330 早朝の馬車
五日目の早朝。
リーナは突然起こされ、エゼルバードの外出に同行することになった。
リーナが乗り込んだ馬車の中にはロジャーとローワガルン大公世子のハルヴァーがいた。
リーナの視線は片側の座席にある大きな毛布の塊に注がれた。
「ここに座れ」
リーナに示されたのはロジャーの隣、出入り口の側の席だった。
「ロジャー様、こちらの毛布は?」
「気にするな。これからかなりの時間を移動する。そこのクッションを枕代わりにして休め。毛布がほしいなら収納から取り出す。必要か?」
「いいえ。大丈夫です」
「では、さっさと寝ろ」
「はい」
リーナはロジャーに言われた通り、席に用意されている大きなクッションにもたれかかると目を閉じた。
馬車でずっと移動をするだけあれば、起きている意味はほとんどない。
先に乗り込んでいたハルヴァーもクッションに寄りかかり、毛布をひざにかけて目を閉じていた。
馬車が走り出してしばらくすると、リーナから規則正しい寝息が発せられた。
「リーナ、寝たのか?」
ロジャーが小さな声で問いかけるが、リーナは返事をしなかった。
「男性と同乗しているというのに、随分と早く寝たな?」
ハルヴァーは目を閉じていたが、完全に寝ていたわけではなかった。
「かなり早く起きなければならなかったからだろう」
「毛布についても詮索しなかった」
「する意味はない」
座席の片側にある毛布の塊はエゼルバードだった。
起きるのを嫌がったため、いつも通りの対応――手放さない毛布の上から別の毛布をかけてくるみ、エゼルバードの姿が見えないようにして運んだ。
「エゼルバードの顔の上にかけた毛布は取った方がいい。窒息死したら不味いだろう?」
「少しだけはがしておくか」
ロジャーはエゼルバードにかかっている毛布をずらした。
「ロジャーは仮眠するのか? 起きているのであれば、久しぶりに話をしたい」
「どちらでもいい」
「せっかくの機会だ。話そう」
友人同士による会話が続いた。
やがて、途中休憩を取るために馬車が停まった。
毛布の塊がもぞもぞと動く。
「ロジャー、どのくらいですか?」
エゼルバードが確認したのは、絶対に起きなければならない時までの猶予時間だった。
「今は途中休憩をしている。二時間ほどは寝ていてもいいが、リーナがいる。できるだけ早めに起きて支度しろ」
エゼルバードはむくりと起き上がった。
「そうですね」
まだ寝ぼけているようなエゼルバードの姿は憂いを帯びた美青年。
裸のせいでかなりの色気を醸し出していた。
「エゼルバードはまさに生きた芸術だ……だが、女性がいる前で無防備過ぎないか?」
エゼルバードはリーナの方に視線を向けた。
「寝ているようです。問題ありません」
「気分はどうだ? 頭痛や吐き気があるなら薬を用意するが?」
「平気です」
エゼルバードは少し間を置いて答えた。
「本当か?」
「本当です。リーナのことは気にならなかったようです」
「良かった」
ロジャーは安堵の表情を浮かべた。
「リーナが寝ている間に着替えてしまいましょう」
「もう起きるのか?」
「ハルと話をしたいのでね」
「わかった」
ロジャーはそう言うと、エゼルバードにかけられていた毛布をハルヴァーの頭上からかぶせた。
「……なぜだ?」
ハルヴァーの表情は毛布で隠されていたが、不機嫌であることはその口調からいって明らかだった。
「着替えは見るな」
「男同士ではないか」
「エゼルバードの着替えは見世物ではない。ジロジロと見られると、それが不機嫌の元になる」
「着替えを手伝う侍従がいるだろう。今更ではないか?」
「着替えは自分でします」
エゼルバードの答えに、ハルヴァーは驚いた。
「自分でするのか? 全部?」
「赤子ではありません。ハルは自分で着替えないのですか?」
「手伝わせた方が早い。一部は自分でするが、全部をすることはない」
「ローワガルンは随分と甘いのですね。それこそ驚きです」
「普通は侍従が手伝う。今もロジャーが手伝っているではないか」
「衣装を渡すだけだ。ボタンを留めるのは自分でさせる」
「エゼルバードの着替えをじっくり見る方か?」
「そんなことはしない。くだらないことを聞くな」
「くだらなくはない。自慢できる」
「くだらない自慢話です」
エゼルバードは衣装を身につけながらそう言った。
「衣装は終わりです」
ロジャーはハルヴァーにかけた毛布を取ってたたみ出す。
着替えを見損ねたと思ったハルヴァーだったが、すぐにその表情には驚きと喜びが宿った。
「エゼルバードがブーツを履いている!」
「だからどうだというのです?」
「初めて見た!」
ハルヴァーの知っているエゼルバードはすでに身支度を整え終わっている姿ばかり。
コートやマントについては脱いだり着たりするのを見たことがあるが、それ以外はなかった。
「すごい! 絶対に自慢できる!」
「ロジャー、毛布を取るのが早かったのでは?」
「そのぐらいは見せてやれ」
「甘いですね」
「対価はもらう。アンガーに到着したあと、どうなるかわからない」
ハルヴァーは緩んでいた表情を引き締めた。
「できるだけのことはするが、限度がある。ここはミレニアスだ。ローワガルンではない」
「わかっています。ですが、アンガー城はローワガルンの治外法権の対象です。それを盾にすることはできます」
「その件は聞いた」
ハルヴァーはフレデリックから大体の事情を聞いていた。
「だが、未確定情報だろう? クルヴェリオン王太子との会談がどうなるかによって、騎士団が派遣されるかどうかが決まるということだったのではないか?」
「交渉は決裂します。ミレニアス側はキフェラ王女との婚姻の条件として国境地帯の治安維持活動に役立つ内容を追加することしか考えていません」
「クルヴェリオン王太子はキフェラ王女との婚姻を完全に拒否しているのに、他の案がないのか?」
「そうです。しかも、国益のためにエルグラードが折れると思っているのです。呆れるしかありません」
「ミレニアスの考え方が古くて固いのは今に始まったことではないが、女性たちの運命が翻弄されているのはどうかと思う」
ハルヴァーは女性を駒として扱い、政略結婚を強いることに反対だった。
「エルグラードとミレニアスが戦争になるのは歓迎できない。ローワガルンが中立国として優位な状況になるとしてもだ。平和であってほしい」
「フレディがなんとかするでしょう」
「正直、フレディがなんとかできるか不安だが、なんとかしてほしくはある」
「別のことを話します。アージェラスの件で、アベルに手を貸してあげなさい」
ハルヴァーは途端に渋い表情になった。
「面倒だ」
「私のためだというのに、そのようなことを言うのですか?」
ハルヴァーは大きなため息をついた。
アベルのためだと思うと全くやる気がしないが、エゼルバードのためであれば話が違った。
「……仕方がない。何か考えて見るが、期待はしないでほしい」
「いいえ。期待しています。なぜなら、ハルは私にとって特別な存在だからです。実力を証明することができます。そうですね?」
エゼルバードは魅惑の笑みを浮かべた。
ハルヴァーの気持ちはすでに変わっていた。
エゼルバードの期待に応えたい。実力を証明したい。
強い使命と誇りを感じていた。





