400 帰宅を急ぐ者
パスカルは帰宅するために机の上を片付けた。
王族の側近になってからは王宮に与えられた部屋に住んでいるような状態だったが、これからはよほどのことがない限り必ず帰宅することに決めていた。
リーナを養女に迎えたことで、レーベルオード伯爵家は非常に重要な状況下にある。家に関わる仕事があるというのは誰もがわかっていることだった。
正当な理由があるため、パスカルはためらうことなくヘンデルに帰宅することを伝えた。
「早くない?」
王族の側近は残業を遅くまでするのが当たり前。
だからこそ、帰宅しなくてもいいように王宮に部屋が与えられ、住み込み同然になる。
そのような勤務状況から考えると、仕事を終えるには早すぎる時間だった。
「ウォータール・ハウスに戻るには時間がかかりますので」
「あー、そうか」
パスカルが帰宅するといっても、これまでは大臣通りにあるフラットだった。
だが、これからはリーナがいるウォータール・ハウスになる。
かつては王都外だった場所だけに王宮からも遠く、移動時間が多くかかってしまう。
「馬車?」
「渋滞に巻き込まれると嫌なので、馬で戻ります」
「わかるけれど、安全面で問題がある。馬車の方がいいなあ」
王族の側近は重要人物として狙われやすい。
王宮内における武器の携帯や通勤時に護衛をつける許可が出るほどで、身の安全に関しては厳重に注意することになっていた。
「護衛はつけている?」
「もちろんです。馬で通勤する場合も、馬車に護衛をつけてカモフラージュしています」
「よかった。明日は何時に来る?」
「基本的には定時です。第四王子関係の仕事がありますので、午前中は会議などの予定がない限り部屋にはいません」
「後宮にいるってこと?」
「あるいは第四王子殿下の執務室です」
セイフリードは未成年だが、王宮に執務室が用意されていた。
「早く帰りたいって顔しているから、もういいよ。本当はキルヒウスにも伝えてほしいけれど、俺から伝えておく」
「ではこれで」
パスカルは帰ろうとした。
「ああ! 待った!」
立ち止まり、振り返ったパスカルの表情は冷たいものに変わっていた。
「何か?」
残業は絶対にしないというオーラが出ているのを、ヘンデルははっきりと感じ取った。
「リーナちゃんを養女にしたことへのお祝いだけど、じーさんとじーちゃんと父上と母上と俺と別々でさ」
シャルゴット侯爵家は領地付きの爵位を三つ持っている。
普通は当主が全ての爵位や領地を保持するが、シャルゴットの場合は当主、跡継ぎ、その跡継ぎの三代で爵位を順番に継承し、領主業を分担できるようにしていた。
そのせいで、当主、跡継ぎ、そのまた跡継ぎの三人は家族としては立場の差があるが、領主という意味では同じになる。
領主として何かするとなると、三人が別々ですることになるため、リーナへの贈り物についても別々で贈ることになったのだと推測できた。
だが、パスカルが理解できたのは四人分。
じーちゃんとじーさんという呼称によって、父親と母方の祖父で分けられているのはわかるが、なぜ母親からもあるのかが気になった。
「イレビオール伯爵夫人からも?」
「そう。リーナちゃんがクオンに寵愛されていることを知らないからさ。俺の嫁にどうかって聞かれちゃったよ」
「王太子殿下に寵愛されていなくても無理です」
「そう言うと思った。母上は社交グループのためだよ」
貴族は情報収集としての社交が務めの一つになる。
社交界における味方を増やすためにも、社交グループに所属していることが多い。
「社交グループに入るのも勉強や経験になる。一応、考えておいて?」
「母親から口添えをするように言われたのですか?」
「まあね。でも、俺は伝えるだけにすると答えた。レーベルオード伯爵令嬢でいられる期間は長くないだろうしね。ただ、青玉会はまあまあ強い方だよ。正会員になれば、悪口を言われにくくなるのはある」
「イレビオール伯爵夫人は養女になる前の出自について知っているのですか?」
「平民の孤児で王族付きの侍女だと言ってある。それから、両親は生きているけど婚外子のせいで親子の名乗りをできないとも言っておいた」
「婚外子であることを教えたのですか?」
「貴族の裏事情としてはありがちだからさ。何も言わないと、なぜ平民の孤児が名門貴族の養女になったのか不思議で仕方がないってなる」
詮索されたくないからこそ、ある程度の情報は内々に教えることで納得させるということだった。
「母上曰く、リーナちゃんを勧誘したいグループが結構あるらしいよ。養女でもレーベルオード伯爵令嬢だ。パスカルが溺愛している妹と仲良くしたい令嬢も多いだろうね。義理の姉になりたいだろうしさ?」
「有力なグループが動いているのですか?」
「水面下では激しいにらみ合いが展開されているっぽい。でも、謁見が無事終わらないとだからさ。お披露目でどんな女性なのかを見極めてから正式に誘いをかけるかどうかを決めようって感じらしいよ」
「父上に伝えておきます」
「レーベルオード伯爵は強い。パスカルもいる。だけど、男性だ。女性の味方を増やさないとね」
「わかっています」
パスカルは王宮を退出し、ウォータール・ハウスへと馬を走らせた。





