350 マリウス
ヴィーテルを出発する日になった。
用意されている馬車まで案内されたリーナとメイベルは、なかなかヴォルカーが来ないことが気になっていた。
「変更の手配に時間がかかっているのでしょうか?」
「ウェズレイのことはわからないけど、そうかもね」
この日は定期輸送団と短期滞在中の大商隊が早朝に出発することがわかっており、同じ時間に出発すると街道の混雑に巻き込まれてしまう。
そのせいで出発時間を大幅にずらし、宿泊地も変更することになった。
「あ」
「え?」
馬車のドアが開くと、予想外の人物が乗り込んで来た。
「こんにちは。王都まで同行させていただくことになりましたので、よろしくお願いいたします」
ほほ笑みながら挨拶をしてきたのは、水の神殿で会った神官だった。
「マーリス神官も王都に行くご用事があるのでしょうか?」
「事情は後でお話します」
すぐにヴォルカーも乗り込んできて扉を閉めた。
「予定時間を過ぎている。さっさと出発だ」
御者へつながっている通話用の管を通してヴォルカーが指示を出すと、すぐに馬車が走り始めた。
「兄さん、なぜ、マーリス神官が一緒なの?」
「守秘義務がある。少し考えてもいいか?」
騎士のヴォルカーは即答を避けた。
だが、
「守秘義務はないので、私から説明します」
本人の方から申し出があった。
「私は神官を辞めました。マーリスというのは神官名で、本名はマリウス・レーベルオード。家名からわかると思いますが、レーベルオード伯爵家の者です」
マリウスは個人的な理由からレーベルオード伯爵家を離れ、神官になった。
しかし、どうしても戻ってきてほしいという手紙をパスカルからもらったため、神官を辞めた。
妹のリーナを守ることについても書かれていたため、ヴォルカーに事情を話して同行することをマリウスは説明した。
「じゃあ、あの手紙はパスカル様からだったのね」
「マリウス殿はレーベルオード子爵の側近兼護衛になれるよう厳しい教育を受けられたとのことだ。だからこそ、レーベルオード子爵も手紙でリーナ嬢の護衛を任されたのだろう」
「そうなのね」
「護衛を務めるのにふさわしい技能を証明する資格や免許も取得しています。ご安心ください」
「私も資格を持っているわ。あると安心よね」
「メイベルさん、技能を証明する資格や免許にはどのようなものがあるのでしょうか?」
リーナはいろいろなことを勉強したい。
資格や免許を取得すれば、勉強した成果を証明できると思った。
「私が最も誇っているのは王宮の侍女検定の資格よ」
王宮の侍女になるには筆記試験と技能試験を受けなくてはならない。
この技能試験が王宮の侍女検定で、合格者だけが資格を得ることができる。
王宮の侍女になるとより難しい侍女検定が受けられるようになり、その評価によって仕事を決められたり、給与が決まったり、出世するかどうかにも影響が出ることをメイベルは教えた。
「一般侍女検定なら誰でも受けられるわ。これは王宮や貴族の屋敷で働きたい者なら取得しておくべきね。わ。掃除の専門家を目指すなら掃除検定というのもあるわ。私はどちらも持っているけれど」
「すごいです! いろいろな資格を持っているのですね!」
「平民は貴族のようなコネがないから、実力がないと出世できないのよ。仕事をすることで実力を示すこともできるけれど、資格があると就職に有利だし、上司に認めてもらいやすくなるのよ」
「私も勉強して何か資格を取りたいです」
「わかるわ。王都に戻ったら、そういった資格の取得を目指すのもいいかもね」
「少しよろしいでしょうか?」
マリウスが二人の会話に入って来た。
「何かしら?」
「個人的な感想ではありますが、名門貴族の令嬢が一般侍女の資格を得たとしても、役立つ可能性は低いでしょう。なぜなら、名門貴族という部分の方が、資格よりも重視されるからです」
「資格のない貴族の女性と資格のある貴族の女性であれば、後者の方が有利になる気がするけれど?」
メイベルが質問した。
「貴族同士の場合は資格の有無ではなく爵位や家柄で比べます。この考え方に平民は不満を感じます。なぜなら、爵位や家柄では勝てないからです。能力や資格で判断してくれなければ、貴族以上に評価されません」
「そうね。その通りだわ」
メイベルは王宮という場所で何年も働いていたからこそ、マリウスの言葉が正しいことを理解できた。
「身分やコネという言葉は平民にとってあまりよくない印象があります。恐らくは優遇や差別を感じるからです。ですが、信頼という言葉に置き換えると、見方が変わってきます」
どれほど優秀であっても信頼できない者には任せられない。
だからこそ、まずは信頼できるかどうかを判別するために、身分やコネが活用されていることをマリウスは伝えた。
「勉強も資格を取得するのも大事なのですが、レーベルオード伯爵令嬢は貴族です。信用を築くことを優先された方がいいでしょう」
「助言していただけてありがとうございます」
リーナはにっこり微笑んだ。
「少しずつでも信用を得られるように頑張ります!」
「リーナさんなら大丈夫。私だって最初はどんな女性かと思ったけれど、今は心から信頼しているわ!」
「嬉しいです。これからもよろしくお願いします!」
「貴族の考え方はさまざまな部分で平民と異なります。旅の時間を利用して、その辺りの話をさせていただきます。勉強になると思いますので」
マリウスによる貴族ならではの話に、リーナたちは勉強だと思いながら耳を傾けた。





