438 最上の判断
「ご案内申し上げます。この後お過ごしいただく部屋は複数ございます。まずはシガールーム。喫煙はこの部屋のみとなっております。次にビリヤードルーム。大応接間。こちらには仮面舞踏会にご出席されるお客様が多数ご到着しております。待ち合わせなどをされている方はご注意下さいませ」
侍従は少し間をおき、最後の部屋について説明した。
「どうしてもお時間がないお客様に関しましては、特別な待合室にご案内致します。現在、正面玄関は来場されるお客様で非常に混雑しております。そのため仮面舞踏会が始まりましてから三十分後、順次馬車を用意し、ご案内することになります」
晩餐会だけ出席して帰ることを検討していた宰相は眉間にしわを寄せた。
仮面舞踏会に出席するための客が続々と到着する中、帰る者がいる姿を見せつけられたくない。そこで、帰りの馬車を用意するのは仮面舞踏会が始まった後になるというのは理解できる。よくあることだ。
但し、どうしても急ぐ客がいる場合は裏口などを利用できるような配慮もされるのが普通だった。
宰相はレーベルオード伯爵に尋ねた。
「裏口はあるのか?」
「別の出入口は一切利用できません」
レーベルオード伯爵は丁寧に答えた。
「現在、レーベルオード伯爵家には高貴な方々をお迎えしております。そのため、警備の最高責任者は私ではなく国軍の最高責任者になり、正面出入口と正門以外は全て封鎖されます。どうしてもいうことであれば、国軍の最高責任者と直接話し合っていただくしかありません。ですが、高貴な方々の安全が優先されるかと」
王族が極秘に来場していることから、警備の総責任者はレーベルオード伯爵ではなくレイフィールになり、レーベルオード伯爵家や客よりも王族の安全確保を優先する体制になる。
当然のことではあるが、このまま足止めされれば王宮に戻るのはかなり遅い時間になる。
レーベルオード伯爵家と王宮の仮面舞踏会の開始時間が同じということ、王宮とレーベルオード伯爵家の屋敷との距離があるということが、掛け持ちでの出席を不可能とはいえないまでも難しくしていた。
宰相は少しだけ考えると、口を開いた。
「伝令は送れるのか?」
「可能です。しかし、国軍の最高責任者の判断によっては手紙や伝言の内容を確認されるかもしれません。そのことはご了承いただきたく思います」
王族の安全を確保するためには仕方がないということは理解できるものの、伝令に託す手紙や伝言まで検閲されることをよく思うわけもない。
かといって、レーベルオード伯爵に文句を言うわけにもいかない。それはレーベルオード伯爵家が決めたことではない。王族やその警護の関係者が決めたことだ。
文句を言うのは八つ当たりでしかなく、器量の狭さを披露してしまうことになる。
「……私は非常に忙しい身だ。仮面舞踏会の開始から一時間後に退出する。その旨を王宮にいるエドマンドに知らせて欲しい」
「わかりました」
レーベルオード伯爵と宰相の会話には大食堂にいる全員が耳を傾けていた。
そして、宰相の判断は最上だと思った。
このような催しに参加した場合、一時間程度は滞在するというのが基本だ。つまり、三十分しか滞在しないのでは顔だけ見せたということになり、出席しても礼儀を失することになる。
極秘とはいえ王族が四人も出席している催しにおいて、自分の都合で早々に立ち去るというだけでも十分に無礼な行為になりかねない。
また、王宮に戻って国王の側に控えるためという理由では、正当な退出理由にはならない。王宮の催しと掛け持ちする気だということが明らかなため、完全に無礼な行為だと思われるだけだ。
王族にもレーベルオード伯爵家にも無礼な行為をした。それが宰相であれば、臣下最高の地位にある者としてふさわしくないと非難される材料になる。
現在、宰相は王家予算と統治予算に関する件で王太子と協力し合っている。王太子が出席する場での失態や王太子の意向を妨害となるような行為はできない。
だからこそ、宰相はすぐに帰るという選択肢を放棄し、レーベルオード伯爵家の催しに参加することにした。
