37 第三王子の執務室
王宮。
第三王子執務室には三人の男がいた。
一人はこの国の第三王子レイフィール。国軍を統率している若きカリスマだ。
王子として飾りの地位を与えられているわけではない。
非常に優秀だからこそ、国王に代わって国軍を統率するという重要な役職についている。
他の二人はレイフィールを支える側近。
執務補佐官のローレンと護衛騎士のアレクだった。
「それで?」
「劣勢です」
「材料がない」
現在、予算に関する審議がされている。
どこもかしこも予算を奪うために何かしら手はないか、正当な理由はないか、あるいはライバルの足を引っ張れないかと思っている。
ローレンとアレクの報告は芳しくない。
このままではレイフィールが統率する国軍の予算が減らされてしまう。
近年、軍事予算が縮小されつつあり、その対応にレイフィールは頭を悩ませていた。
平和なのは良い事だ。
戦争がなければ軍縮が叫ばれるのもわかるが、軍をなくすわけにはいかない。
平和を陰ながら支えているのは間違いなく国軍だ。
他国に攻められても負けないように、あるいは国内における反乱や緊急時に出動できるような存在が必要なのだ。
当然、維持費もかかる。充実させようとするほど予算が必要だ。
予算を欲しがらない者などいない。各自が必要性を主張して奪い合う。
ただの貴族や官僚相手であれば、さほど難しいことではない。
レイフィールは王子だ。軍の統率としての地位も権力もある。
しかし、それが全く通用しない相手がいる。
まずは父親である国王。
老齢で、いつ引退するかを気にしている。
若い時に国王になってしまったせいで良くも悪くも在位期間が長く、死ぬ前に退位して余生を心やすらかに過ごしたいと切望している。
だというのに、周囲がそれを許さない。
できるだけ生前退位をさせたくないのだ。
国王を正論で諫めるのは限界だと感じ、周囲は国王に甘い引退生活を夢見させることにした。
まずは引退後に備えて準備しておけばいい。そして、準備が終わったら退位すればいい。
おかげで引退用の宮殿が建設されることになり、なかなか完成されないために引退もできないままでいる。
そもそも特別な離宮を簡単に建設できるわけがない。完成が長引くほど費用がかかる。
予算が必要な理由になる。
国王が現役であればその側近の古狸達も現役だ。
対応を間違えると、取り返しのつかないほどのしっぺ返しを食らいかねない。
兄である王太子もいる。
王太子は仕事中毒。恐ろしいほど働いている。
引退したい国王の執務のしわ寄せも全てこなしている。非常に頼もしい存在だ。
レイフィールは心から兄を敬愛している。
だが、予算の話となれば別だ。
王太子は手抜きも妥協も許さない。細かいことにもきちんと対処をするよう指示する。
執務に関わる予算が膨れ上がる一方だ。
予算には限界がある。その中でやりくりするという考えは通用しない。
絶対に必要だと言い切る。
大国の内政に莫大な維持費がかかるのは当然だと主張する。
そもそも国内が充実していなければ税を取れない。予算になる金を確保できない。
税収を増やすのが先決だというわけだ。
正論過ぎる。否定できない。
激務と過労に耐えながら優秀さを発揮し続ける側近の面々も容赦ない。
人員数差も物量差もある。対応しにくい。
この二人だけでも十分手強いだというのに、まだいる。
一応兄である第二王子だ。
第二王子は遊んでばかりいるという者もいるが、完全に的外れな見解だ。
仕事ばかりで貴族に見向きもしない王太子に代わり、社交や外交を中心に対応している。
学問や芸術分野にも興味を持っており、実益が伴いにくく後回しにされがちな分野に予算をまわそうとしている。
多くの文化人や諸外国の者との交流を重ね、強い支持を得ている。
要職についてはいないが、その力は侮れない。
むしろ、要職についていない状態でなぜそんなにも影響力や支持が得られるのかと不気味にも思える。
母親の実家が裕福なことで知られる公爵家というのもあるが、第二王子の優秀な部下でもある友人達が周囲に強固な壁を築き上げている。
レイフィールは自身の優秀さに自信がある。懸命に磨いて来たゆえに。
だが、父親も兄達も優秀だ。
互いに譲れない予算だと主張し、激しく予算の取り合いをしている。
