442 ダンスの相手
「リーナ」
セイフリードに名前を呼ばれたリーナは緊張した。
今夜は仮面舞踏会のため、任意ではあるものの、三十歳以下の未婚の者は仮面を着用することになっている。
リーナも条件にあてはまるため、白いレースで作られた仮面を被っていた。
目元や鼻などの周辺を隠してはいるものの、透け感があるために完全に顔を隠しているともいえない。
顔を披露するお披露目の催しだというのに、完全に顔を隠すような仮面をつけるのはおかしい。
そこでお洒落な女性に人気を博しているレースの仮面をつけることになった。
「踊れるか?」
「はい」
リーナの視線はセイフリードのすぐ側にいるクオンに向けられたが、クオンは何も言わない。
未成年であるセイフリードの保護者として同伴しているようだった。
「次の曲の相手を務められるな?」
「はい」
「では、手を差し出せ」
手を差し出す?
リーナは困惑した。
普通は男性が先にエスコートやリードをするという意思表示で手を差し出し、それを女性が受けるという形で手を出す。
女性であるリーナが先に手を出すというのは、相手に手を取ってほしいという意志表示になる。
ねだるような行動になってしまうため、相手の身分が高い場合は無礼になりかねない。
それがリーナの教わった礼儀作法だった。
「でも、それでは」
「さっさと手を差し出せ!」
言う通りにすればいいの?
リーナは手を差し出した。
ところが、セイフリードはすぐにその手を取ろうとはしなかった。
「社交界は賢い者が大勢いる。巧みな言葉で次のダンスに誘うような事を言うが、実際は代理の場合もある」
いきなり解説が始まった。
「代理であることを悟られる前に手を出すよう伝え、本当に踊る者がその手を取る」
次の瞬間、リーナの差し出した手が取られた。
「踊るために手を差し出している以上、手を取った相手と踊らなければならなくなる」
リーナはゆっくりと顔を上げた。
リーナの手を取ったのはクオンだった。
「勉強になっただろう。では、次の勉強だ。足を踏んだら怒りそうな僕ではなく、寛大で慈悲深い者のダンス相手を務めろ」
セイフリードは珍しく口角を上げた。
「兄上は久しぶりに踊る。足を踏まれるのはお前かもしれないが、我慢しろ」
ええーーーーーー!!!
リーナは驚きに目と口を開けたあと、クオンと踊ることになった。
三曲目が始まった。
舞踏の間にいる者達の視線はリーナとクオンに集中した。
デビューの時に王族と踊れるほど栄誉なことはない。
しかも、王太子。
誰もが羨む大栄誉をリーナは与えられた。
「音楽に合わせなくてもいい。私に合わせろ」
クオンのリードは確かにゆっくりだった。そのため、リードに合わせると音楽に遅れていく。
リーナは言われた通りクオンのリードに合わせた。
一、二、三……。一、二、三………。
段々とリーナはクオンのペースがわかってきた。
クオンは三拍子の後に休憩するように時間をじっくりかける。
通常は連続の三拍子だけに、間が開く。
「なぜ、一つ一つを確かめるようにゆっくりと踊るかわかるか?」
「私が下手だからでしょうか?」
「違う。他の者と同じように踊るのはつまらないからだ」
リーナは意外だと思った。
クオンであればきっちりと音楽に合わせて踊りそうだった。
「私は王太子だ。踊りたいように踊ることができる」
クオンが美しいダンスを踊る必要はなかった。
なぜなら、王族が踊ることの方が重視される。
普通の者のように音楽、ダンス、作法に合わせなくてもいいということが特権の一つでもあった。
「私にうまく合わせている。十分踊れるようだ」
「そんなことはないです。基本通りにしか踊れません」
「私も同じだ。基本以外は覚える必要がない。踊ることがほとんどない」
執務ばかりで仕事中毒といわれる王太子らしい発言だとリーナは思った。
「この曲は長くない。そろそろ普通に踊ってみるか?」
リーナはくすりと笑ってしまった。
「なんだかおかしな気持ちですが、普通に踊るのが普通なのに、今は違うみたいです」
「では、普通で特別なダンスにする。三拍子のあとにターンだ」
ああ、それで間をとる練習を。
クオンが普通に踊らなかった理由をリーナは理解した。
連続の三拍子で踊ると、移動しながらターンをすることになる。
だが、三拍子のあとにターンの時間を取れば、移動する必要はない。
その場でターンをすればいいだけだった。
フワリフワリと美しいドレスが軽やかに舞う。
人々の視線はリーナとクオンの二人、そして、何もかも独占するかのような軽やかなターンを繰り返す美しく華やかな踊りに向けられていた。
リーナとクオンが踊り終わると、盛大な拍手が起きた。
これは連続するダンスが終了したことと、踊り終えた者への賛美とねぎらいの意味がある。
クオンに促され、リーナは人々の拍手に応えるように深々と一礼した。
「素晴らしかった」
「ありがとうございます」
人々の拍手をじっくりと堪能するかのように、クオンはその場を離れなかった。
通常は踊り終わると、次に踊る者のために速やかに異動するのがマナーになる。
クオン様と踊る時は普通じゃないというか、特別な作法になるのかも?
リーナは少しずつ社交のダンスをしているが、それは通常かつ貴族のためのもの。
王族であるクオンに対しては違う勉強が必要そうだとリーナは思った。
クオンは他の者がダンス用の場所を離れたあとになって、リーナに手を差し出した。
リーナがそれに応えようと手を出すと、クオンは迷うことなくリーナの手を強く引いた。
突然のことに、リーナはバランスを崩してしまう。
「あ……」
だが、すぐにクオンが支えるようにリーナを抱きしめた。
「申し訳ございません!」
そう言ってリーナがクオンを見上げると、クオンの顔があっという間に近づいた。
二人の唇が重なる。
予想外の事態に、会場中の息が止まりになった。





