247 二人きりの馬車
インヴァネス大公領での滞在予定が終わった。
朝食後、リーナは出立の挨拶の場に同席するようクオンからの指示が届いた。
インヴァネス大公夫妻はクオンたちと共に王都に向かわない。ウェイゼリック城に数日滞在したあとで王都に向かう予定になっていた。
これはウェイゼリック城で王太子一行を歓待したあとのさまざまな事後処理をするためだったが、ふさわしい宿泊場所が確保できないという事情もあった。
「王都までの道は整備されている。多くの護衛がいるために安全だろうが、道中は気を付けられよ」
インヴァネス大公が挨拶をすると、クオンはそれに応えた。
「インヴァネスでの滞在は有意義なものだった。また、個人的に伝えることがある。リーナへの贈り物だ。さまざまな配慮に感謝する」
「リーナはフェリックスの姉になる。妻の息子であるパスカルにとっては妹だ。個人的に配慮したかった。受け取ってくれて何よりだ。妻も喜んでいる」
「私にとって、リーナは大切な子どもの一人です。クルヴェリオン王太子のお側で懸命に努めることでしょう。パスカル共々よろしくお願いいたします」
「二人ともよく仕えてくれている。心配は無用だ」
「また王都で会うことになる。しばしの別れだ」
「どうかお気をつけて」
クオンは視線をリーナに向けた。
「リーナ、ここに来い」
「はい」
リーナはクオンの側に来た。
「インヴァネス大公夫妻に挨拶せよ」
「インヴァネス大公殿下、大公妃殿下、またお会いできてとても嬉しく思いました。ウェイゼリックの滞在中、さまざまなご配慮をいただいたことに心から感謝申し上げます。私はクルヴェリオン王太子殿下と共に王都に向かいます。どうかお体にお気を付け下さいませ」
リーナが挨拶すると、インヴァネス大公夫妻は柔らかな表情を見せた。
「王都で再会できるのを楽しみにしている」
「また会いましょう」
クオンはリーナの手を取って馬車まで移動すると、先に馬車へ乗せた。
通常であれば、王太子のクオンがリーナをエスコートすることはなく、馬車に乗るのも先になる。
そうしなかったのはクオンがリーナを恋人として大切にしていることをあらわすためだった。
「クオン様、この馬車には私たちだけなのでしょうか?」
馬車に乗り込んだリーナは、他に乗り込むに者がいないことに気づいた。
「そうだ」
「別の馬車の中が窮屈になってしまうのではないでしょうか?」
「メイベルには女性用の馬車を一台用意した。他の者は馬車か単騎か選べと言ってある。心配は無用だ」
「そうですか」
エゼルバード様とセイフリード王子殿下が気になります……。
とはいえ、心配したところでどうにもならないこともリーナはわかっていた。
「窓の景色を見るならいいが、そうではない場合は真ん中に座った方がいい。馬車が安定しやすく、乗り心地もよくなる」
「ここでは端過ぎるでしょうか?」
「窓からの景色を見たいのであればいい」
リーナは外の景色を楽しむために窓際の方に座った。
クオンは馬車の中央付近に座る。
二人の間には約一人分の距離ができた。
馬車が出発した。
ウェイゼリック城の敷地を抜けると、領都の風景が広がった。
領都を抜けた後は、ミレニアスの王都チューリフへ続く大街道をひたすら進むことになる。
「リーナ、景色はどうだ?」
馬車が大街道に入ってしばらくすると、クオンは窓からの景色を無言で眺め続けているリーナに声をかけた。
「ずっと森の中を進むと思っていましたが、平原もあるようで驚きました」
「インヴァネスは森が多い。一旦開けた場所に出ても、しばらくするとまた森に入る」
「クオン様はミレニアスに来たのは初めてですよね? どうしてご存知なのでしょうか?」
「事前に経路の地図を見た。それでわかる。ところで、そろそろ私の側に来ないか?」
クオンは平静を装いながら聞いてみた。
「クオン様のお側に座るということでしょうか?」
「二人きりで過ごせる機会はなかなかないと思い、チューリフへ移動する時間を活用することにした。恋人として親睦を深める機会になるだろう?」
「もしかして、チューリフまでずっと二人だけなのでしょうか?」
「直前まではそうだ。到着日時を調整するため、チューリフ近郊の都市に一泊することになっている。その時に馬車の振り分けを変更する」
「私は女性用の馬車に乗るということでしょうか?」
「いや。私と同じ馬車だが、王太子付き侍女官として乗る。ヘンデルとメイベルも一緒だ。公私混同をしないよう注意してほしい」
「はい」
リーナは少しずつ席を移動してクオンの側に来た。
するとクオンの手が伸び、あっという間にリーナはクオンの腕の中に収まった。
「ここが恋人らしい場所ではないか?」
「……そうかもしれませんが、ちょっと恥ずかしいです。しかも、これほど広い馬車なのに密着して座るのはおかしくないでしょうか?」
「おかしくない。恋人として座る方が優先だ。近ければ近いほど親密な証拠ではないか? 嫌なら正直に言ってほしい」
「嫌ではありませんけど、ずっとこのままなのでしょうか?」
「取りあえずしばらくはこのままだ。恋人としての時間を堪能したい」
「わかりました」
二人は恋人としての時間を堪能することにした。
クオンがリーナを抱きしめたまま無言の状態というだけだったが、二人はくすぐったいような恥ずかしいような嬉しい時間を味わった。
とはいえ、無言。
何か話した方がいいのかもしれないと思ったクオンがリーナを見ると、胸に寄りかったリーナは目を閉じていた。
「リーナ、眠ってしまったのか?」
リーナの瞼がすぐに上がるが、その瞳はやや眠そうだった。
「クオン様と一緒にいると安心します。馬車の揺れも眠気を誘うといいますか……」
「今朝は出発のために起床時間が早かった。そのせいかもしれない」
「そうですね……忘れ物をしたら大変なので気を使いました」
「このまま眠ればいい。私も早起きだった。少し休む」
「はい」
リーナは嬉しそうに微笑むと、安心しきってクオンの胸の中での眠りを堪能することにした。
クオンもまた安心しきっているリーナの姿に優しい眼差しを向けた後、しばしの休息をとるために目を閉じた。





