450 一目だけ
仮面舞踏会から退出したリーナは、部屋に戻ったことで一気に疲れが出た。
腰が抜けたとは言わないまでも、一度座った後は力が入らないようにぐったりとしてしまった。
侍女たちに着替えも入浴もおまかせ状態。最終的にはベッドへと移動、そのまま眠りについた。
「起きてください!」
リーナは自分を起こしに来た侍女をぼんやりとした目で見つめた。
「……何時でしょうか?」
「四時です」
「えっ?」
思わずリーナは目を見開いた。
「十六時ですか?」
「いいえ。朝の四時です」
二時間程度しか寝ていない。
眠いはずだとリーナは思った。
「何か……予定があるのですか?」
リーナが知っている予定は宿泊客との昼食会と見送りだった。
「急ぐとのことですので、ガウンだけ着用されて下さい」
リーナはガウンを着用すると居間に移動した。
「起こしてしまって悪いね」
居間にいたのはパスカルとクオンだった。
「下がって」
パスカルは侍女を下がらせたあとに自らも退出した。
部屋にはリーナとクオンのふたりだけ。
すぐにクオンがリーナの側に来ると抱きしめた。
「私を嫌いになったか?」
リーナはクオンを見上げて尋ねた。
「なぜ、そのように思われたのですか?」
「……仕事を優先して会っていなかった。私が口づけた時も、ソファに座った時もよそよそしかった」
リーナはクオンの胸に寄りかかった。
「びっくりしただけです。それに、緊張もしていました。大勢の前であのようなことをしてもいいのかどうかもわかりませんでした。内密にするのではなかったのでしょうか?」
「確かに父上には内密にしろとは言われている。だが、いつまでたっても進展しない。私は我慢強いが、この件に関しては違う。我慢したくない」
リーナを抱きしめる力がより強くなった。
「私は王宮に戻る。宿泊する予定はない。できるだけ人目につかないように移動するため、時間をずらしただけだ。また会える。しばしの別れだ」
クオンはリーナに口づけた。
リーナが素直に口づけを受け入れたことに、クオンは安堵した。
「もう一度聞く。本当の気持ちを教えてほしい。私を嫌いになったか?」
「いいえ。心から愛しています」
クオンにとって最上の答えが返って来た。
心の中にくすぶっていた不安が消え去り、幸せな気分で胸が満たされていく。
「私も同じだ。心から愛している」
今度はリーナの胸が幸せで満たされた。
自分の想いを言葉に込め、素直に伝えあう。それだけで心は満たされ、幸せを感じることができる。
二人は互いの愛情を感じ合えた。
「起こしてすまなかった。ゆっくり休め」
「はい。お気をつけてお帰りくださいませ」
別れを惜しむように、クオンはもう一度リーナに口づけた。
そしてゆっくりと体を離し、力強い足取りで部屋を出て行った。
その姿を見送ったリーナは寂しくもあったが、また会えるというクオンの言葉と愛情が胸の中に残っていた。
会ったばかりなのに、またすぐに会いたくなってしまう……。
リーナがそう思っていると、ドアが開いた。
一瞬、クオンが戻ったのかと思ったが、姿をあらわしたのはパスカルだった。
「おやすみ、リーナ」
「おやすみなさい。お兄様」
パスカルは優しく微笑むとドアを閉めた。
恐らくはクオンを見送りにいったのだろうとリーナは思った。
「もう一度お休みくださいませ。昼食会まで予定はありません。今のうちに休んでおいた方がよろしいかと」
部屋に戻って来た侍女たちに促され、リーナは再び寝室に戻った。
「おやすみなさいませ」
「おやすみなさい」
リーナはもう一度眠るために目を閉じた。
しかし、クオンのことが気になってしまう。
クオン様がわざわざ会いに来てくださるなんて……会いたい。すぐに。こんな気持ちになってしまうなんて……。
リーナは感激のあまり、なかなか寝付くことができなかった。
レーベルオード伯爵家の仮面舞踏会は土曜の夜に行われたため、翌日は日曜日。
