38 王太子クルヴェリオン
王宮にある豪奢な執務室で、ひたすら書類にサインをしている男性がいた。
金の髪に銀の瞳。
何者をも圧倒するような絶対的なオーラは王者の風格そのもので、無表情のせいもあって余計に恐ろしく感じられる。
エルグラードの王太子で第一王子のクルヴェリオン。
愛称はクオンだ。
ノックと共にドアが開く。
部屋の中に入る者がいても、クオンは一瞥さえしなかった。
「一応、気にして欲しいなあ。不審者だったらどうする?」
部屋に入って来たのは王太子の首席補佐官を務めるヘンデルだった。
「護衛騎士がいる」
「倒されて入って来たのかもしれない」
「争っているなら音でわかる」
「瞬殺されたのかもしれないよ?」
「それほど能無しではない」
全く自分を見ないで手を動かすクオンに、ヘンデルは通算何度目かわからないため息をついた。
友人として側近として長きに渡り側にいる。
だからこそ、クオンの仕事中毒ぶりにはかなりの心配をしている。
いつか過労死する気がしてならない。
「調査結果が出たよ。回答書もある」
クオンの手が止まった。
すぐに再開されたが、また止まる。
今度は書類をまとめ出した。
「これは終わった」
「先に処理してくる。こっち見といて」
「できるだけ早く戻れ」
「わかってるって」
ヘンデルはもう一度ため息をつくと、部屋を出て行った。
クオンはヘンデルの持ってきた書類を見た。
クオンは王太子として多くの仕事を抱えている。様々に有効な対策をしたい。
いつも悩まされるのが予算だ。
クオンが担当しているのは内政。莫大な費用がかかる。
一番手っ取り早いのは、税金を上げて集めること。
だが、それは避けたい。
エルグラードは平和で豊かだが、国の隅々までその恩恵が行き渡っているわけではない。
治安の悪い場所もあれば、貧困にあえぐ者もいる。
増税をすれば着実に不満を生むばかりか、社会的弱者ほど強い影響を受ける。
国全体に暗雲をもたらすきっかけにしたくもない。
増税以外の方法を模索したかった。
ならばどうするか。
クオンは無駄な予算や問題行為を探すことにした。
揺るがない事実に基づいて無駄や問題だと糾弾し、証拠を突き付ける。
処罰として予算の減額あるいは没収にする。
正当な理由があれば、誰も文句は言えない。
そして、減額あるいは没収で浮いた予算を手柄として貰う。
クオンの命令に従い、側近達は様々な場所に密偵を忍ばせ、無駄や不正を探らせた。
そのおかげでかなりの無駄がなくなり、不正も処罰されて改善された。
だが、予算はまだまだ足りない。
クオンは国王の予算にも目をつけた。
明らかに無駄なものがある。
後宮と新離宮だ。
後宮は国王の側妃と第四王子が住んでいることもあって手を出しにくい。
そこで、建設中の新離宮に標的を定めた。
引退したがる国王をなだめるために国王の側近達が考えた気休めだ。
引退準備として始まった離宮建設は贅沢で無駄の極みだとクオンは主張した。
何度も離宮建設の中止を求めたせいか、気分を害した国王とその側近は別のことで攻勢に転じた。
「王太子は年齢的にも婚姻すべきだろう。取りあえずは側妃を選べ」
正妃ではなかったのは不幸中の幸いだった。
側妃を選ぶための側妃候補に留めることができているのもまだいい。
だが、国王は側妃候補から後宮で生活するための費用の一部としての入宮代を徴収した。
「王太子妃や側妃の地位をエサにして金を集めるのは卑劣だ!」
クオンは父親である国王を罵った。
「官僚試験を受けるには受験料がかかる。側妃候補も同じだ」
国王とその側近は徴収した入宮代を離宮建設費に回した。
クオンは唖然とした。
「息子の妻の座を活用してまで離宮を建てたいと言うのか? 恥知らずだ!」
「入宮代を後宮予算につけ、その分の後宮予算を離宮建設費に回すのと同じだ。手間を省くためではないか」
国王の側近達も、後宮を通さず直接処理した方が早いと説明した。
結局、離宮建設費だろうが側妃候補の生活費だろうが国王が負担するということには変わりがないとも。
国王とその側近達で示し合わせているのは明白だった。
「絶対に側妃にも正妃にもしない!」
「そうはいかない。後宮にいる側妃候補の元へ顔を出せ。これは国王の命令だ」
クオンは側妃候補と直接話し、候補を辞退するよう伝えることにした。
「絶対に選ばない。諦めて退宮しろ」
「無理ですわ」
「こちらも色々と事情がございます」
「入宮したばかりだというのに、不名誉になってしまいます」
側妃候補はクオンが反発するのをわかっていて入宮した者ばかり。
なんだかんだと理由をつけては退宮したがらない。
候補同士で正妃や側妃の座を争う不毛な戦いを続け、後宮に居座り続けた。
後宮は国王のもの。王太子の力が正式に及ばない極めて特殊な場所だ。
おかげで後宮から側妃候補を追い出すことができない。
後宮に莫大な予算が流れ込み、側妃候補達がいがみ合う状況を愚かしいと思いながら、クオンは傍観するしかなかった。
だが、思わぬ発見があった。
側妃候補への退宮勧告に時間がかかり、二十四時近くになってしまった。
後宮の正門は二十四時に閉まるため、門周辺の出入りが激しく混雑する。
警備の交代時間でもあるため、門周辺の状況や人の出入りが落ち着くまで、控えの間で
仮眠することにした。
……よく眠れた。スッキリする。
執務ばかりで睡眠不足の日々。
寝つきが悪いことにも悩まされていただけに、クオンにとっては秘密の場所を見つけたような気持ちになった。
その後、どうしても疲れが取れないと感じる時は、後宮の控えの間に来て仮眠するようになった。
後宮の警備は厳重だけに、護衛騎士にも途中からはついて来るなと命令した。控えの間にも周辺にも待機させない。
クオンは一人になれる時間も欲しかった。
周囲は困惑したが、王宮や王太子という重圧を感じにくい場所での休息が必要なのだと判断した。
王太子であるクオンが稀に後宮の緑の控えの間で仮眠することは、ごく一部の者達だけが知る極秘事項になった。





