312 パスカルの交渉
「ミレニアスはエルグラードとの友好を考えている。だからこそ、キフェラ王女との縁談を申し込んだ。すぐに受け入れていれば、このようなことにはならなかった」
「エルグラードは身分よりも能力を重視する風潮に変わっています。ミレニアスの王女というだけでは、エルグラード王太子の妻としてふさわしいとは判断されません」
「だとしても、側妃候補というのは酷い。せめて、正妃候補にすべきではないか? 貴族ならともかく王女だぞ?」
「王女であれば特別な配慮をすべきという考え方が、エルグラードにはありません」
全員、身分に関係なく側妃候補から。
そして、王族妃にふさわしいかが調べられ、評価されれば立場が変更になる可能性がある。
現在の側妃候補たちは立場を変更するほどの評価がない。
キフェラ王女は他の候補よりも素行が悪く、極めて低い評価になっている。
その情報が公になってしまうと、ミレニアスという国の評価が一気に下がる。
だからこそ、外務省を通じて問題があることを伝えていたことをパスカルは説明した。
「キフェラ王女は幼少より高度な教育を受けてきた。成績優秀、礼儀作法も完璧だった。婚姻を拒否したいクルヴェリオン王太子が歪んだ評価をしているのではないか?」
「違います。評価をするのは別の者で、王太子殿下はその報告を聞く方です」
パスカルははっきりと答えた。
「最初の一年間については特に問題はないと思われていました。ですが、二年目から変化しました」
キフェラ王女は不作法になり、講義を欠席するようになり、試験を受けなくなった。
わがままを言って部屋付きの侍女たちを困らせ、買い物三昧で請求書が増えた。
一年目は我慢したが、二年目からは本性が出たということ。
絶対に王族妃にはできない女性だと判断されていることをパスカルは伝えた。
「キフェラ王女との婚姻に付属する条件を変えても無駄です」
「エルグラード国王はキフェラ王女を正妃に迎えたいと思っている」
「密約にすがっても無駄です」
宰相は驚いた。
「知っているのか?」
「そうです。その上でお話しています」
エルグラード国王は穏便に交渉したいと思い、飴として密約を交わした。
だが、ミレニアスは交渉に乗り気ではなかった
飴を与えても意味がないことがわかった以上、より大きな飴を与える意味は全くない。
エルグラード国王はミレニアス王に失望していることをパスカルは伝えた。
「なぜ、密約になったと思いますか? 王同士で約束するのであれば、正式な約束として公にすればよかったのでは?」
「何をバカなことを。クルヴェリオン王太子が反対するからに決まっているではないか!」
「エルグラードの最上位は国王。王太子が婚姻に反対しても、勅命を出せばいいと思っていませんか?」
「思っている」
「では、やはり密約にする必要はないのでは? 勅命で約束は守られるはずです」
「確かにそうだな?」
宰相も疑問に感じた。
「だが、猶予期間がある。その間にクルヴェリオン王太子が婚姻すると、約束は無効だ。キフェラ王女の名誉が傷つかないように配慮したのではないか?」
「ミレニアス王の名誉が傷つかないようにするためです」
パスカルは言い直した。
「クルヴェリオン王太子が他の女性と婚姻する可能性があり、その場合は無理だという約束です。猶予期間が長いため、婚姻できない可能性の方が高くなります。王女の将来を捨てるような判断をミレニアス王がしたことが公になれば、王の名誉は傷つくでしょう」
宰相は密約の真意を理解した。
ミレニアス側から見れば、クルヴェリオン王太子が三十歳までに婚姻しなければ、キフェラ王女と婚姻する約束。
時間はかかるが、待っているだけでいいという感覚だった。
だが、エルグラード側から見れば、クルヴェリオン王太子が三十歳になるまでは、キフェラ王女と婚姻させろと言われないで済むための約束。
十年以上もあるため、その間に王太子が相手を見つけて結婚してしまえばいい。密約だからこそ、無理だったというだけで終わりになる。
「クルヴェリオン王太子が婚姻相手を選ばなかったのは偶然です。ミレニアス王はその偶然にすがり、もうすぐ成就できると妄信している状態です」
宰相は言葉が出なかった。
「真の忠臣であれば、王の妄信に付き合うべきではありません。現状を正確に把握し、適切な対応を考えてください。では」
パスカルは颯爽と部屋を退出した。
宰相は外務大臣を睨みつけた。
「せっかく同席させたというのに、お前は全く役に立たなかった」
「発言する隙がなかった。さすがレーベルオードの跡継ぎだ」
「生意気な若造だ」
「エルグラード側の認識はわかったはずだ。潮時ではないか?」
「密約がある」
「抜け道がある。クルヴェリオン王太子が別の女性と婚姻すればいいだけだろう? それでいいと王が認めてしまっている」
「お前まで言うのか? エルグラード王太子の婚姻は簡単ではない。レーベルオード子爵の言ったことは揺さぶりだ」
「キフェラ王女との縁談で解決するという交渉のやり方は間違っている。レーベルオード子爵が教えてくれたではないか」
「どのような交渉をするかは王が決定している。ミレニアスの威信をかけた交渉だ。退くわけには行かない」
「平和よりも威信か」
「当然だ」
外交交渉での解決ができなければ、武力行使での解決になる。それが戦争の幕開けになる可能性もある。
宰相のくせに、わかっていないのか?
外務大臣は失望のため息をついた。





