356 勅命の相手
クオンはなかなか言葉を発せないでいた。
父親が自らの過去の話をしてまでも助言したのは、特別な身分者であることの難しさを教えるためでもあるとわかっていた。
理解はできる。だが、了承できることではなかった。
「父上の話を聞いた上で私は答える。結婚相手は自分で選ぶ。身分や出自は関係ない。愛する女性を妻にする。ずっと前からそう言ってきた。その通りにする」
「それは知っている。だが、反対する者が大勢いるだろう?」
「だからなんだ?」
クオンは尋ね返した。
「反対されたら諦めるのが正しいというのか? それがエルグラード王太子らしい判断であり、責務だというのか? それでは傀儡の王と同じだ。周囲の意見によって自らがすべき決断をしていない。そればかりか、重大な権利を放棄している。間違いだ!」
「自分の望みを叶えるためであれば、他のことはどうでもいいというのか? 愛する女性を不幸にしてもいいというのか?」
クオンは父親を真っすぐ見つめた。
「リーナは王族の娘として生まれたが、その出自のせいで誘拐された。両親は死んだと教えられ、孤児院で貧しい生活を余儀なくされた。父上はこのような話を聞いてどう思う? 不幸か? それとも幸せか?」
「不幸に決まっているではないか」
「そうだ。父上は愛する女性を不幸にしてもいいのかと聞いたが、リーナはすでに不幸だった」
「こじつけだ」
「続きがある。リーナは不幸や困難に負けず、幸せになれると信じて頑張って来た。その強さがあれば、私と共に歩める!」
「苦労をかけることになる。元平民の孤児だと言われるぞ? それでもいいのか?」
「どのような道を選んでも、リーナには元平民の孤児だった過去がつきまとう。私が支えながら守ってみせる!」
クオンは自らの想いをはっきりと言葉にした。
「父上は元平民の女性を伯爵家の養女にして妻にした。だというのに、私には無理だと言う。その方がよほどおかしいのではないか?」
そう言われるだろうと父親は予想していた。
「孤児ではなかった」
「リーナも孤児ではない。両親と生き別れになってしまっただけだ。誘拐されてしまった責任を子どもだったリーナに押し付ける気か?」
「側妃にした。正妃ではない」
「ミレニアス王との密約のせいで反対するのか?」
国王は動揺した。
「……深い事情があった」
「密約と引き換えに何を手に入れた?」
「ミレニアスに逃亡した反逆者の捜索と捕縛だ。ミレニアスも国内に反エルグラード勢力が結集するのは困る。友好関係にひびが入るのを防ぐため、積極的に協力してくれた」
クオンは舌打ちしたい気分だった。
ろくでもない内容との引き換えであれば、責める材料になる。
だが、父親が手に入れた成果は大きかった。
「王同士の密約があると知った私がいかに大きなショックを受けたかわかるか? 息子の妻の座を取引に使うような父親だとは思わなかった」
父親は気まずくなった。
「息子が気に入るような女性に育てるようにとは言った」
「留学だというのに勉強する気がない。わがままばかり、浪費三昧の女性を気に入るわけがない!」
「それは本人やミレニアスに問題がある。私のせいではない」
「密約を破棄できる余地はないのか?」
父親は深いため息をついた。
「ないこともないが、簡単ではない」
ミレニアスと戦争をする。国交を断絶する。キフェラ王女が死ぬ。キフェラ王女が別の男性と婚姻するといった方法が挙げられた。
「まともな方法はないのか?」
「密約の公表については互いの同意が必要ということになっている。勝手に公表すれば、約束違反だけに無効だ」
「それで密約のままなのか」
「クルヴェリオンが三十歳になっても独身状態であれば、キフェラ王女と婚姻する勅命を出すことになっている」
「勝手に期限を設けるな!」
「常識的に考えて、二十代で結婚するだろうと思っていた。むしろ、三十歳まで待たせることを同意させたことを褒めるべきではないのか?」
「息子の婚姻を取引に利用する時点で褒めることはない。キフェラ王女を別の者と婚姻させるように誘導しろ!」
「年齢がなあ……エルグラードでは誰も欲しがらないと思うのだが?」
「誰も欲しがらないような女性を私の妻にしろというのか? そして、エルグラード王太子妃、ゆくゆくは王妃にしろというのか? ふざけるな!」
激高して叫んだ息子を見て、父親はため息をつくしかなかった。
「悪かった。せめて、もっと早く教えるべきだった。だが、三十歳になっても独身であれば、王太子として理解してくれるだろうと思ったのもある」
「無理だ。私は王太子である前に一人の人間だ。好きでもない女性との間に子どもを作るのは不可能だ!」
「父親として息子に最大限の譲歩をする。宰相、王妃、重臣たちを納得させろ。そうすればリーナ・レーベルオードを妻にできる。側妃だが」
「正妃がいい」
「さすがに無理だ。国王には勅命という切り札があるのを知っているな?」
「私に勅命を出しても無駄だ」
「リーナ・レーベルオードに勅命を出す。別の相手との婚姻をあてがう形になるだろう」
クオンは驚愕した。
「卑怯だ! 絶対に許されない! 国王の力の使い方を間違っている!」
「ならば、側妃で手を打て」
父親がリーナに勅命を出すというのは想定外。
しかも、別の相手との婚姻という内容。
動揺したクオンはすぐに効果的な対抗策を思いつけなかった。
「どうする? 予定が詰まっている。今しかないぞ?」
父親は国王としての優位さを手放す気はなかった。
「側妃でいいのか? それとも、リーナ・レーベルオードに勅命を出した方がいいか?」
「……側妃でいい。だが、これ以上の譲歩も妥協もしない!」
「また後で聞く。時間切れだ」
話し合いは終わり。
自らの勝利を誇るように笑顔を浮かべる父親を息子は睨んでいた。
まずは側妃からというだけだ!
クオンは自らの信念を変える気はなかった。





