329 不味そうな気配
五日目になったばかりの深夜。
眠っていたエゼルバードは突然起こされることになった。
「セブンとフレディが忍んで来た」
「ロジャーで対応しなさい」
エゼルバードは毛布をかぶったが、すぐにロジャーが取り去った。
「緊急の用件だ。ミレニアス王族会議の前半が終わった。不味いことが起きそうな気配がある」
エゼルバードは大きなため息をついた。
「どんな風に?」
「リーナがミレニアスに捕縛されるかもしれない」
「二人を呼びなさい」
「わかった」
ロジャーはすぐにセブンとフレデリックを寝室に招き入れた。
「エゼルバード、不味いことに」
フレデリックは早速用件を伝えようとしたが、エゼルバードの姿を見て言葉を止めた。
「何ですか?」
「着替えるのを待った方がいいか?」
エゼルバードは裸の状態。
下半身は毛布で見えないが、どう考えても何も着ていないだろうと思える姿だった。
「緊急の用件だと聞きました。早く言いなさい」
「わかった。今夜、王族会議が開かれた。俺とアーネストも参加したが発言権がない。ただの傍観者だ。父上とアルヴァレスト大公、インヴァネス大公で話をしていた。リーナのことは認められなかった」
「そうですか。まあ、ミレニアスですからね」
エゼルバードは短期留学していただけに、ミレニアスがいかに身分を重視するかを知っている。
平民の孤児として育った経歴のある女性を王族にすることはできないと判断するのは普通であり常識的。
その上で、ミレニアス王家がどのような対応をしてくるかが重要だと考えていた。
「俺とアーネストは退席を促された。そこで特別な場所に移動して続きの内容を密かに聞くことにした」
「盗み聞きできる部屋で王族会議をするのですか?」
「脱出用の隠し通路だ」
王族会議を行う部屋には緊急時に備えた脱出用の隠し通路がある。
フレデリックとアーネストは出口の方から逆行することで、隠し通路から部屋の会話が聞こえないかと考えた。
「壁越しだけに極めて聞こえにくかったが、会話の一部を拾えた」
「それで?」
「ミレニアス王族の娘だと偽った罪でリーナを捕縛するようだ。インヴァネス大公が激怒していたおかげで聞こえた」
「リーナはエルグラードの者です。養女とはいえ名門貴族の令嬢で王族付きですよ? そのようなことをすれば、エルグラードとの関係は目に見えて悪化しますが?」
「俺もそう思った。だが、過去と同じ対応をするということかもしれない」
これまでにもインヴァネス大公の娘ではないかと思われる者の調査が行われた。
本人ではないという結果が出ると、一旦は偽者ということで捕縛された。
その上で、意図的に偽証したのか、何らかの目的があって王家を騙そうとしたのかの取り調べが行われる。
意図的な偽証ではなく、王家を騙そうとしたわけでもないことがわかれば無罪。
リーナもそうなるのではないかと予想したことをフレデリックは伝えた。
「そのあと、インヴァネス大公の声は聞こえなかった。リーナの身柄をミレニアスで確保するための話をしていたのかもしれない」
「取り調べを理由に、リーナの帰国延長を求めてくるかもしれませんね」
「俺とアーネストを退出させたあとに話をしている。汚い手を使う可能性もある」
対応を急ぐべきだと感じたため、アーネストは引き続き隠し通路で情報収集し、フレデリックはこのことをエゼルバードに伝えることにした。
「リーナは王太子の恋人だ。護衛騎士がついている。抜刀騒ぎになるかもしれない。大ごとに発展しそうで心配だ」
「リーナは兄上にとって大切な宝物です。捕縛するなどもってのほかです」
「俺もそう思う。だが、本当にそうする気なのかどうかはわからない。一案として出ただけかもしれないし、交渉を有利にするための脅しに使うつもりなのかもしれない」
「フレディ、正直に言いなさい。私にどうしてほしいのですか?」
フレデリックは真っすぐにエゼルバードを見つめた。
