295 情報分析(三)
「ミレニアスは自らの立場をわかっていないようだ」
地を這うような低い声でそう言ったのはレイフィールだった。
「兄上がわざわざ出向いたのは最終通告と同じだというのに!」
「リーナの件は話さなかったのですか?」
セイフリードの質問に、クオンは即答した。
「少しだけ話した」
「リーナとの婚姻の話は?」
「それはしなかった」
「なぜですか? キフェラ王女ではなくインヴァネス大公女リリーナを妻にしたいと言えばいいだけです」
「リーナの件はまだ未確定だ。ミレニアス王の最終判断が出してから考慮する」
「それでは遅いです」
セイフリードはきっぱりと言い切った。
「ミレニアス王としては自分の娘であるキフェラ王女との婚姻を望んでいます。インヴァネス大公女との縁談しか興味がないことを伝えなければ、インヴァネス大公女との縁談になるわけがありません」
セイフリードの指摘は正しいとヘンデルも思った。
「午後、宰相と話す時に調整しておきます」
ヘンデルがセイフリードの言葉に応えるように発言した。
「ヘンデル、ミレニアスは強気の姿勢を終始崩さない。インヴァネス大公を取り込み、ミレニアス王との足並みを乱すのが得策だろう」
ミレニアス王は兄のアルヴァレスト大公に負けないため、弟のインヴァネス大公と手を組んだ。
インヴァネス大公はリーナを行方不明になってしまった娘として正式に認めたがっている。
そのことでミレニアス王と意見が違えば対立することになり、結果としてミレニアス王の力が弱まる。
国内対策を重視せざるを得なくなってしまい、国外対策は二の次。
エルグラードに対しても強気の姿勢を崩す。
それを好機にしてミレニアスとの関係を優勢に持ち込むべきだとセイフリードは主張した。
「インヴァネス大公は狙うのはいい気がする。リーナの立場が不安定な今だからこその利点だ」
レイフィールもそう思った。
だが、クオンは浮かない顔をしたままだった。
「兄上がリーナを政治に巻き込みたくないのはわかっています。ですが、絡めなくてはいけません。そうしなければ、リーナはミレニアス王族になれません」
「リーナがミレニアス王族として認められるかどうかの判断にエルグラードが国として干渉すべきではない。ミレニアス王家の問題だ」
「建前としてはそうです。ですが、リーナは元平民の孤児です。レーベルオードの養女になっても大きな足枷がついています。兄上はそれでもいいのですか?」
「婚姻を政治に活用する時代があり、それを当然と思う意識が根強くあるのもわかっている。だが、私は政略に婚姻という手段を持ち込みたくはない。インヴァネス大公夫妻はリーナを手元に置きたいだろう。縁談についても、こちらが思うようにはいかないかもしれない」
リーナがインヴァネス大公夫妻の娘として正式に認められ、ミレニアス王族になるには、国籍などの変更を行わなくてはならない。
その手続きが終わると、クオンもエルグラードもリーナに対する保護権を失う。
その時になって、インヴァネス大公が態度を翻す可能性をクオンは懸念していた。
「インヴァネス大公の計略でリーナを手放すことになるかもしれないと心配しているのでは? ですが、婚姻に関する対策を万全にすればいいだけのこと。ミレニアスがうるさいようであれば、それを理由に戦争を仕掛ける手もあります。まずは国境付近にあるユクロウの森を焼いて犯罪者を撲滅、そのあとすぐに休戦交渉をする手もあります」
「それはいい! 速攻でユクロウの森の作戦を展開する!」
レイフィールは喜んだ。
「兄上、生ぬるい態度ではダメだ。このままでは国境付近に住む国民が越境してくる犯罪者の餌食になり続けてしまう。もう限界だ。だからこそ、兄上がミレニアスに来たわけだろう?」
「そうだ。だが、交渉相手はミレニアス王だけではない。アルヴァレスト大公との会談も控えている。できる限り多くの情報を集めた上で判断したい」
「わかった。情報収集に努める」
「僕もそうします。何かあればまた報告します」
「ヘンデル、宰相との話し合いには注意しろ。エルグラードの宰相ではないといって下に見てくるだろう。舐められるな」
「わかりました」
「僕から提案がある。ヘンデルは舐められたまま退いてみろ。その方がうまくいく」
その場にいる全員が眉をひそめた。
「私が退くような態度を取れば、交渉において不利になるのではないかと思うのですが?」
「ミレニアス王は歓迎の時にはかなりの優遇で下手に思えた。だが、兄上との一対一の交渉では終始強気だった。それを考えると、ミレニアス王は兄上を軽視している」
ミレニアスはエルグラード以上に身分の差が激しい。
王と王太子では王の方が上。大国の王太子であっても、王ではないという偏見があることをセイフリードは話した。
「ヘンデルも同じように見られる。宰相に対して対等なのは宰相。王太子の側近は格下だ。ただの伝令だと思う。それを利用する。愛想笑いをしながら兄上にとって不都合なことは拒否すればいい。そして、エルグラード国王に伝える価値がないと言えばいいだろう」
ミレニアス側はエルグラード国王との交渉を望んでいる。
だが、外交使節団の者が交渉内容を持ち帰られなければ、エルグラード国王との交渉はできない。
そうなると、外交使節団の者がエルグラード国王に伝えてくれる内容に譲歩するしかないというのがセイフリードの見立てだった。
「貴重なご意見をありがとうございます。懸命に愛想笑いをしながら、ミレニアスの悪しき提案を全て拒否します」
「まだある。わざとエルグラード国内の経済への影響を話題に絡め、自分は国内担当だからこそ事情通だとアピールしておけ。こちらに有利に働く可能性がある。エルグラードという大国の威を借りるような言葉を慎重に選んで使うのも有効だ」
「そうかもしれません。第四王子殿下が交渉された方が、成果が得られるかもしれないような助言に驚きました」
「馬鹿か」
セイフリードは明らかにヘンデルを見下すような表情でそう言った。
「僕は未成年だ。子ども相手に本気の交渉をするわけがない。僕の機嫌取りをするような無駄な言葉は必要ない」
「では今後、無意味な装飾的発言は控えさせていただきます」
「兄上、そろそろ僕は用意もありますので、この辺で失礼したいのですが、構いませんか?」
「パスカルも同行するのか?」
「いいえ。護衛騎士に任せます。私は別件がありますので」
パスカルが答えた。
「セイフリード、無茶はするな。今は未成年だということを有効に使う時だ。それからもう一つ、あまり遅くはならないようにしろ。外泊は駄目だ」
「元よりそのつもりです。すぐに用件を済ませて戻るつもりでいます」
「ならいい」
「では、失礼します」
「インヴァネス大公子と合流するまで側につきます」
セイフリードが席を立つと、パスカルも席を立った。
二人が退出した後、早速口を開いたのはレイフィールだった。
「セイフリードに外交関係の執務をさせてもいいかもしれないな? 威圧的な態度で相手を蹴散らし、エルグラードに有益な外交関係を構築するかもしれない」
「同感です」
ヘンデルがそう言うと、クオンは不満げな表情をありありと見せた。
「エゼルバードがいないからといって遠慮がなさすぎる。外務をセイフリードに任せると言ったら、エゼルバードがどうなるか考えているのか?」
「猛吹雪だな」
「極寒かなあ」
「エゼルバードとセイフリードの関係が永久凍土になる。兄としてそれだけは絶対に阻止しなければならない」
レイフィールとヘンデルは納得した。





