36 クオンから貰ったもの
「この給与明細はしばらく私の方で預かる。問題ないか?」
「大丈夫です」
「掃除部のリーナといったな」
「はい」
クオンは給与明細を見た。
「リーナ・セオドアルイーズというのが名前か?」
「はい」
「珍しい家名だな」
「実は」
リーナはなぜその家名になったのかを説明した。
クオンは理由をきき、ますます調べることが増えたように感じた。
はっきり言えば、管轄外だ。
深く追求しない方がいいような気もするが、知ってしまった以上は気になる。
クオンの直感が怪しいと感じているが、直感を重視する性格ではない。
「私に会ったことは秘密だ。絶対に口外するな。処罰されないようにするためだ。いいな?」
「もしかして……私は処罰されるようなことをしているのでしょうか?」
情報漏洩だ。処罰対象になる。
だが、クオンが庇えばいい。いざという時は。
そして、なぜ庇えるのかを伝える必要もない。
「私の命令に背けば処罰対象だ。背かなければいい。わかるな?」
「わかりました」
「もしかすると、またお前に聞きたいことが出てくるかもしれない」
リーナは表情を曇らせた。
また、時間を取らないといけないのかと思った。
「早朝勤務は青の控えの間から始めるようだな? 間違いないか?」
「間違いありません」
「何かあれば、青の控えの間で会う。もしくは、掃除用具の戸棚に手紙を入れておく。必ずお前が回収しろ。給与明細を返す際に連絡するかもしれない」
「はい」
給与明細を返すためならば、仕方がないとリーナは諦めた。
「かなり小さい手紙かメモ程度かもしれない。絶対に見逃すな。掃除をする必要がない日も手紙がないかどうかは確認しろ。いいな?」
「わかりました。青の控えの間の方ですね」
「そうだ。青だ。緑ではない。最初に掃除する控えの間だ」
「わかりました」
「それから別の注意がある。緑の控えの間は突然使用されることがある。通達がない時がある」
クオンが後宮に来ていることを秘密にするため、通達をわざとしないのだ。
護衛騎士もついてくるなというクオンの指示に従ったふりをしている。
よほどのことがなければ姿をあらわさない。隠密行動に徹する。
「間違えてドアを開けないようにしろ。ノックもせずにドアを開けると無礼になる。私は許しても、他の者は許さないかもしれない。注意しなければならない」
「気をつけます」
「お前は昨日、金を受け取らなかった。真面目で誠実だということだ。勤勉でもある。私はそのことを評価したい。そして、朝食を取れなかったことにも責任を感じている。これをやる。違反にはならない。褒賞だ」
クオンはポケットから小袋を取り出して差し出した。
「賄賂になりませんか?」
「ならない。だが、私に会ったことも貰ったことも秘密だ。秘密の褒賞だ」
リーナは手を出さない。
クオンはリーナの手を取ると、そっと小袋を乗せ、優しく握らせた。
「これは菓子だ。後宮の購買部で売っている。借金して買ったと言えば誤魔化せる。嘘は良くないが、これについては許す。これで用事は終わりだ」
「……ありがとうございます。とても嬉しいです。褒賞を貰えるなんて、初めてです」
「これからも励め。そうすれば、また褒賞が得られるかもしれない」
「はい。頑張ります!」
リーナは満面の笑みでそう答えた。
クオンは満足そうに頷いた。
「手紙のことを忘れるな」
「青の控えの間の掃除道具入れですね。絶対に忘れません!」
「行け」
「失礼致します」
リーナは深々と一礼すると、部屋を退出し、青の控えの間に向かった。
様々に時間を取られたのは困った。
しかし、クオンは自分にも能力があると言ってくれた。
真面目で誠実で勤勉なことを評価してくれた。
褒賞までくれた。
嬉しい……。
クオンは一見すると威圧的だ。怖い感じがする。
だが、朝食を取り損ねたことに責任を感じていた。
褒賞として菓子をくれたのは気遣いだ。
何よりも、クオンはリーナの手を優しく取り、そっと袋を握らせた。
正直、意外だった。
いかにもやるという感じで押し付けそうだと思っていた。
クオンは見かけによらず、実は優しく細やかな気遣いもできる男性だとわかった。
リーナはクオンに会えて良かったと思った。
クオンのくれた菓子が何かが気になって仕方がない。
だが、仕事が優先だと思って我慢した。
早く終わらせて確認しようと思い、仕事に励んだ。
一日の仕事が終わる。
夕食と入浴が終わり、リーナは部屋に戻った。
いよいよクオンから貰った褒賞が何かを確認できる。
菓子だと言っていたが、どんなものかはわからない。
胸をドキドキさせつつ、リボンをほどいて小袋の中を見る。
あらわれたのは黄色いレモンのキャンディ。
リーナは迷わず口の中に入れた。
甘酸っぱい。
黄色は幸せの色。
パスカルがそう言っていたことを思い出した。
クオンがくれたのは幸せのキャンディだ。
パスカルに貰ったイチゴ味のキャンディも幸せのキャンディだった。
ピンクは幸せの色。
リーナはそう教わった。
ピンクでも黄色でも、イチゴ味でもレモン味でも幸せになれる。
幸せだと思うほど、幸せが増えていく。
幸せの贈り物だわ。美味しい……。
リーナはまさに幸せを味わった。
翌日。
リーナは早朝、青の控えの間へ向かった。
トイレ掃除の必要はなかったものの、掃除道具の戸棚を開けた。
戸棚の中には折りたたんだメモ用紙が入っていた。
リーナはすぐに開いてメモを読んだ。
一、戸棚の上を掃除していない。埃がたまっていそうだ。
二、男性用トイレは固定だ。トイレの前で記入する必要はない。巡回から外せ。
三、巡回ルートがおかしい。考え直せ。
四、ひと気がない場所の巡回には注意しろ。警備も男だ。油断するな。いざという時のために逃げるルートも考えておけ。
五、このメモは誰にも見られないように処分しろ。焼いてもいいが、マッチがなさそうだ。細かくちぎってトイレに流せ。全部流れたかを必ず確認しろ。
リーナでは考えつかなかったことが書いてあった。
指摘内容も鋭い。
そして、ひと気のない場所を巡回するリーナのことを心配していた。
警備に注意しろというのは驚きだ。むしろ、安心だと思っていた。
凄い……それに、やっぱり優しい。
リーナは心がじんわりと温かくなった。
孤児のリーナを心配してくれる者は少ない。
孤児院を離れ、後宮に来た。
今は部屋に一人。
クオンの優しさが嬉しく、貴重だと感じた。
大事に取って置きたいが、処分しなければならない。
リーナはメモ用紙を細かくちぎるとトイレに流した。
証拠隠滅は完璧だ。
リーナはクオンの優秀さを改めて実感した。
でも、寂しい……。
クオンがリーナのことを考え心配してくれた証拠がなくなってしまった。
リーナは胸の痛みを抑えるように手を当てた。





