431 完璧な支度
十五時になった。
王宮及びレーベルオード伯爵家周辺は特別な催しに備え、臨時の交通規制や周辺の立ち入りに関する制限及び封鎖を始めた。
王宮で催しが行われる際は数時間前から臨時の警備体制を整えるための命令が順次発動する。急激に周辺の封鎖や交通規制などをすると道路が混雑し、問題の発生率が高まるため、時間をかけて徐々に制限する。
今回は第四王子がお忍びで外出する予定も組まれている。目的地は王都内ではあるものの距離がある。そのため、十五時をもって発令することが予め決定していた。
リーナは主役として完璧な身支度をしておかなくてはいけなかった。そのため、十五時になった瞬間、身支度を整える準備に入った。
アリシアとメイベルが見守る中、リーナはレーベルオードの侍女達によって隅々まで磨き上げられ、更にはこの日のために用意された特別なドレスに着替え、リーナを象徴するともいえる特別な宝飾品を身につけた。
「いかがでしょうか?」
自信満々にリーナ付きの侍女長コルティアが尋ねると、最終チェックを終えたアリシアとメイベルが言った。
「駄目ね」
「直さないとね」
レーベルオードの侍女達は自分達の仕事に誇りと自信を持っていたが、元王太子付き筆頭侍女のアリシアや第四王子付きの侍女をするメイベルから見れば、全くなっていない状態だった。
しかし、それを途中で細かく注意しても、何が悪いのかがわかりにくい。いちいちうるさいと思われ、不満が募るだけということもわかっていたため、あえて何も言わずに最後まで支度させ、その後で一気に駄目出しをすることにしたのだった。
「私はレーベルオード伯爵からリーナの身支度について、完璧にして欲しいと頼まれているわ。だからこそ、こんな感じでも大丈夫かしらとは言えない。全てが完璧な状態でなければいけないのよ。元王太子付き筆頭侍女としても、中途半端な仕事は認めないわ!」
アリシアは元王太子付き筆頭侍女のプライドにかけて宣言した。
「こうなることはある程度予想していたわ。なぜなら、レーベルオード伯爵家には長らく女性がいないこと、レーベルオード伯爵にとってリーナは初めての娘になるからよ。扱いが難しく、どのようにすべきかわかりにくいのは当然だわ。だからこそ、私が頼まれたのよ!」
アリシアは毅然とした態度で侍女達に強い視線を送った。
「コルティア」
「はい」
「なぜ、このような装いにしようと思ったのかしら?」
アリシアの質問にコルティアは答えた。
「ドレスのデザイン画を元にしております」
「そうね。私もそれを事前に見ているわ。そして、デザイン画通りのドレスや小物が仕上がっていることも、検分しているので知っているの。では質問するけれど、リーナの当日の化粧や髪形に関するデザイン画、あるいは事前に打ち合わせをして決まった内容に関する資料などはあるのかしら?」
コルティアは瞬時に表情を変えた。
デザイン画があるのは特別にあつらえるドレスやドレスに合わせた小物に関するものだけだ。仕立屋などに発注する際はそれで完成作品がどのようなものになるのか事前にチェックする。
しかし、化粧や髪形は商人などに発注するわけではない。デザイン画はない。事前にどのような化粧にするか、髪形にするかは侍女達で簡単に話し合われるが、基本的には衣裳に合わせて当日作業するということの確認だけに過ぎない。
細かくどのような化粧や髪形をすると決定したような資料などはない。
「何が間違っているのかわかったかしら?」
「……申し訳ございません」
コルティアは完全な失態に気づき、深々と頭を下げた。
「全員にわかりやすくはっきりと確認して貰うために説明するわ。ドレスや小物はデザイン画で完成した姿が事前にわかるわね? それを見て、どのような髪形や化粧にするか考えることができたはずよ。でも、リーナの化粧や髪形に関する完成した姿がわかるような資料はない。当日衣裳を着用させ、それに合わせて臨機応変に対応するということなのでしょうけど、それは臨機応変ではないわ。手抜き、準備不足、失態よ!」
アリシアはレーベルオード伯爵家の侍女達を厳しい口調で叱責した。