レーベルオード伯爵もパスカルも休みだったが、本当に休むわけにはいかない。
身分の高い宿泊客をもてなさす役目があった。
昼食会の出席者はレーベルオード伯爵家の三人、王子たち、他国人とウェズロー子爵夫妻。
メイベルは自身の身分の低さを考慮して昼食会を遠慮し、デイジーの子守を申し出た。
「兄上はいないのですか?」
エゼルバードはクオンが先に帰ったことを知らなかった。
「宿泊の予定はありませんでしたので、お帰りになりました」
「そうですか」
いつもであれば残念がるエゼルバードだが、今回は事情が違う。
自分でもかなりの我儘を通したと自覚しているだけに、兄に注意されずに済んだという安堵の方が大きかった。
「ウェズローも宿泊していたのですか?」
「はい。妻が色々と協力しておりまして。僕は娘の子守として同行しました」
「ウェズロー伯爵家の者なんだ?」
ウェズロー伯爵家は輸送関連の事業をしているため、国内外で知名度が高い。
ルーシェはウェズローの名前や事業については聞き覚えがあった。
「こちらはウェズロー伯爵のご子息と奥方、ウェズロー子爵夫妻です。レーベルオード伯爵家には長い間女性が不在でしたので、ウェズロー子爵夫人にご協力いただいております」
「ジェフリー・ウェズローと申します。妻のアリシア共々、高貴なる方々と同席させていただけますことを大変光栄に思っております」
「へえ、君が跡取りか。ウェズローの名前は知っているよ。ウェズレイの方が有名だけど」
「ありがとうございます」
「時々間違える者もいる。ウェズレイ伯爵家だとね。似ているから」
フェリックスがそう言うと、ジェフリーはその通りだと言わんばかりの表情で頷いた。
「よく言われます」
「僕たちが誰か知っている?」
質問をしたのはフェリックスだった。
「知っております。ご無礼があると困りますので」
「僕はフィリーだ。今回はその名前でということになっている。こっちは友人のルーだ。本名は控えることになっている」
「かしこまりました。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「ウェズロー子爵はいつまでいるの? 今日まで?」
フェリックスの質問に対し、ジェフリーは丁寧に答えた。
「いいえ。明日までおります。妻がお役御免にならないと戻れません」
「先に戻ればいい」
「無理です。僕も娘も妻がいないと死んでしまうほど寂しくなってしまうので」
「娘はともかく、ウェズロー子爵が寂しがるのは微妙だな」
フェリックスの意見にルーシェも同意した。
「そうだね。ところで娘は何歳? 名前は?」
「まだ非常に幼く、ご興味を持っていただくような年齢ではありません」
ジェフリーは笑顔を浮かべつつも、やんわりとデイジーのことを教えるのを拒否した。
「予防線を張られた?」
ルーシェが苦笑しながらそう言うと、ジェフリーはにこやかに答えた。
「よくおわかりで」
「でも、僕やフィリーは優良物件だよ?」
「現時点では一人娘ですので、婿養子になる可能性もあります。ですが、他国の方は対象にできません。資産を国外に持ち出されるのも困りますし、物流業界への影響も懸念され、国王陛下からの婚姻許可がでないと思われます」
「じゃあ、セイフリードはどう?」
「ご本人の前でお答えすることはできません。お察しくださいますようお願い申し上げます」
はっきりとは答えないものの、第四王子との縁談は遠慮したいということが明らかな返事だった。
「セイフリードは人気がないね」
「そうですね」
「対象外がほざくな!」
セイフリードが不機嫌そうに叫んだが、フェリックスとルーシェはおかしそうに笑い合った。
「セイフリードも対象外です」
「はっきり言われないだけで、結局は同じだよね」
昼食会の雰囲気を心配していたリーナだったが、会話については大丈夫そうだと感じた。





