467 ドレスの準備
王宮や社交界が騒がしい頃、リーナは対照的に静かな時間を過ごしていた。
王太子が催す音楽会に招待されたことも教えられ、木曜日には招待状が届いた。
リーナは招待状の内容を確認した後、父親に尋ねた。
「ところでお父様、衣装は決まったのでしょうか?」
「まだだ」
レーベルオード伯爵家では目下当主と跡継ぎによる激しい議論が繰り広げられていた。
なぜこうなったのかといえば、リーナのドレスのせいだった。
王太子とのデートともいえる音楽会では、リーナは注目の的になる。
レーベルオード伯爵家が主催した養女披露会の招待客は約八百人だったが、王太子の主催する音楽会の招待客は約五千人。規模が違う。
当日の装いについては勿論、万全を期す必要がある。しかし、王太子側から音楽会のことを知らされたのは、レーベルオード伯爵家での催しがあった土曜日。
ドレスコードは色が限定されており、白、黒、水色、青、紺。
五色の中から選んだ色合いの衣装を着用しなければならない。
一週間で新しいドレスを仕上げるのは難しいことから、すでにあるワードローブの中から選ぶことになった。
王太子の呼び出しに応じて王宮に行くことは勿論、王宮での社交デビュー、後宮に入ることも考え、衣裳部屋にはレーベルオード伯爵家の令嬢にふさわしい豪華なドレスがひしめいている状態だ。
レーベルオード伯爵家の色は白。そのため、王宮における社交デビューも白いドレスにするということでは一致したものの、どのようなデザインのドレスにするか、どの宝飾品を合わせるかでレーベルオード伯爵とパスカルの意見が対立してしまった。
「宝飾品についても決まらないのですか?」
「パスカルが悪い。どう考えても幸せのパリュールだというのに、文句をつけるのがおかしい」
レーベルオード伯爵は自分が与えた幸せのパリュールを王宮での社交デビューの際に着用されるつもりでいた。
ところが、パスカルが異議を唱えた。
幸せのパリュールはすでに養女披露の催しで着用し、十分に見せつけている。そこで、音楽会には別の宝飾品を身に着けた方がいいと主張した。
レーベルオード伯爵は拒否したものの、当主として決定し、命令したわけではない。
そのせいで、二人は自分の主張を押し通そうと激しく議論し、ドレスに合わせた宝飾品にすることは一致したものの、そもそも白いドレスが多すぎて決まらない状態だけに、宝飾品も決まっていなかった。
「先ほどアリシアさんから手紙が届きました。明日、来るそうです。音楽会の衣装を事前に見るということでした」
「わかっている。今夜中に決める。パスカルも夕方には帰ると言っていた」
「そうですか」
レーベルオード伯爵は王宮へ出勤したものの、昼過ぎには戻っていた。
仕事は多々あるものの、レーベルオード伯爵家のことが話題になっているために、仕事がしにくい状況になっている。
内務省に多くの問い合わせが来るだけでなく、無意味な訪問者が多くなっている状態だ。そのことを受け、内務省内の混乱と情報漏洩を防ぐ目的により、レーベルオード伯爵は内務大臣から直々に早退を命じられたのだった。
「お前は時間があるのか?」
「いいえ」
リーナは屋敷に勤める者達と面接を行い、屋敷や待遇に関してどのような意見を持っているのかを調べることにしていた。
「そうか。一緒にドレスや宝飾品を選ぼうと思ったのだが」
「お父様やお兄様が納得されるようなドレスを選んでいただければいいのです」
リーナは父親が一緒にドレスを選ぼうと言ってきても、絶対に受けないようにとパスカルから内密に指示されていた。
リーナがドレスを選んでしまうと、父親はそれでいいと甘く判断してしまう。甘い判断はよくない。これは王太子の側近としての命令であるため、当主の命令よりも優先されると説明された。
リーナは王宮における社交デビューの重要性を理解している。
自分好みのドレスを着用することが悪いわけではないものの、非常に重要な催しにおいては、父親や兄が最もいいと思うようなドレスを着用すべきだと思っていた。自身の経験や判断力はまだまだ不足だと思っているだけに、その方が安心だった。
「私は予定があるので失礼します」
リーナは丁寧に頭を下げた後で執務室を出て行った。
