465 自分なりの答え
その後、荷物をまとめたメイベル、最後にウェズロー子爵夫妻がそれぞれ帰って行った。
宿泊客の見送りと荷物の発送が終わる頃には、すっかり夕方になっていた。
「リーナ様、お部屋の確認をお願い致します」
「わかりました」
今回は披露の催しのために多くの部屋が使用されたが。普段はほとんど使用されない部屋もある。
客が通されるような部屋は非常に高価な美術品などを飾っている。毎日掃除されるような場所ではないこともあり、問題がないかどうかを確認した後はドアに鍵をかけ、締め切ることになっていた。
部屋の鍵は当主が管理している。部屋の最終確認は当主がすべきだが、レーベルオード伯爵は忙しい。跡継ぎのパスカルも同じく。
そこで、レーベルオード伯爵の側近が鍵を預かり、代理として最終確認をしていたが、その役目をリーナがすることになった。
宿泊用の客間は少し前に客が帰ったばかりのため、まだ掃除が終わっていない。しかし、舞踏の間や休憩用の部屋などはすでに掃除が終わった状態だ。
南館にある部屋の多くは催しの時や客が来た際に使用する部屋ばかりのため、パスカルの部屋がある西側付近以外は掃除後に確認し、順次鍵をかけて閉鎖する。
リーナは舞踏の間をぐるりと見渡した。
大勢の客がひしめき、優雅な音楽が流れ、煌びやかさで溢れかえっていた部屋はとても静かだった。
運び込まれた家具なども全て片付けられており、召使達が隅から隅まで掃除した後だけに何もない。
「……きれいですね」
リーナの口にした言葉の意味は、部屋が美しく飾り立てられているということではない。全てが片づけられて掃除されたという意味においてだ。
記憶の中にある華やかな風景との違いに、リーナはここで仮面舞踏会が行われたのはまるで夢だったのではないかと思うような気持になった。
リーナは唐突にセイフリードの言葉を思い出した。
お前はここに残り続けることはできない。
セイフリードの言う通り、リーナはいずれ入宮する。ウォータール・ハウスで一生過ごすわけではない。
レーベルオードでの生活を幸せだと感じ、愛着を持つほど、ここを離れるのが辛くなるだろう。
誰でも居心地のいい場所、幸せだと感じる生活から離れたくはない。離れなくてはいけないことがわかっていても、寂しさや辛さを感じてしまう。
立つ鳥後を濁さず。
立ち去る者は、その後が見苦しくならないようにする。物事の引き際は美しく、潔くあるべきだとする言葉だ。
入宮するための具体的な準備はレーベルオード伯爵やパスカル、召使達がしていた。任せておけばいいと言われ、その通りにしていた。
しかし、リーナにもできることがある。むしろ自分でなければできないことに気付いた。それは心のけじめをつけておくことだった。
リーナはなぜ、セイフリードが幸せだという答えを聞き、怒るようにして去ったのか、わかったような気がした。
セイフリードは怒ったのではない。懸念したのだ。
懸念が強かったため、怒っているように見えただけだった。セイフリードの気持ちや考えをリーナが正しく理解できていなかった。
セイフリードは優秀だ。とても頭がいい。だからこそ、幸せだと答えたリーナの気持ちと状況、そして、いずれ訪れる気持ちと状況さえもわかってしまった。
レーベルオード伯爵家で幸せな日々を過ごし、愛着を持つほど離れがたくなる。寂しさや悲しみ、迷い、場合によっては苦しみになるかもしれない。
だからこそ、セイフリードは立つ鳥跡を濁さず、入宮するまでに心のけじめをつけておけと言った。
それは、片づけられた部屋のようにすっきりとさせることに似ている。しかし、注意しなければならないことがある。
思い出を残すのはいい。だが、未練は残すべきではない。
心のけじめをつけるということは、レーベルオード伯爵家の屋敷で過ごした幸せな日々を否定することではない。何もかも全てを残さずに去るということでもない。大切な場所、美しい記憶や思い出としてとして残していい。
但し、未練を残してはいけない。なぜなら、未練が残ると後悔する。迷う。不安になる。前に進めなくなる。戻りたくなる。リーナを苦しませ、悲しませることになる。
迷わず王宮に帰れ。兄上と共に待っている。
王宮にはリーナを心から愛してくれるクオンがいる。そして、努力するリーナを認め、受け入れてくれるセイフリードもいる。王宮こそがリーナの住む場所だ。
セイフリード殿下は本当に頭が良い方だわ。何でもわかってしまう。そして……優しい。
セイフリードがリーナのことを考える必要はない。だというのに、セイフリードはそうしなかった。リーナがレーベルオードの元で感じる幸せ、やがて訪れる別れを見越し、わざわざリーナにわかるようにはっきりと言葉にした。
それはセイフリードの持つ心、優しさだとリーナは思った。
多くの者達はセイフリードの態度や言葉から受ける強く荒々しく厳しい印象から判断してしまう。
リーナ自身、セイフリードの本当の姿がわかるわけではない。強く荒々しく厳しい姿もまたセイフリードだ。
しかし、絶対にそれだけではない。静かに黙々と本を読む姿、リーナの失敗に苛立ち、睨みつつも我慢する表情、叱責や注意であっても実は思いやりや優しさが含まれた言葉、全部がセイフリードだ。
誰しも自身の全てを曝け出して生きているわけではない。
こんなにも優しいのにあえて優しさを見せない、隠そうとするセイフリードの生き方を、リーナは残念に思うものの否定はしたくなかった。
セイフリードは王族だ。そして、王宮という凄い場所にいる。本来であれば最も安全そうに思えるが、毒を盛られた経験がある。だからこそ、自分を守るための生き方を考え、実行している。
リーナの勝手な推測でしかないが、優しさを見せずに隠すことが自身を守ること、生きていくために必要、あるいは有効だとセイフリードは思っている。
セイフリードの選んだ生き方がどのようなものであれ、リーナはセイフリードの優しさを知っている。そして、大事にしたいと思っている。侍女ではなくなっても、その気持ちが消えることはない。
もしかしたら……お世話をする仕事ではなくなっても、セイフリード殿下の優しさを大事にしていくことが尽くすことになるかもしれない。
リーナは王族に尽くすということについて、自分なりの答えを見つけることができたような気がした。
そして、セイフリードの助言を無駄にしないためにも、入宮までの限られた日々の中で自分ができること、やるべきことを考え、心のけじめをつけることにした。





