263 チューリフ到着(二)
「それからリーナの素性だけど、インヴァネス大公夫妻の娘らしいわ。誘拐されなければ、ミレニアス王族の娘として育っていたってこと」
「それはすごいね。良い材料だ」
「ただ、当時は婚外子だったらしいわ。生母はインヴァネス大公妃だし、同父母の弟は大公子だわ。それを考えればリーナも大公女になれそうだけど、行方不明になったあとに前王の判断で死亡扱いになっているの。父王の判断を撤回をしてでもミレニアス王がリーナを王族の一員に加えるかどうかはわからないわ。たぶん、そのことについても王太子殿下とミレニアス王で話し合うと思うわよ」
エンゲルカーム卿は感心するような表情を浮かべた。
「妻が優秀な侍女であることを嬉しく思うよ。さまざまな情報を教えてくれるからね。いきなり同行することになったからといって、何も知らないままでは困ってしまう。レーベルオード伯爵令嬢のことはまさにそうだ。平民の侍女だと思っていたよ」
「それでも調査官なのと思ってしまいそうよ」
「その情報はかなりのレベルだろう。最上級の調査官である私でも知らない。まあ、伝える時間がなかっただけかもしれないけれどね」
「最上級? 下級調査官だったわよね?」
メイベルは驚くように眉を上げた。
「出会った頃はね。ちゃんと出世をして上級になったよ。今回のことで最上級になった」
「知らなかったわ。ますます嫉妬されそうね。下級貴族のくせに生意気だって」
「王太子府は実力主義で出世する。他の組織とは違って、下級貴族や平民でも重職についている者が大勢いるから大丈夫だよ。ただ、目立ちすぎるのはよくない。私は調査官だから余計にね」
「貴方宛ての荷物が屋敷に溜まっているのだけど、片付けて来たのでしょうね?」
「調査部の方に送って、処理を頼んでおいたよ。誰からどんな賄賂が届いたのかも、調査内容になるからね」
「調査部って、何でも調査するのね」
「それが仕事だからね」
リーナは大人しくメイベルとエンゲルカーム卿との会話に耳を傾けていた。
王太子府に勤務する官僚だということ、子爵家の跡取りということは知っていたが、社交上手でお洒落な人のようだとリーナは感じた。
「リーナ、ごめんなさいね。ずっと夫とばかり話してしまったわ」
「大丈夫です」
リーナはメイベルが余計な気を使わないように微笑んだ。
「それにしても、王宮までは遠いのですね。馬車の速度がゆっくりということもありますが、なかなか到着しません」
「チューリフはチューリップの形をしているからね」
エンゲルカーム卿の言葉に、リーナは興味を持った。
「チューリップの形ですか?」
「ミレニアスの国花はチューリップだ。だから王都のチューリフはチューリップの形に作られていて、王宮があるのは花の部分になる。今、通っているのは茎の部分だ。両側にある葉の形をした部分が貴族街で、球根の部分が商業区だ」
「平民街はどこにあるのでしょうか?」
「チューリップの花、茎、葉、球根以外の外周部分だ。チューリップを取り囲むように平民地区があると思えばいい」
「チューリフについてよくご存じのようです。以前にもミレニアスにいらしたことがあるのでしょうか?」
エンゲルカーム卿は頷いた。
「何度もある。私は王太子府の調査部に所属している官僚でね。様々なことを調査するのが仕事だ。エルグラードとミレニアスは国境問題で揉めているだろう? そのことに関する調査のために何度も来ているよ」
「何度も?」
メイベルは夫を睨んだ。
「ミレニアスのお土産を貰ったことがないのだけど、どうしてかしら?」
「それには二つの理由がある」
エンゲルカーム卿はにこやかな笑みを崩さなかった。
「一つは調査する場所のお土産を買うとは限らない。君への土産で、私がどこに行って仕事をしているかわかってしまうからだ。極秘調査の時もある」
「それはわかるわ。でも、何度も行ったことがあるのでしょう? だったら、一回位はお土産を買って来てもおかしくはないわよね」
「内密の調査が多くてね。でも、レールス土産は買って来たことがあるよ? 君が大好きな鶏肉をね」
メイベルははっきりと覚えていなかった。
「鶏肉は普段からよく出るから気にしてなかったかもしれないわ」
「ワインとチーズも手配したよ」
「気づきにくいわね」
「メイベルに喜んでもらえる土産ばかりがある駅がほしいよ」
いつも駅で土産を買っているのかとメイベルは思った。
「今回の移動中に立ち寄った駅は便利だったわ。エルグラードが栄えていることを実感できたけれど、ミレニアスに駅はないようね?」
「エルグラードのような駅はない。普通の都市や町や村だけだね」
駅のような制度はどの国でもあるが、国内に多くの施設を設置するには費用がかかり、運営も赤字になりやすい。
エルグラードはいち早く駅を国内中に整備したこともあって、商業的な要素を強めた駅を作ることで施設の運営を継続させている。
それでも国内における駅の赤字運営率は高く、黒字運営分でカバーできていないことをエンゲルカーム卿は話した。
「王太子殿下がミレニアスに行くことを決心したのは、駅の見直しをしたかったことも大きいとは思うよ」
「私は栄えている駅しか見てないけれど、赤字運営の駅が多いなんてびっくりだわ!」
「主要街道の大きな駅ばかり見ただろう? 新しい駅ができたせいで昔からある小さな駅はさびれてしまっていることが多い。地方に行くとオンボロ小屋の駅もある。野宿するよりはましって感じだよ」
「オンボロ小屋ならいらないわよね?」
「駅がないと野宿をする旅人を狙った犯罪が増えて、治安が悪くなりやすい」
「怖いわね」
「民間の駅が幅を利かせているせいで、近くにある国営の駅が寂れてしまうこともある。駅について見直すべき時期にきているかもしれない」
駅に関する話題を聞いて、リーナはクオンのことを思い出した。
クオン様はとても大変な仕事をしている……。
リーナはクオンを支えたい。力にもなりたい。
しかし、クオンの仕事はあまりにも大きいことばかり。
自分では役立てそうもないとリーナは思うしかなかった。
私は……どうすればいいの?
リーナは自らに問いかけるが、ため息しか出てこなかった。