レーベルオード伯爵は部屋を出ていく娘を見送った後、大きなため息をついた。
「……振られた」
執務室にいた補佐官と秘書官は聞かなかったことにしなければと思いつつも、心の中で苦笑せざるを得なかった。
金曜日の午前中、ウォータール・ハウスにアリシアが訪れた。
前日に衣装などに関する打ち合わせをするということはすでに知らされていたため、レーベルオード伯爵とパスカルは自分達が選んだドレスと宝飾品の中からアリシアに選んで貰うということで合意した。
レーベルオード伯爵とパスカルが何事にも遠慮なく議論し合うことを屋敷の者達は知っている。
しかし、これほど白熱したことがあっただろうかと思うほど二人の態度は荒々しかった。
リーナに対する想いの強さが影響していることもあるが、女性のドレスについてこれほどまでに激論するのかと、驚きを隠せない部分もあった。
「おはよう。元気だったかしら?」
「おはようございます。お待ちしていました」
リーナはアリシアに挨拶しつつも、ソファの横にある箱が気になって仕方がなかった。
大小合わせて十箱。山のように積み重なっている。
「アリシアさん、お荷物があるようですがそれは……」
「王太子殿下からの贈り物を持って来たわ。衣装や小物よ」
リーナは箱を見た瞬間、大きさからいってドレスの箱もありそうだという予感はしていた。
「では……その衣装を着用して音楽会に出席するということでしょうか?」
クオンからの贈り物は嬉しいものの、リーナは父親と兄が懸命にドレスなどを選んでいたことを知っているだけに、素直には喜べなかった。
「レーベルオード伯爵家でも用意していると思うから、それと比べて決めることになっているの。ドレスは今後いくらあってもいい位よ」
アリシアはリーナの冴えない表情を気にしながらそう言った。
「時間が勿体ないわ。早速検分しましょうか」
「わかりました」
リーナはアリシアと共に部屋を移動した。
今回、アリシアに見て貰うドレスや宝飾品、小物などは全てリーナ専用の私室の一つに用意されていた。
「お父様やお兄様が用意したものがこちらになります」
飾られているドレスを見たアリシアは、さすがレーベルオードだと思った。
臨時の催しに出席することになるとドレスの用意がしにくい。そこで王太子からの贈り物として衣装を準備していたが、それがなかったとしても十分に対応できていたことがわかるような素晴らしいドレスが何着も用意されていた。
「どれも素敵ね。最高級品だということが一目でわかる素晴らしいドレスばかりだわ。でも、私が持って来たドレスもかなりのものよ。開けさせて頂戴」
「わかりました」
リーナは部屋に控えていた侍女に荷物を開けるように指示を出した。
次々と取り出される品々を見て、リーナは確かにかなりのものだと思った。
凄く豪華で高そう……。
王太子からの贈り物が安物のわけがない。とはいえ、リーナは謙虚だった。豪華な贈り物に心がときめくよりも、貰ってもいいのだろうかと不安になった。
レーベルオード伯爵家で着用するドレスも素晴らしく高価なものばかりだが、勉強用だと思うことで気にしないようにしてきた。
しかし、贈り物であるドレスを見ると、あまりにも贅沢過ぎるのではないか、自分に相応しいとは思えないと感じ、気にせずにはいられなかった。
「素敵でしょう?」
王太子から贈られたドレスは白だった。
王太子は女性への贈り物に慣れていない。贈り物をするとしても命令だけすればよく、細かい部分は担当の者が見繕う形にすればいい。
しかし、クオンは今後もリーナに贈り物をするであろうことを考え、勉強や経験を積むためにも自ら贈り物を選ぶことにした。
王族自身が贈り物についてだけでなく、細かい部分まで指定して選ぶのはかなりのことだ。それだけクオンが自分の気持ちを込めて贈りたいと思っていることも示していた。
ドレスのデザイン画を見るクオンは、最高機密の書類を扱う時よりも真剣な表情をしているように見えた。考えに考え、悩みに悩んでいるのが明らかだった。
ヘンデルは必死に笑いを堪え、アリシアは驚くべき変化だと感心した。
あそこまで真剣に選んでいた姿を見ていた者としては、ぜひともリーナには気に入ったと言って欲しいわね……。
アリシアは心の中でそう思いながら、リーナに尋ねた。





