327 メルセデス
しばらくするとドアが開いた。
中に入って来たのは豪華なドレスに身を包んだ若い女性だった。
「ごきげんよう、セイフリード様」
「なぜ、メルセデスがここに?」
セイフリードが名前を呼んだことで、リーナとメイベルはアルヴァレスト大公女だと気づいた。
「お土産として集められた献上品を検分されていると聞いたの。母君へ贈るものを一緒に選ぼうと思って」
必要ない!
セイフリードは怒鳴りたい気持ちを懸命に抑えた。
「気にしなくていい。特別惹かれるようなものはなかった」
「そうですの? でも、当然ね。ここに集められているのはミレニアスの品ばかりでしょうから。エルグラードの品の方が何もかも上だわ!」
メルセデスはそう言うと、セイフリードの顔と腕に視線を動かした。
「エスコートしてくださらないの?」
「しない」
「庭園ではしてくださったのに」
「ここは部屋だ。エスコートをする必要はない」
「一緒に献上品を見て回るのに必要だわ」
「僕はもう見た。メルセデスと一緒に見て回るつもりはない」
「冷たいわ! デート気分を味わいたかったのに!」
「これはエルグラード王族への献上品だ。メルセデスが見る必要はないと思うが?」
メルセデスは不満そうな表情を浮かべながら、体の向きを変えた。
そして、視界にリーナの姿をとらえた。
「リーナ・レーベルオード! どうしてここにいるのよ!」
えっ? どうして?
リーナはメルセデスの質問に驚いた。
「お目にかかれて光栄です。私がここにいるのは王族付きの侍女官だからです」
「ほしいものがあったらねだる気ね? でも、ダメよ! これはエルグラード王族への献上品よ!」
メルセデスはリーナを睨んだ。
「侍女官のくせに献上品を見て回るなんていやらしい! 壁際に立っていなさいよ!」
リーナはそうしようと思った。
すると、
「その必要はない」
セイフリードが止めた。
「ミレニアスの商人たちが持参した献上品を見るよう言ったのは僕だ。勉強させている」
「勉強?」
メルセデスはリーナをじろりと見つめた。
「まあ、元平民の孤児なら知らないことばかりでしょうしね」
メルセデスはリーナがレーベルオード伯爵家の養女になる前のことを知っていた。
「でも、意味がないのではなくて? 見ても高価だってことしかわからないでしょう?」
「それでもいい。あとで兄上にどんなものがあったのか聞かれた時に伝えることができる」
メルセデスの眉が上がった。
セイフリードが庇う発言をしたことが気に入らなかった。
「クルヴェリオン王太子の非公式な恋人なんですってね? それでエゼルバード様やセイフリード様からも特別に配慮されていると聞いたわ。しかも、パルカル・レーベルオードからも妹として溺愛されているなんて……ずるいわ!」
メルセデスの本音が出た。
そして、猛烈な嫉妬心もまた表に溢れ出した。
「元平民の孤児が王太子の恋人だなんておかしいわ! 美人でもないくせに! 王太子を誘惑するなんて悪女よ! レーベルオード子爵まで誘惑して首尾よく養女になるなんて大悪女だわ!」
「え?」
元平民の孤児が王太子の恋人になるのはおかしいというのはリーナもわかる。
美人でもないというのも同じ。自覚がある。
だが、そのあとの部分について、リーナは違うと思った。
「誘惑はしていません。悪女でも大悪女でもないと思いますが?」
「自分は善人だとでもいうの? それこそ偽善者だわ!」
メルセデスは揚げ足を取ろうとした。
「いやしい者がいると部屋の空気が穢れるわ! 出て行って!」
ようするに自分を追い出したいのだろうとリーナは思い、部屋を出て行こうとした。
ところが。
「無礼だ!」
メルセデス以上に激高したセイフリードの声が響き渡った。
「リーナは兄上の恋人だ! 悪く言うのは許さない! お前が部屋を出て行け!」
メルセデスは激怒するセイフリードを見て驚いた。
「私はアルヴァレスト大公女よ? 部屋を出ていくのは身分が低い方に決まっているわ!」
「ここはエルグラード王族のために準備された部屋だ。リーナが王族付きの侍女官として僕に同行するのは当然だろう? だというのに文句をつけ、悪意ある言葉をぶつけた! 兄上の恋人だとわかった上でだ! あまりにも不作法過ぎる!」
「不作法じゃないわ! 勝手に決めないで!」
「お前こそ勝手に決めるな! 僕の同行者だぞ? 命令するのは僕だ! お前じゃない!」
「お前って言わないでよ!」
「お前で十分だ!」
セイフリードとメルセデスの言い合いが始まった。
リーナも、メイベルも、護衛騎士たちも、王女の付き人も困ったことになったと感じた。
だが、王族同士の会話に割り込めるだけの身分も強さもない。
一体どうなってしまうのかと思われたが、救世主があらわれた。