「最高の状態に仕上げるためには、事前に何度も打ち合わせ、試行錯誤の上で一番いいものを決めなければいけないわ。そして、このような化粧や髪形に決定したということがわかるように書き記したものや絵で示すような資料を作って用意しなくてはいけないのよ。当日はその資料を見ながら支度して、おかしい点やよくないと思われる部分は臨機応変に対応する。これが正しいやり方よ。だというのに、資料が何もないなんておかしいでしょう!」
アリシアはレーベルオード伯爵やパスカルからだけでなく、王太子からも内密に万全を期して支度をするように命令されていた。万全を期さないわけにはいかない。
「レーベルオード伯爵と子爵、リーナは衣装や小物をプロのデザイナーに任せた。だから、デザイナーは完璧なものがこれだとわかる資料を用意した。実際に完璧にデザイン画通りの実物も用意した。では、化粧と髪形は誰が任されたの? デザイナーには任されていない。だから、デザイナーは何も用意しない。任されたのはリーナ付きの侍女達よね? だったらリーナ付きの侍女達が資料を用意し、化粧品や必要なものを揃えることになるわ。資料がないのに、よく揃えられたわね? それだけレーベルオードの侍女達が優秀だと褒められると思ったら大間違いよ!」
アリシアは容赦しなかった。ドレスのデザイン画を手に取り、侍女達に突き付ける。
「ここにはドレスのデザイン画があるわ。ドレスだけでなく、それを着用した女性の姿がなんとなく描かれてもいる。でも、デザイナーはこの髪形が最高にいいと思って描いたわけではないの。なんとなくありがちな髪形を描いたのよ。ドレスのイメージをわかりやすくするためにね。デザイナーはドレスのプロであって、髪形のプロではないの。その証拠にティアラを見なさい! 適当なティアラよね? デザインも大きさも違うわ。ドレスはこの髪形やティアラに合わせてデザインされたわけではないのよ!」
アリシアの説明に侍女達は自分達の間違いを次々と思い知ることになった。
「化粧に関してはまったくわからないわ。顔がないものね? だというのに、これを参考にして髪形や化粧を整えたですって? これが王族付きの侍女だったら、全員クビよ! 最悪の場合は不敬と見なされて投獄よ!」
アリシアはかなりの剣幕でデザイン画を大きく振った。
「これはもう必要ないわ。必要なのは別の資料よ。メイベル」
「これが必要よ」
メイベルはポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
「折れ線がついてしまったけれど、今日のための資料よ」
「これは私やメイベル、王宮で衣装や化粧、髪形を担当する専門家達が自らの能力とプライドをかけて話し合った内容について書かれたものよ」
王太子がリーナのデビューする際の装いについて気にしていたことから、アリシア達はリーナのドレスや小物のデザイン画を衣装や小物などを担当する王宮の専門家達に見せ、様々に相談していいことになっていた。
そこで、アリシアとメイベルは何度も打ち合わせをして意見を出し合い、完璧な支度を整えることができるように資料を作成していた。
「ここには前、側面、後ろについても細かく書いてあるわ。前からだけでなく、どこから見ても美しいと思えるようにしなければいけない。当日の支度の際、忘れたり見落としたりしないように全て書かれているわ」
「絵もいれるとよりわかりやすいわね。何枚にもすると一枚だけ足りないという事態になりかねない。そうなると、足りない部分のところがわからない。だから、小さく書いて一枚にまとめてきたの」
メイベルは紙に描かれた部分を指で示した。
「私とアリシアはこれを参考にして、レーベルオードの侍女達が考えた案と見比べ、どうするのが一番いいのかを判断し、調整することになっていたのよ」
アリシアはメイベルの説明に頷いた。
「残念ながら、レーベルオードの侍女達は資料を用意していなかった。これでは見た目は整っているように見えるけれど、この日のために十分に検討され、完璧な装いにするために決定されたものとは言えないわ。レーベルオード伯爵に完璧な支度をしたと報告するわけにはいかない」
「私達が王宮にいる専門家達と話し合ったものに変更するしかないわね。これなら十分に検討し、専門家の意見も交えて完璧な支度をしたと報告できるわ」
「何がいけないのかわかったわね?」
「……はい。大変申し訳ございません」