「パトリック、さっさと伝令を手配して来い」
そう言ったのは内務大臣のザルツブルーム公爵だった。
「では、失礼を」
レーベルオード伯爵が大食堂を退室すると、宰相は内務大臣に話しかけた。
「うまく逃がしたな」
宰相の言葉に内務大臣はにやりとした。
「伝令を出せと言ったのはお前だ。お前がうまく逃がした」
レーベルオード伯爵は主催者だ。自分よりも上となるような者達が大勢いる場を抜け出すのは簡単ではない。できるだけその場にいて歓待すべきだと思われる。
しかし、レーベルオード伯爵家が招待している客は他にも大勢いる。主催者だからこそ、屋敷の者や警備の者からの報告を受け、指示を出さなければならないこともある。
それを見越して、宰相や内務大臣はレーベルオード伯爵に退出させる機会を与えるつもりだった。
「エドマンドはかなり機嫌が悪くなるだろう」
宰相は小さな声でつぶやくように言ったが、内務大臣の声ははっきりとしていた。
「社交嫌いだからな」
国王府をまとめる国王首席補佐官のエドマンド=クワイエル公爵は大の社交嫌いだ。
今回は宰相がいないため、仕方なく国王の側に控えることになった。だが、本意ではない。他の者になんとか押し付けようとしたものの、それができなかった結果だった。
多くの者達はレーベルオード伯爵家の催しに参加すると返事をしていた。エドマンド自身もその一人だった。
ところが、急きょ王宮の舞踏会の日程が変更されることになった。
国王の側に誰かが控えなければならない。宰相がいないとなれば、首席補佐官が控えるべきなのは当然となる。
王宮行事の日程変更に関する混乱の責任を取るという名目もあって、エドマンドはしぶしぶレーベルオード伯爵家に欠席せざるを得ないという連絡をした。そして、道連れとばかりに国王府に属する側近達にも欠席するように言った。
元々身分主義者や身分主義的だと言われる者達は招待されていないが、能力主義者や能力主義的であっても、国王府関連者達は欠席し、宰相府やその他の中央官庁関係者が出席することになった。
レーベルオード伯爵は内務省勤務ではあるものの、レーベルオード伯爵家主催の催しに出席する者達は、現在審議中の王家予算と統治予算の案件について国王府と対立する王太子府と宰相府以下中央省庁の結束を反映しているかのようになってしまった。
「これほどの者達がいるというのに、時間が勿体ない」
「実は私もそう思っていた」
内務大臣は相槌を打った。
「仮面舞踏会が始まるまで、まだ時間がある。少し話さないか?」
内務大臣が提案したのは社交的な会話をして時間を潰すことではない。現在審議中の王家予算と統治予算についての意見交換、臨時の会議だった。
「悪くない」
内務大臣はすぐに食堂に控えている侍従を手で呼んだ。
「少人数で話し合いがしたい。どこか部屋を用意して貰えないか?」
「かしこまりました。では、ご案内致します」
侍従が恭しく頭を下げると、宰相は声を張り上げ、同行させる者達の名前を呼んだ。その後、内務大臣も同じようにする。
どう考えても宰相と内務大臣が政治的な話し合いをするということが部屋中に知れ渡った。
「私は同席するなということか?」
不機嫌そうな発言は財務大臣のものだった。勿論、それに続いて不満げな者達が続々と集まる。自分達も話し合いに参加させろという意思表示なのは明らかだった。
「宰相府と内務省の話合いだ」
「それはいつでもできる。財務省も混ぜろ。どうせ予算の件だろう?」
「待て。これだけ多くの者達がいるのだ。合同会議にしよう」
予算の話となれば、誰もが自分達の意見を反映させたいと考える。そのためには会議に出席する必要がある。
「……どうする?」
内務大臣は最終判断を宰相に委ねた。
「確かにこれだけ多くの者達がくだらない社交話に時間を割くのは無駄だ。合同会議にするか」
「少人数とはいえなさそうだ」
内務大臣は侍従に向かってそう言うと、侍従は心得たという表情で頷いた。
「かしこまりました。お部屋にご案内致します」
大食堂にいる半数程度の者達は宰相を先頭に別室へと移動した。