当然のごとく側近達もあの手この手で正論を振りかざす材料を持ちより、足並みを揃えて支援する。
予算の審議は毎回大激戦だ。
「何か手立てを考えなければならない」
「そうですね」
ローレンは頷いた。
「何かいい手はないか?」
「あればとっくに手を打っています。できるだけのことはしています」
レイフィールはもう一人の者を見た。
「アレク」
「何もない。ただの護衛騎士だ。コネもない」
「使えないやつだ」
アレクは肩をすくめた。
「仕方ないだろう。頭よりも剣を使う仕事だ」
「剣を使う? 持っているだけの間違いではありませか?」
「うるさい。お前こそ医者のくせにペンばかり握っているではないか」
「軍医勤務に専念してもいいのですか?」
「駄目に決まっている」
ローレンもアレクも気やすい言葉で本音を話す。
幼い頃からの付き合いであり、レイフィールにとっては心を許すことができる頼もしい存在だ。
勿論、極めて優秀だ。コネだけで側近にするほどレイフィールは甘くない。
その二人がいても問題は解決しそうにない。
毎回、悩みの種である。
「やはり、後宮から予算を奪うしかない」
「そうですね」
「そうだな」
レイフィールは後宮の存在を無駄だと思っている。
莫大な予算がつぎ込まれているが、その価値があるとは思っていない。
「王家の血筋を守るためにあるはずだというのに、大勢の雇用者がただ暮らしているだけだ。特別ではない者達のために莫大な必要をつぎ込むなど馬鹿馬鹿しい」
ローレンとアレクは頷いたが、内心またそのセリフかと思っていた。
レイフィールはこれまでに何度も同じことを言い続けてきた。
「探らせろ。理由を見つければ付け込める。兄上のように」
「そうですね」
「そうだな」
すでに探らせている。わざわざ言う必要はない。
だが、言わずにいられないレイフィールの気持ちを気遣った。
レイフィールもわかっている。だが、他の方法も言葉も思いつかない。
毎回、苦心していることなのだ。
「私が後宮に行っても何も見つからない。兄上はどうやって見つけたのか……」
「偶然だと聞いています」
「運がないと駄目だな」
以前、王太子が後宮における問題を指摘した。
人事に関わる問題だった。
王太子の側近達が確認したところ、後宮では規律違反をしていた。
後宮では階級によって任される仕事が違う。重要な仕事は上の階級の者、さほど重要ではない仕事は下の者がする。
これは後宮だけでなく他の場所でも同じ。常識だ。
だが、後宮は守っていなかった。
本来は階級が上の者の仕事を、下の者がしていた。
王太子はそのことを理由に後宮を糾弾した。
国王は後宮の予算を少しだけ減らし、その分を王太子の予算に与えた。
後宮の予算縮小で王太子の怒りを抑え、これ以上の追及を逃れるためであるのは明白だ。
王太子も後宮を追及する理由としては弱いことをわかっているために受け入れた。
だが、内心ではかなりの喜びようだった。
後宮の問題を見つける度、後宮の予算は減らされる。
無駄でしかない後宮から予算を奪い、より有意義なことに予算を使う気満々だ。
「私も後宮から予算を奪いたい。軍の予算にしたい」
後宮は国王の所有であるため、王子であっても内情を知ることはできない。
王宮に住む王族が何らかの事情で後宮に住む王族や王族妃にとって不都合なことを強要しないよう、わざと権限が及ばないようにしているのだ。
そのせいで、正当な理由と権限がないことを理由に後宮が情報開示を拒否する。
調べるには国王の許可を取る必要がある。
そして、許可を取るには正当な理由が必要になる。
単に知りたいだけでは駄目だった。
問題があるという事実を先に発見しなければならない。
「後宮の予算は莫大だ。大問題を見つければ、多くの予算を奪えるだろう」
「そうですね。私の残業代にして下さい」
「第三王子騎士団の予算も考えて欲しい」
足並みが揃っていない。
それも問題だとレイフィールは感じた。
「後宮が隠している大問題や不正について教えてくれる者が欲しい」
「後宮の者は口が堅いので無理でしょう」
「情報漏洩は重罪、借金持ちなら投獄だろうからな」
後宮には借金を抱えている者が多い。
処罰や投獄を恐れ、口をつぐむ。
レイフィールは深いため息をついた。





