441 ファーストダンス
クオンが手を挙げたことでようやく拍手が収まり、司会役のマーカスは内心安堵しながら言葉を発した。
「それでは、これより仮面舞踏会を始めさせていただきます」
「音楽を!」
レーベルオード伯爵の命令と共に、仮面舞踏会の開始を告げる華々しい音楽が鳴り響いた。
そして、音楽はワルツへと変わっていく。そのワルツの題名は「仮面舞踏会のワルツ」だった。
「さあ、行こう」
リーナの手を取ったのはパスカルだ。
記念すべきリーナの社交デビューにおけるエスコート役とファーストダンスの相手を務めるのは兄のパスカルだった。
リーナの嫁ぎ先は内定しているものの、公表はされていない。だからこそ、兄のパスカルがエスコート役とファーストダンスの相手を務めることになった。
パスカルは妹のデビュー時におけるエスコート役を務めることを、昔から夢に見ていた。
第四王子ばかりか最終的には王太子まで来ることになったものの、エスコート役に関する変更はなかったため、心の底から喜んでいた。
「足を踏んでも大丈夫だよ。僕は顔に出さないからね」
「踏まないように頑張ります」
リーナは舞踏会が迫った数日前になってからダンスの練習をした。上手に踊る必要はないものの、間違えていいわけでもない。
決められた順序に動くということは理解しており、それさえ間違えなければ一応は踊れているという評価になることもわかってはいるものの、ダンスは順序通り決められた動きを繰り返すだけではうまいとはいえない。
リーナはどうしても足の順番と曲のテンポに合わせることに気を取られ、優雅に軽やかに笑顔を浮かべながら踊ることができなかった。
自分のダンスが優雅な淑女のダンスではなく、順番通りに基本的なステップを繰り返すだけのてきぱきダンスだと自覚しているが、それでもいいと言われていた。
なぜなら、ダンスは一人でするものではない。女性と男性とでするものだ。相手を務めるパスカルがリーナを助ければよかった。
ダンスにおける男性のリードは非常に大切だ。勿論、男性のリードがよければ女性のダンスはどうにでもなるというわけではない。女性がしっかりとダンスやステップについて理解していることが必須条件だ。
リーナはダンスのステップについての理解はしている。事前に打ち合わせもした。後はパスカルに指示された通りにすること、ステップを間違えないこと、この二つだけをなんとかこなせばいい。
リーナの表情が硬くても構わない。その分、パスカルがいかにもダンスを楽しんでいるという笑顔をふりまき、華やかさを加える。
リーナの動きが優雅でなくても、パスカルがうまく合わせながら自分の仕草で緩急や優雅さを周囲に印象付ければいい。
軽やかにという部分に関しては、ドレスが助けてくれる。
パスカルが選んだデザイナーも仕立屋も一流の者達だ。優雅で軽やかなダンスができないリーナのために、動くだけで優雅さや軽やかさを感じさせるようなエレガントなドレスを作り上げた。
「とてもいいね。上手だ」
パスカルは物語に出てくる王子のような笑顔を浮かべながらリーナを褒めた。
「もうすぐ終わりだ。少しだけ頑張ろうか」
同じ動作ばかりでは無難過ぎる。競技ダンスではないため、あらかさまに見せつけるような技巧的なダンスをする必要はない。技巧的なダンスはかえって邪魔で迷惑と思われることもある。
しかし、主役となれば別だ。印象付けるためのアピールとして、技巧的なダンスをすることもある。
リーナはパスカルのリードに合わせ、片手の先でくるりと一回転をした。
「うまくいったね」
「お兄様のおかげです」
リーナも今のターンは良かったと自分で思えるような動きができた。ダンスの先生がいれば、手を叩いて喜びそうな気もした。
軽やかに揺れるドレスのおかげで、自分も軽やかに踊れるような気分になっていた。
最後まで、リーナはステップを間違えることもパスカルの足を踏むこともなかった。
美しく踊ることができたかどうかはわからないが、明らかに失敗だと思えるようなことがないまま踊り終えることができたため、リーナは心からほっとした。
「無事終わって良かったです」
「そうだね。でも、次もある。もう少し頑張ろう」
リーナはその一言に表情を引き締めた。
「頑張ります」
開始と同時に始まるワルツは三曲が連続して演奏される予定だった。
リーナは踊りが得意なわけではないため、連続して踊る予定はない。
ファーストダンスをパスカルと踊り、二曲目は父親の元に戻って報告しつつ休憩を取る。そして三曲目にもう一度踊る。それで今回の催しにおけるダンスは終了することになっていた。
養女としてお披露目をする以上、また、舞踏会である以上は踊らなくてはならない。しかし、一回だけでは披露するというのに少なすぎる。かといって、沢山踊ればいいわけでもない。
どの程度リーナが踊るのかということに関しては事前に綿密に話し合われ、二回ということが決定していた。
そして、二回目のダンスの相手はセイフリードがすることになっていた。
「足を踏んだら大変です……」
セイフリードが怒りだすかもしれないと思うと、リーナは一気に不安になった。絶対に足を踏むわけにはいかない。そう心の中で自分に言い聞かせる。
「大丈夫だよ。立っているだけでもいい」
パスカルはそういって微笑んだが、リーナはまったく大丈夫だとは思えなかった。そして、立っているだけでは絶対に駄目だということもわかっていた。
二曲目のワルツの終盤、セイフリードは席を立った。
セイフリード達の席は壇上にある。視察用の特別席になるため、一般の招待客は一切立ち入ることができない。
ワルツは三曲連続して演奏されるため、三曲目に踊るつもりであれば、二曲目の終盤には相手の元に行く必要がある。
「踊るのですか?」
声をかけたのはフェリックスだった。
フェリックス達は同じく壇上に設けられた特別席にいるが、社交は禁止になっている。壇上から観覧するだけという約束のため、ダンスはできない。話したいと思うような貴族などを側に呼ぶこともできない。
「踊れるの?」
からかうようにそう尋ねたのはルーシェだった。
ミレニアス訪問の際、セイフリードは踊っていない。踊るのは嫌いだと言っていただけに、セイフリードが踊ることを二人は興味しんしんとばかりに見つめていた。
そして、踊る相手が誰なのかも予想がついているだけに、ますます興味が湧いた。
「黙って見ていろ」
セイフリードが答えると、もう一人の者が席を立った。
フェリックスとルーシェは驚いた。
「え?」
「あれ?」
フェリックス達と反対側の席に座っている者達も驚いていた。
セイフリードの後に続いて立ち上がり、共に移動をしたのは王太子だった。
第四王子の後見人は王太子であることは誰もが知っている。そして、未成年の者がダンスをする場合は保護者の許可が必要でもある。
視察をするセイフリードがダンスをするのであれば、すでにそのことは事前に通達されており、許可は取っているはずだ。わざわざ後見人である王太子が同行し、ダンスを申し込む相手などを確認する必要はないように思えた。
ダンスの予約をしていないのか?
経験を積むために、最も正式な形で申し込みをするということなのか?
セイフリードに相手を選ばせるということなのか?
頭の中で様々に考える者達が続出した。