「メルセデス!」
憤怒の形相で部屋に入って来たのは、ミレニアス王太子のフレデリックだった。
「勝手にエルグラードの王族に会うなと言われているだろう!」
「挨拶に来ただけよ!」
「嘘つけ! 怒鳴り声が部屋の外まで聞こえたぞ! 国賓を怒らせてどうする!」
メルセデスはつんとした表情で言った。
「勝手に怒ったのよ。私のせいじゃないわ!」
「お前のせいだ!」
セイフリードが怒鳴った。
「メルセデスはリーナを見て文句をつけ、悪意ある言葉をぶつけた! 兄上の恋人であることを知っているにもかかわらず、あからさまに見下した。兄上やパスカルを誘惑した大悪女だと言った!」
「なんだと!」
「だって、元平民の孤児なのに王太子を誘惑したのよ? レーベルオード子爵のことも誘惑して養女になったのなら大悪女でしょう?」
「どこからそんなバカな話を聞いた?」
「あちこちでよ! そうでないとおかしいもの! 王太子の恋人にもレーベルオードの養女にもなれるはずがないわ!」
「あまりにも無礼極まりない! 強く抗議する! エルグラードの王子としてメルセデスに相応の処分を要求する!」
「ほら見ろ! 面倒なことになったではないか!」
フレデリックは吐き捨てるようにそう言うと、後ろを向いた。
「アルヴァレスト大公家の責任だ!」
「それは不味い。メルセデスを処罰するしかないな」
にこやかな笑顔を浮かべながら答えたのはアルヴァレスト大公子のアーネストだった。
「ちょっと、お兄様! 私を処罰するなんて、お母様方が許さないわよ!」
「エルグラード王族の前で問題を起こした。さすがに庇いきれない。父上も怒るだろう。残念だが、何かしらの処罰を考えないといけない」
「無理よ! 私を処罰すれば、アルヴァレスト大公家だけでなくミレニアス王家の名誉と威信が傷つくわ!」
「お前のような者がいるという時点ですでに傷ついている!」
フレデリックが叫んだ。
「自ら王家の悪口を言ってどうするのよ! このボンクラ不良王太子!」
「アーネスト、ミレニアス王太子への暴言も加わったぞ!」
アーネストは大きなため息をついた。
「取りあえず、メルセデスをここから出そう。手始めに自室での謹慎を命じるはどうだ?」
「そうする。メルセデスを連れていけ!」
フレデリックが命令すると、護衛騎士たちがメルセデスを抱え上げて部屋から連れ出した。
「来てみてよかった。絶対に何か起きると思った」
「セイフリード王子、妹が迷惑をかけしてしまって大変申し訳ない。箱入り状態で育ったせいでわがままになってしまった。年齢以上に幼い部分が多くある。レーベルオード伯爵令嬢も寛大な心で許してやってほしい」
「ダメだ! 謝罪だけでは許されない!」
セイフリードは拒否した。
「完全な暴言だった。謝罪だけで許せば、悪意ある言葉を投げても謝罪だけで許されるという悪しき前例になる。厳罰を要求する!」
「どんな罰がいい?」
フレデリックが尋ねた。
「エルグラード王族への不敬行為は許されない。死刑にするのが妥当だろう。二度と同じ過ちを犯すこともない」
「ここだけの話し合いで解決できないか? 現実的な処罰で納得してほしい」
「髪を切れ」
フレデリックとアーネストは驚きに目を見張った。
「髪を?」
「肩上だ。罪人の女性は髪を切られる。メルセデスに自らが犯した罪の重さを思い知らせろ!」
アーネストは満面の笑みを浮かべた。
「さすがセイフリード王子だ! 私はこれまでに何度も妹を処罰してきたが、髪を切るという方法は思いつかなかった。女性にとって長く美しい髪は自慢の対象だ。それを失うとなれば、妹は心から反省するだろう」
「いいのか?」
フレデリックが確認するように尋ねた。
「ぜひ、試したい。髪が短くなれば、勝手に部屋を出て行かなくなる。丁度良いだろう」
「それもそうか」
メルセデスの処罰が決定した。
そして、この件については解決ということになった。
「クルヴェリオン王太子やパスカルの耳に入るようであれば、心からの謝罪を伝えてほしい。妹が悪く思われるのは構わないが、私のことを悪く思われたくない」
「妹よりも自分の身が可愛いのか」
アーネストは迷うことなく頷いた。
「私はアルヴァレスト大公家の跡継ぎだ。政略結婚の駒にしかならない妹とは違う。自分の身を守るのが最優先だ」
「あのような者では政略結婚の駒としても使えない。嫁ぎ先で問題を起こすだけだ」
アーネストが苦笑した。
「おかげでなかなか相手が決まらない。セイフリード王子に興味を持ってもらえるのであれば嬉しいと思ったが、やはりこういう結果になったかと思った」
「興味は失せた。完全にな」
「妹への処罰を実行してくる。失礼する」
アーネストが部屋を退出した。





