289 安全講義
乾杯が行われたが、リーナは発泡酒が苦手で一口しか飲まなかった。
すると、隣の席についたアベルが話しかけて来た。
「レーベルオード伯爵令嬢、気分が悪いと感じたらすぐに言ってください」
「大丈夫です。気分は悪くありません」
「もしかして、発泡酒は苦手なのでしょうか?」
「そうです。喉が痛くなりませんか?」
炭酸の刺激を好むかどうかは嗜好次第。
リーナはどちらかというと苦手な方だった。
「苦手な者もいるでしょうが、刺激的でスッキリとすると者もいるでしょう。私も得意とは言いませんが、毒の痛みとは違うので安全です」
「毒の痛み? どんなものなのかご存知なのですか?」
リーナは驚いた。
「毒の種類にもよります。致死量でなければ死なない毒もありますが、自ら飲むのは愚行です。毒の効き方には個人差もありますので、普通は少量でも飲めば死んでしまいます」
「そうですよね!」
非常に危険だとリーナは思った。
「高位者は毒を警戒するので、飲食物の味には注意しなければなりません。ですが、毒の種類も味もわからないはずですので、一気に飲むのは避けた方がいいでしょう」
「なるほど」
「レーベルオード伯爵令嬢は乾杯の時に少しだけ口をつけていましたね? 非常に賢明です。ここは最高級ホテルですが油断は禁物ですので」
アベルは淡々とした口調だったが、リーナへの言葉自体は丁寧なものだった。
「乾杯したあと、グラスの飲み物を一気に飲み干す者もいますが、雰囲気に流されないことも重要です。少しだけ飲む、あるいは飲むふりだけをして全く飲まなくても構いません」
「全く飲まなくてもいいのですか?」
「酒を飲めない者に酒が配られてしまうこともあります。無理をすることはありません。乾杯としてグラスを掲げ、飲もうとすることで賛同をあらわしています。それ以上のことは気にしないでいいでしょう」
「そうでしたか。教えていただいて良かったです。全部飲まないといけないと思っていました」
リーナは良いことを聞いたと思った。
「レーベルオード伯爵令嬢はエゼルバード様に同行されています。礼儀作法を勉強してマナーを守ることは大事ですが、安全にも注意しなければなりません。もしよろしければ、飲み物に対する安全性の確認について教えましょうか?」
「ぜひ、お願いいたします!」
勉強できると思ったリーナは即答した。
「まずはしっかりとグラスを見ます。ふちの部分に何かがついていないか、飲み物の色や、薬物の溶け残ったカスなどがないかを見ます」
「グラスのふちも見るのですか……」
「次に香りを確かめます。飲むふりをしながら舌先をつけ、味に問題ないか、しびれ等の症状がでないかを確認します。問題なければ一口含みますが、異常を感じた場合は吐き出します。毒は飲まないことだけでなく、口内に留めないことも大切です」
アベルは一連の動作を実演した。
とてもスムーズな動作のため、毒の確認をしているとは全く思えない。ただ飲んでいるだけのように見えた。
「できれば少量だけ残します。これは毒物がグラスの底に残りやすいことを考慮しています。底の部分を残せば、毒が混入されていたとしても摂取量が減ります。また、あとで飲み物に毒物が混在しているか、どのような種類の毒かなどを調べることができます。全て飲み干してしまうと、毒の種類を調べることができません」
「気をつけます」
アベルとリーナが会話をすることにもその内容にも、周囲の人々は驚いていた。
「今日のアベルはやけに饒舌ですね」
エゼルバードが声をかけると、アベルはハッとしたような表情になった。
「申し訳ありません」
「リーナに気を遣うのは良いことです。ですが、内容の方はもう少し考えるべきでは?」
「……申し訳ありません」
「リーナ、この茶会に饗されるものは全て安全です。アベルは他の者よりもそういったことへの関心が高く、普段から非常に注意しています。性格的なものなので許してあげなさい」
「アベル王子殿下のお心遣いには感謝しかありません。安全確認はとても重要なことですし、勉強できて良かったです。心からお礼申し上げます!」
「アベル、リーナの隣に座れるというのは、とても幸運なことです。私が忙しい時はリーナの面倒をみてあげなさい」
「かしこまりました」
エゼルバードの命令により、リーナの世話役はアベルになった。
お茶会用のスイーツが用意され、リーナは嬉しそうに食べていた。
エゼルバードは会話の合間にリーナの様子を確認し、人見知りで無口なアベルが丁寧にリーナの面倒を見ているのに満足した。





