239 慌てて戻る
リーナが目を覚ますと、広いベッドの中に一人きりだった。
クオンがいない。
寂しい気持ちを感じながらリーナは身を起し、視線を彷徨わせた。
探したのはクオンの姿ではなく時計の方。
七時半!
リーナは急いでガウンと緑の豪華な外套を身に着けると寝室を出た。
自分の部屋に戻り、すぐに身支度を整えなければならないという考えで頭がいっぱいだった。
控えの間に行くと、リーナの姿を見た騎士達がすぐに崩していた姿勢を整えた。
「おはようございます、リーナ様」
代表して声をかけた騎士に倣い、他の騎士達も一礼する。
リーナはキョロキョロと控えの間を見まわしながら言った。
「おはようございます。寝坊してしまいました。すぐに部屋に戻らなくてはなりませんので、廊下へ行きたいのですが?」
「大変申し訳ありません。現在、リーナ様につく護衛が別室に招集されています。しばし、奥の部屋でお待ちいただけますでしょうか?」
護衛騎士はやんわりと、それでいて通す気はないことを告げた。
「でも、時間があまりありません。私は外出する予定なのです」
「存じております。確認しますので、とにかく奥の部屋でお戻りください」
「わかりました」
リーナは控えの間から戻るとソファに座った。
その視線は時計に固定された。
八時までは問題ない。それ以降になると、朝食を食べることができないかもしれない。
どんなドレスを着用して外出するかも検討しなければならない。
とにかく、手早く身支度をしようとリーナは思った。
カチカチと時計の音だけが静まり返った部屋の中に響き続ける。
ドアが開いたのは、それから間もなくしてからだった。
「リーナ」
部屋に入って来たのはクオンだった。
ヘンデル、パスカル、ラインハルト、顔を見知っている護衛騎士たちもいた。
「おはようございます、クオン様。寝坊してしまいました。申し訳ありません」
「わざと起こさなかった。気にするな」
クオンはリーナを抱きしめると、軽く額に口づけた。
「簡単に説明する。私の恋人となったことを考慮し、担当の護衛を増やすことにした。正式な恋人ではないため、内密の配慮だ。表向きは臨時的な処置として側近扱いの侍女官にする」
側近扱い……。
階級が上がったようだとリーナは思った。
「護衛の数も増える。新任の顔と名前を覚えてほしい」
「はい」
「全体会議が八時からある。部屋に戻って身支度を整えろ。エゼルバードはまだ起きていないようだ。朝食を取る時間もある。しっかり食べておけ。エゼルバードは夢中になると他のことがなおざりになる。買い物に夢中になると、昼食をとる時間を考えないかもしれない」
「クオン様は朝食を取られたのでしょうか?」
クオンはすぐに答えなかった。
「……全体会議を早く終わるようであれば、その後に取るつもりではいる」
「そうですか。もしよろしければ、その時に私を呼んでいただけないでしょうか?」
「一緒に朝食を取るのは無理だ。それほどの時間はない」
「クオン様のために美味しいお茶をお淹れしたいのです。今はその程度のことしかできませんが、クオン様の役に立ちたいです」
「とても嬉しい」
クオンは微笑んだ。
「気持ちだけで十分だ。会議を優先しなければならない。リーナも外出がある。その方を優先しろ」
「はい」
クオンはリーナを抱きしめた。
「必ずまた一緒の時間を作る」
クオンはリーナに優しく口づけた。
「パスカル、部屋まで送り届けろ。メイベルに託してから戻れ」
「御意」
パスカルは恥ずかしさから動けないでいるリーナの側に寄った。
「時間があります。急ぎましょう」
時間という言葉にリーナはハッとした。
「はい! 寝坊の分を取り返します!」
気を取り直したリーナはパスカルたちと共に自分の部屋に向かった。
リーナの部屋にはメイベルがいた。
「おはようございます」
きっちりと挨拶するメイベルに、リーナは挨拶を返した。
「おはようございます」
「リーナ様に申し上げます。新しい辞令と指示が出ました。今後、リーナ様は王太子殿下の特別な女性及び側近扱いの侍女官になりました。リーナ様が上になりますので、これまでのような同列としての会話をすることはできません。私に対しての敬語は必要ありません。また、側近扱いの者にはかなりの権限が与えられます。リーナ様はご自身の身の周りに関すること、安全に関することで何かあれば指示か命令をしてください」
これまでとは全く違う雰囲気、他人行儀ともいえるメイベルの言動にリーナは困惑した。
「私は王太子付きですし、メイベルさんも王太子付きです。私は側近扱いとは言っても、パスカル様やヘンデル様のような側近ではありません。能力だってありません。メイベルさんは先輩ですし、これまでのように接することはできないのでしょうか?」
「できません。リーナ様の能力に関係なく、側近扱いの侍女官という立場は揺るぎません。上の者らしく振る舞い、きちんと命令するということも大切な仕事になります。命令してくれなければ、下の者はどうしていいのかわかりにくく、かえって困ることになるでしょう」
メイベルが淡々と説明したことは、リーナもなんとなくわかってはいる。
だが、まさか自分が王太子の側近扱いの侍女官になるとは思わなかっただけに、自分が上の立場になることに対する違和感があった。
「私は会議があるのでこれで。リーナを頼みます」
「かしこまりました」
パスカルも部屋を退出すると、入れ替わるようにして護衛騎士のサイラスが顔を見せた。
「失礼します。新しくリーナ様付きになった護衛騎士たちとの顔合わせを行いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「リーナ様はこれから身支度を整えます。そのあとに朝食です。外出予定があるので、顔合わせはあとにしてください」
「わかりました。では、のちほど」
サイラスはすぐにドアを閉めた。
メイベルはリーナと二人きりになると、大きな深呼吸をした。
「いきなりで驚いたでしょう? 恋人でも側近扱いでも王太子殿下に選ばれたのだから、ふさわしくあるようにね。でも、二人だけの時はこれまで通りでも平気といえば平気よ。何でも相談して」
リーナは安堵と喜びの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、メイベルさん!」
「もう一度言うけど、二人きりの時だけよ。他の者がいる場所ではダメだから気をつけて。私のことはメイベルと呼び捨てにすること。それが無理なら、エンゲルカーム夫人でもいいわ。通達があった以上、リーナが上だということを示さないといけないのよ。わかったわね?」
「はい!」
「わかりました、でしょう?」
「わかりました」
「まずはシャワーを浴びて。時間が惜しいから今着ているものは放置していいわ。朝食の用意を言いつけたあとで私が片付けておくから。着用する衣装は椅子の上に出してあるからそれにして」
「わかりました」
リーナはすぐにバスルームへ向かった。