「今日は何が何でもリーナを完璧な状態に仕上げるしかないの。急ぐわよ!」
侍女達はメイベルの持つ紙を見て驚いた。そこには細かく化粧の仕方や髪形について書かれているだけでなく、見てもわかりやすいように絵で示されていた。
確かにこういった資料があれば、完成した髪形や化粧がどのようなものかがはっきりとわかる。当日はその通りに仕上げればいいだけだ。
侍女達が化粧と髪形をやり直す間に、アリシアとメイベルはリーナに様々に質問した。
「リーナ、今日のドレスはかなりぴったりとしているわ。苦しくないかしら?」
「大丈夫です」
「食事や飲み物を多少取ることができる余裕もあるかしら?」
「はい」
「靴はどう? ヒールは低めだけれど、つま先やかかとのフィット感を確かめて」
「大丈夫です。事前に確かめています。当日、おろしたてて靴擦れを起こしたくなかったので少しだけ履きならしておきました。自分で調整しています」
リーナがそう言うと、アリシアは微笑んだ。
「リーナは本当に成長して色々なことを自分でできるようになったわね。素晴らしいわ。でも、これからはできるだけ侍女にさせなさい。自分でしてしまう方が早くて効率がいいと思うかもしれないけれど、人にさせる、学ばせるということが重要ということもあるの。リーナが髪形を自分で整えなくても侍女がすれば、その間にリーナは別の者の作業を確認したり、指示を出したりできるでしょう? 身分が高い者、上位の者だからこその立場、役割があるのよ。リーナはレーベルオード伯爵令嬢だもの。その身分や立場にふさわしいことをしていかないと。わかるわね?」
「……はい」
侍女達の作業が終わると、アリシアとメイベルで細かくチェックしながら、更に資料と見比べつつ、問題がないかを確認した。
侍女達はその様子を見ながら、事前にきちんとした資料を用意しておくということが非常に重要なことだということを実感した。
「よさそうね。そっちはどう?」
「大丈夫よ」
アリシアは自分だけでなくメイベルの確認も問題ないことがわかると、侍女達に視線を向けた。
「これで支度はできたわ。先ほどの姿を思い出して欲しいけれど、全く違うわね? 単に髪形や化粧の仕方が違うというだけではなく、最新の流行を取り入れつつ、リーナらしさを強調するようなものにしているわ。今日はリーナにとって一生を左右しかねない大切なお披露目よ。私達は全力でそれが素晴らしいものになるように手伝うのが役目だということを忘れてはいけない。当日だけでなく、その前から準備をしっかりすることもね」
「おっしゃる通りでございます」
「普段の着替えに関しても同じようにしなさいとは言わないわ。ここは王宮ではないし、リーナは王女でもない。レーベルオード伯爵家のやり方もあるでしょう。でも、とても大切な予定がある時は、しっかりと資料を準備しておけば、当日は細かい部分も見逃さずに万全を期せるわ。厳しいと思うかもしれないけれど、これが一流の侍女がすべきことよ。様々な知識や技術を会得したと思っても流行は変わる。新しい技術も次々と出てくるでしょう。これからも精進して頂戴。レーベルオードに仕える者達であれば必ずできるわ」
「ウェズロー子爵夫人、本当に申し訳ございませんでした。そして、真にすべきことを勉強できたことに対し、多大なる感謝を申し上げます」
コルティアが深々と頭を下げると、他の侍女達もそれに倣った。
全員がアリシアを尊敬し、さすが王太子付き筆頭侍女を務めた女性だと思っていることは明らかだった。
アリシアは謝る相手は自分ではなくリーナだと思った。しかし、時間がない。優先すべきは、この後の予定をしっかりとこなすことだった。
「レーベルオード伯爵に支度ができたと伝えてくるわ。でも、気を抜かないで。本当に支度が終わったわけではないわ。これは晩餐会用の支度よ。晩餐会が終わった後は舞踏会用の支度を急いでしなければならないのはわかっているわね? ドレスや宝飾品の変更はないけれど、食事でドレスを汚してしまったら着替えなくてはいけないわ。それに仮面もつけなければならない。それ以前に、レーベルオード伯爵がこれでは駄目だといったら、もう一度やり直しよ!」
アリシアの言葉に、コルティア以下侍女達全員が気持ちと表情を引き締めた。





