた。
新しく用意されたのは複数の宝飾品が組み合わされたパリュールで、十セット分だった。
「随分あるのね」
アリシアはパリュールだとしても二、三セット程度だと思っていた。
「本当はもっと保管してあるらしいのですが、お父様とお兄様が気に入らないのは駄目なので……」
まだあるのかと、アリシアは心の中で嘆息した。





