262 チューリフ到着(一)
エルグラード王国からの大訪問団はミレニアス王国の王都チューリフに到着した。
王都から王宮へ続く沿道は多くの人で埋め尽くされ、両国の手旗がはためいた。
リーナが乗った馬車はエルグラードの要人が乗る馬車として注目を浴び、大歓迎を受けた。
窓から外の景色を眺めていたリーナは、熱烈な歓迎ぶりに驚きを隠せなかった。
「国境問題で揉めているとは思えないほどの大歓迎です!」
「ミレニアスの国民は国境問題で揉めていることに関心がないのよ」
治安が悪化しているのはエルグラードの国境地帯で、ミレニアスの方ではない。
あくまでもエルグラード国内の問題で、ミレニアスには関係ないという対応を取っていた。
「さすがメイベルだ。的確な感想だよ」
同じ馬車に乗っているエンゲルカーム卿が微笑んだ。
「今回は私がお土産を買う方だと思っていたわ。調査部なのに、どうして伝令として来たの?」
「国家機密に相当する伝達内容だけに、扱える者は限られている。伝令部のエースが長距離出張を嫌がった」
「ジェフリーらしいけれど、それは許されることなの?」
「娘が高熱を出していて、看病していたアリシアも高熱が出た。そんな状態での長期不在は無理だと、キルヒウス殿に土下座したらしい」
「それなら仕方がないわね……」
高熱で苦しんでいる妻子を置いて他国に出張するのは、ジェフリーでなくてもつらいだろうとメイベルは思った。
「どうせ人を送るなら伝令だけでなく調査もさせようということになって、出張から戻ったばかりの私に話が来た」
ニコニコと事情を説明する夫に、メイベルは盛大なため息をついた。
「そうやって出張につぐ出張が入るわけね」
「キルヒウス殿に直々に命令された。調査部長と伝令部長にも頼み込まれた。メイベルに会えるのに、行きたくないなんて言えるわけがない」
エンゲルカーム卿は出張ばかりで王都にいないが、愛妻家だと言われていた。
「今回の仕事を引き受けるおかげで、情報開示のランクがかなり上がった。このランクが上がるほどレベルの高い国家機密を扱うことができる。出世できるということだよ」
「ますます出張が増えるだけじゃないの?」
「そうかもしれないね」
エンゲルカーム卿は苦笑した。
「それよりもメイベル、ずっと気になっていることがあるのだが?」
「何かしら?」
「君の同僚を紹介してほしい」
メイベルはハッとした。
「すっかり忘れていたわ」
「それは困るね」
「ええ、本当に。貴方は何も知らないでしょうから」
メイベルはリーナのことを紹介することにした。
「こちらはリーナ・レーベルオード伯爵令嬢よ」
「なんだって?」
予想とは違う名称にエンゲルカーム卿は驚いた。
「養女になったのかい?」
「そうなの。国境を越える前に手続きをしたわ」
「そうか。では、いよいよ王太子殿下も本気で狙うつもりかな?」
「失礼な言い方はしないで!」
ニヤニヤする夫に妻は厳しい口調で注意した。
「リーナ様は王太子付きの侍女官よ。一部の者しか知らないけれど、王太子殿下の恋人なの」
「恋人だって?」
エンゲルカーム卿はさらに驚いた。
「あの堅物朴念仁がレーベルオード伯爵令嬢を恋人にしたのかい?」
「言葉に気を付けて。リーナから告げ口されてしまうと、貴方の首が飛ぶわよ?」
「悪口ではないよ。とても真面目な方だという表現だ。で、思わず確認してしまうほどの内容だけれど、本当に恋人なのだろうね?」
「私の情報が間違っているわけがないでしょう? 王太子殿下は弟王子や側近たちが同席する中で交際を申し込まれたの。リーナは王太子殿下の申し出を受けたわ。国王陛下の許可がないから非公式だけど、護衛の数も増やされたのよ」
「そうだったのか。となると、一波乱も二波乱もありそうだね?」
夫の言葉に、妻は不審な視線を送った。
「どういうこと?」
「国王陛下は王太子殿下の正妃としてキフェラ王女を考えられているからに決まっているじゃないか。身分的には大本命だよ」
「まあ……ちまたではそう言われているわね」
「王太子殿下がご自身で相手を選ばれるのはいい。ただ、レーベルオード伯爵令嬢は養女で元平民だ。側妃ならともかく正妃にするのは反対されるに決まっている。でも、王太子殿下は妻を一人だけにしたいと思われている。波乱が起きるのは必至だ」
メイベルは眉をひそめた。
「王太子殿下の正妃としてキフェラ王女が推されているのはわかっているわ。でも、王太子殿下はその気がないでしょう?」
「全くないだろうね」
「身分的には王女よりも下だけど、寵愛されている伯爵令嬢の方がいいわよ。養女でも貴族だし、正妃にすればいいじゃないの」
「そう言えるのはメイベルが平民出自の先進的な人間で、王太子殿下の意向を重視しているからこその意見だよ。でも、大多数の人々は出生時の身分を重視するだろうし、王太子殿下よりも国王陛下の意向を重視する」
エンゲルカーム卿はリーナに視線を変えた。
「私はレーベルオード伯爵令嬢が王太子妃になることに反対しているわけではないよ。ただ、王太子殿下が正妃に望めば、大騒ぎになるのはわかっている。もしかすると、命に関わるような危険もあるかもしれない。そのことを強く心配しているだけだ」
メイベルは余計なことは言うなという気持ちを込めて夫を睨んだ。