「俺はエルグラードが好きだ。エゼルバード、セブン、ロジャー、大勢の友人との絆を大切にしたい。ミレニアスとエルグラードの関係が悪化しないよう俺にできる最大限のことをする。リーナをどこかに匿うか、先にエルグラードに戻すのはどうだ? 国境を越えてしまえば絶対に手が出せないだろう?」
エゼルバードはロジャーに視線を向けた。
「ロジャー、どう思いますか?」
「リーナが捕縛されれば、その時点でミレニアスとの友好は消える。なぜなら、エルグラード王太子の恋人を人質に取ったのと同じだからだ。王太子に対する脅迫行為になる。ミレニアスからの宣戦布告とみなされるかもしれない。最悪のシナリオを回避できる方法があれば実行すべきだろう」
「フレディ、有事の際は私だけでなく兄弟の全員、そしてリーナも必ず無事に帰国させるよう全力を尽くすのです。わかっていますね?」
「当然だ。俺が動かせる者に内密の指示を送る。だが、完全に抑えるのは無理だ。騎士団は父上の直轄だけに、捕縛の通達が出れば動くだろう」
「ハルと観劇する予定でしたね」
エゼルバードの五日目の予定は、王立歌劇場でローワガルン大公世子ハルヴァーと一緒にオペラを観劇する予定になっていた。
「観劇は中止です。私に同行する形でリーナを外出させます」
「どこに外出する?」
「ロジャーはどうすればいいと思いますか?」
「明日は送別の夜会がある。欠席するためには相応の理由が必要だろう。フレディは全ての会話を聞いていない。曖昧だけに、追加情報の確認をすべきだ。念のための避難であればチューリフ内でもいいが、確実に安全だと思えるような場所となると王都外が望ましい」
「セブンはどう思いますか?」
「ミレニアスとの関係はすでに悪い。防備を固め、すぐに帰国できるようにしておいた方がいい。ミレニアスにしてみれば、エルグラードの王子や要人を一気に確保できる大好機だ。安全を最優先に考えるのは当然の判断だ」
「アーネストは俺と手を組んでいる。アルヴァレスト大公がどんな指示を出すのかにもよるが、個人的にできる限りの助力をしてくれる」
「国境を越えるには日数がかかります。協力者がいても、国境を越えることができなくては意味がありません」
「わかっている。だからこそ、エゼルバードに相談してから動こうと思った」
全員がエゼルバードの決断に注目した。
「……追いつかれずにエルグラードの国境を越えることは難しいでしょう。ですので、ハルの城に行きます」
「アンガー城か?」
「そうです。あの城の敷地はローワガルンの治外法権があります。ローワガルンとの友好を考えると手が出せません。遠乗りと森の散策ということにします。出発は早朝です」
安全の確保を最優先に考え、エゼルバードとリーナはできるだけチューリフから離れておく。
アンガー城で体調不良になってしまったために戻れないという理由で夜会を欠席することが決まった。
「リーナは第四王子の側に置かれている。連れ出すには王太子の許可が必要だ」
「兄上がこの情報を知れば激怒します。交渉どころではなくなるでしょう。ですので、パスカルに伝えなさい。リーナが騎士団に捕縛される可能性があるという不穏な情報を入手したため、万が一に備えて極秘に避難させておくというのです。あとはパスカルに任せなさい」
「わかった」
「私はもう少し寝ます」
エゼルバードは毛布をかぶって横になった。
「今から寝て、あとで起きることができるのか?」
フレデリックが尋ねたが、毛布をかぶったエゼルバードが答えることはなかった。
「エゼルバードが起きなければ、このまま担いでいく。アンガー城までは馬車で移動だ。その方が人目につきにくい」
「このまま? 裸でか?」
「毛布でくるめばわからない。着替えは馬車に持ち込む。降りる時までに身支度を済ませていればいいだけだ。予定に遅れそうな時はいつもそうしている」
「エゼルバードは遅刻の常連者だからな」
フレデリックは深いため息をついた。





