232 失いたくない
「これだ」
リーナは信じられないと思いながら尋ねた。
「寝転がるという催しですか?」
「自分で持つことが可能な敷物、クッションや枕、ひざ掛けなどを持参し、好きな場所で寝転がる。昼寝をするという催しだった」
確かに王太子らしい催しでもなければ、真面目とも言いにくいとリーナは思った。
「参加者は多かったのですか?」
「正直に言うと、参加者は少ないだろうと思っていた。だが、驚くほど多かった」
「意外です」
「私も意外だった。参加者の中には外で寝転がったことがない者もいた。経験してみたいと思ったらしい」
「そうなのですか」
「開催場所は郊外にある広大な自然公園だった。そこで自分の好きな場所に敷物を敷き、その上に寝転がって空や周囲の景色を見つめ、風の流れや土の香りを感じた。勉強ばかりの毎日だったため、何もせず、ただぼんやりと過ごす時間がほしかった。いつの間にか眠ってしまう者もいたが、私は眠れなかった。周囲にかなり多くの者が寝転がっていたため、気になって仕方がなかった」
クオンの言葉にリーナは苦笑した。
「クオン様の側に寝転がるのが大人気だったのですね」
「今はリーナしかいない。私の隣に寝転がることができる。普通は体験することができない貴重な機会だ。経験してみてはどうだ?」
「そうですね」
リーナはクオンの隣に寝転がった。
「貴族の女性としては、このように外で寝転がるのははしたないことなのかもしれません。でも、王太子殿下のお許しがあるので大丈夫ですよね?」
「大丈夫だが、寝心地がいいとは言えない。時間も遅い。暖かい時間の方がいいだろう」
「そうですね。でも、空がとてもよく見えます」
クオンとリーナは砂浜に横たわり、静かに空と湖と砂浜の景色を見つめた。
クオンの手が伸び、リーナの手を掴んだ。
リーナもまたクオンの手を握り返す。
手の感触とぬくもりを通じて、互いの存在を感じ取れた。
風が吹き抜けていく。
季節は春になったとはいえ、インヴァネスの気候はまだまだ涼しい。
晴れた日中であっても、湖畔に漂う空気は冷たかった。
その中で、唯一温かいのはつないだ手のぬくもり。
失いたくない……。
クオンはリーナへ対する気持ちが強くなっていることを感じた。
王太子は常に冷静沈着でいなければならない。個人的感情に支配されてはいけない。
わかっていても、リーナへの気持ちを抑えることは難しかった。
「長居すると風邪をひく。陽が落ちる前に帰ろう」
クオンは身を起こした。
「はい」
リーナは頷いたが、本心としてはもう少しこのままでいたかった。
それはクオンと一緒にいる時間が自分にとってかけがえのないものである証拠だった。
「帰ったら忙しくなりそうです。エゼルバード様がドレスを検分すると言っていました」
「明日は存分に買い物を楽しめばいい。恋人として一緒に行きたいが、ミレニアスに来たのは私的な旅行を楽しむためではない。仕事が優先だ」
「とても大事なお仕事なのはわかっています。私への気遣いは無用です」
「恋人になっても一緒に過ごす時間は少ないままだ。もっと時間が取れるようにしたいのだが」
恋人……。
リーナはクオンとの関係が特別なものになったのだということをあらためて感じ、嬉しくなった。
「お忙しいのに、無理をする必要はありません。大事なことが優先です」
「リーナのことも大事にしたい」
王太子としての役目も重要だが、クオンには一人の人間としての考えも人生もある。
ミレニアスや政治的な思惑に巻き込まれ、リーナは苦労するかもしれない。
守りたいと言いながら、結局は困難な方へ連れて来てしまったとクオンは感じた。
それでも、リーナと一緒にいたい……。
クオンはリーナの手を取ると立ち上がった。
「恋人として触れてもいいか?」
「え?」
すでに手をつないでいるとリーナは思った。
「なぜそのようなことを?」
「これからは恋人らしいことをしていきたい。だが、強制するつもりはない。問題ないか確認しておきたかった」
「そうですか。でも、恋人なら恋人らしいことをするのは普通ですよね? なので、大丈夫です」
「許した以上、取り消すことはできない」
そうなのかとリーナが思った瞬間だった。
長身のせいで遠いはずのクオンの顔が近づいてきた。
そして、唇と唇が重なった。
優しく触れるような口づけだった。
「嫌だったか?」
「嫌ではないです。でも、もっと長いものだと思っていました」
リーナは正直に答えた。
「初めてだけに配慮した。本当はもっと長くするものだろう」
「そうですよね」
「どのような反応をするのか心配だったが、平気そうだ。恥ずかしがると思っていた」
そうかもしれないとリーナも思った。
「恥ずかしい気持ちもありますけど……変な気分です」
「変なのか?」
「だって、一瞬でした。普通はもっと長いはずですよね?」
「わかった。普通にする」
クオンはもう一度リーナに口づけた。
触れあった唇の感触をしっかりと感じ合うことができる長さだった。
口づけが終わると、さっきとはうってかわりリーナの顔は真っ赤になっていた。
「恥ずかしかったようだ」
「そうです。でも、これが普通です」
「普通の方がいい」
クオンの中にリーナへの愛しさが広がった。
「帰る。砂浜を抜けるまで、もう一度抱き上げる」
クオンに抱き上げられたリーナは視線を下に移した。
「クオン様、マントが」
「気にするな」
クオンはそういって歩き出したが、リーナはクオンのマントが気になった。
「ウェイゼリック城に戻る。馬車を用意させろ」
「御意」
クオンが声をかけると、すぐに護衛騎士の一人が伝令役としてその場を離れた。
「あの」
リーナは視線をパスカルに向けた。
「わかっている。大丈夫だよ」
パスカルがすぐにマントを回収しに向かう。
リーナは安心してクオンに寄り添った。





