397 父親として(二)
「リーナに話しておきたいことがある」
「何でしょうか?」
「リリアーナとのことだ」
しばしの沈黙。
「お母様のことですか?」
「私とリリアーナは離婚している。気にならないか?」
「全く気にならないかと言えば、嘘になります。でも、昔のことです。お父様は私に優しくしてくれます。だから、気にする必要はないと思っていたのですが、何かあるのでしょうか?」
「リリアーナは自らの過去について話したがらない。なぜなら、私との結婚は両親の強制であり、ヴァーンズワース伯爵家を救うための政略結婚だったからだ」
当時、ヴァーンズワース伯爵家に破滅が刻々と近づいているのを知らない者はいなかった。
レーベルオード伯爵家との縁談はまさに窮地に追い込まれたヴァーンズワース伯爵家やその配下、領地にいる領民を救う起死回生の案。
だが、生贄として差し出されたリリアーナの心は救われなかった。
「私はリリアーナを救いたかった。その力があると思っていたが、そうではなかった。
夫だというのに、心も体も弱かった妻を追い詰めてしまった。後悔している」
リーナにとってレーベルオード伯爵の告白は意外だった。
「お父様は……責任を感じているのですか?」
「そうだ」
「お母様から離婚を望んだと聞いています。お母様の望みを叶えたわけですよね?」
「リリアーナがパスカルを連れてヴァーンズワース伯爵家に行ったことを許せなかった。約束違反だった」
ヴァーンズワース伯爵夫妻は忙しい父親と病弱な母親に代わって自分たちが孫のパスカルを養育すると申し出ていた。
だが、それはパスカルを盾にして金をせびりたいだけだった。
絶対に許してはいけないことだけに、リリアーナもパスカルもヴァーンズワース伯爵家に行ってはいけないことになっていた。
「リリアーナはヴァーンズワース伯爵家に行ってはいけない理由を知らなかった。だが、私はリリアーナに怒りをぶつけてしまった」
大きな間違いを犯した。
レーベルオード伯爵がそう思っているのは明らかだった。
「冷静に対応すべきだった。まずはリリアーナとパスカルが無事であることを喜び、優しく接するべきだった。そうすれば、離婚を切り出されることはなかったかもしれない。何度もそう思ったことがある」
レーベルオード伯爵はリーナを見つめた。
「二度と間違えたくない。家族を失う選択だけはしてはならないと私は思っている。だからこそ、リーナを守る。リリアーナの娘は私の娘だ。血がつながっているかどうかは関係ない。大切な家族だ」
お父様……。
リーナは強い家族愛をレーベルオード伯爵から感じた。
「遠慮は無用だ。いつでも私のところへ来ればいい。私が迎えに行ってもいい。呼んでくれればいいだけだ。娘に頼ってもらえることが、父親としての喜びとやりがいになる」
リーナは微笑んだ。
レーベルオード伯爵はとても冷静で厳しそうな男性だというのに、今は一生懸命父親としてのアピールをしているように感じた。
誠実で愛情深い証拠。
不意に、リーナはセイフリードが茶会で言った言葉を思い出した。
――心からの愛情を込めて兄上を抱きしめたことがあるのか?
どんなに言葉で伝えようとしても、十分に伝わらない時がある。だが、抱きしめるという行為で愛情を示せる。
家族であれば、愛情を示すために抱きしめる。
セイフリードはそう言いたかった。
「お父様、抱きしめてもいいですか?」
レーベルオード伯爵は驚かずにはいられなかった。
「なんだと?」
「娘として、お父様を抱きしめたいのです。言葉では伝えきれないほどの感謝と愛情を込めて。ダメですか?」
きっと許してもらえる。
リーナはそう思った。
「とても嬉しい」
「良かったです!」
リーナはレーベルオード伯爵を抱きしめようとしたが、逆に抱きしめられた。
「えっと?」
「愛している。家族として。リーナは抱きしめることによって伝えようとしてくれた。私も同じだ。抱きしめることで伝えたい」
リーナは大きな息をついた。
「嫌だったか?」
「違います。安心したのです。私の気持ちをお父様はわかってくれていました。それどころか、お父様も同じようにしようと思ってくれました。あまりにも完璧です」
リーナはレーベルオード伯爵の胸に寄り添った。
「お父様の言った通りですね。次々と幸せが訪れます。本当にレーベルオードはスズランです。お父様の娘になれて良かったです」
リーナの言葉はレーベルオード伯爵の心を安心させた。
気持ちが伝わった……受け取ってくれた。
レーベルオード伯爵はずっと一人で戦ってきたようなものだった。
両親は他界。妻とは離婚。親友は妻子を残して死亡。
大切な人々を次々と失い、打ちのめされてきた。
莫大なヴァーンズワースの負債は容易に減らない。かといって、苦しむヴァーンズワースの領地と領民を見放すわけにもいかない。領地の仕事に専念したくても、官僚の仕事を辞めることができない。
それでもなんとか頑張り続けてきたのは、最愛の息子パスカルを守りたい一心からだった。
夫として幸せになれなくても、父親として幸せになれる。
そう思ってきたレーベルオード伯爵に、新しい家族ができた。
リーナ。
生涯をかけて守ろうと思った女性リリアーナの産んだ娘だった。
子どもたちの父親として強くありたい。幸せに導けるようどんなことが起きようとも屈しない。
それが自らの望む人生だとレーベルオード伯爵は思った。
「私も同じだ。リーナを娘にできて良かった。最終的にレーベルオードの養女にできたのはパスカルの存在が大きい。王太子殿下が担当者に指名していただろう? もしヘンデルやキルヒウスを担当にしていれば、シャルゴットやヴァークレイに負けていた可能性もある」
「お兄様のおかげですね!」
「その通りだ」
リーナとレーベルオード伯爵は頷き合った。
そのあとで、ふとレーベルオード伯爵は不意に気になった。
「……聞いてもいいか?」
「なんですか?」
「パスカルのことだが……鬱陶しくないか?」
リーナは目をぱちくりした。
「全然。なぜ、そう聞かれるのかさっぱりわかりません」
「子どもの頃にパスカルは自分に父親違いの妹がいると知った。とても喜び、立派な兄になろうと頑張っていた」
会ったこともない妹のためにそこまでするのかと思うほどだった。
だが、良い変化だったために見守ることにしたことをレーベルオード伯爵は話した。
「リーナがレーベルオードの養女になったことを一番喜んでいるのはパスカルだ。兄としての愛情は紛れもなく本物だが、そのせいで重いと感じてしまうかもしれない。寛容な気持ちで許してくれると嬉しい」
「大丈夫です。お兄様はとても優しくて親切で頼もしいです。理想的なお兄様だと思っています」
「そうか」
レーベルオード伯爵は安堵の息をついた。
「まあ、パスカルは優秀だ。大丈夫だとは思っている」
そう思いたいと言う方が適切だが……。
父親だからこその思いと悩みがあった。





