221 恋人
エゼルバードの指示であつらえたドレスに着替えたリーナは清楚な印象で、名門貴族の令嬢らしく見えた。
ドレスの色はミントグリーン、繊細な白いレースがあしらわれ、全体に手の込んだ花と植物の刺繍が施されている。
平民の侍女にしては豪華だが、伯爵令嬢であればふさわしいドレスだった。
クオンから贈られたパールの宝飾品も合っており、上品な雰囲気に仕上がっていた。
「とても綺麗だ」
リーナの姿を見たクオンは率直な感想を述べた。
「先ほどの服装でも問題がないように思えたが、今の姿を見れば一目瞭然だ。この方が良い。レーベルオードの者になったことを考えると、このような装いもした方がいい」
クオンはメイベルに視線を変えた。
「このような衣装は十分にあるのか?」
「第二王子殿下のおかげで相応には用意しております。ですが、身分が変更になることは知りませんでした。平民の身分を意識した服装の方が多いです」
「エゼルバード」
「何でしょうか、兄上?」
「明日はレイフィールが戻る。インヴァネス大公との協議があるが、お前は参加する予定になっていない。リーナの衣装について調べ、不十分なら必要分を買い揃えろ。ここは観光業だけに、裕福な者が好みそうな衣装もあるだろう。費用は私の方で出す」
兄上が女性の衣装に興味を持つとは!
エゼルバードは嬉しさを隠しきれない表情を浮かべた。
「わかりました。メイベルはリーナのドレスを検分できるように全て用意しなさい。持ち物リストもです。今日中に確認します」
「今日中に?」
メイベルは驚きの声をあげた。
「お茶会のあと、すぐにということでしょうか?」
「準備を考え、夕食のあとにします。とにかく今日中です。買い物は明日。仕立てる場合は数日かかってしまいます。既製品で良さそうなのがなければ、所持しているドレスの見栄えをよくするような装飾や刺繍を付け加える方が良いかもしれません」
さすが、よくわかっていると誰もが思った。
「仕立屋だけでなく、装飾物を売っている店を回る必要があるかもしれません。チューリフにつく前に揃えられるようなら手配します」
「わかりました。夕食後に確認できるように全てのドレスを出しておきます」
クオンはリーナの手を取った。
「リーナにとても大事な話がある。聞いてくれるか?」
「はい」
「王太子としてではなく、クルヴェリオンとして伝える。私の恋人になってくれないか?」
「恋人!」
あまりにも予想外の言葉にリーナは驚いた。
「私はインヴァネス大公夫妻の娘ではありませんが?」
「構わない」
「レーベルオード伯爵家の養女になりましたけれど、元々は孤児です。高度な教育を受けていませんし、勉強不足です。それでもクオン様の恋人になれるのでしょうか?」
「なれる。但し、王太子の恋人ではない。クルヴェリオンの恋人だ。国王の許可がなければ、王太子として正式な交際をすることはできない。嫌なら断れる。自分の気持ちに正直な答えを出してほしい」
リーナは首をひねった。
「……正式に交際することができないというのは、どういうことなのでしょうか? 国王陛下の許可がないだけでしょうか?」
「正式な交際かそうでないかでは、非常に大きな違いがある」
正式な交際相手は国王が認めている相手ということで、特別な配慮がある。
王族の寵愛を受けていることを公の場で発言することができ、自身の立場を誇ることもできる。
非公式な交際相手はそれができない。
あくまでも内々の関係でしかないが、本人たちの合意さえあれば成立することをクオンは説明した。
「個人的な意志による一時的な関係だ。将来を約束するものではない。王族妃になれるわけでもない。合意がなくなれば不成立、つまりは別れることになる。それを承知の上で返事をしてほしい」
リーナの答えはすぐに出た。
「クオン様の恋人になります」
言い終わるのと同時に、リーナはクオンに抱きしめられた。
「嬉しい。今からリーナは私の恋人だ」
「はい!」
「聞いたな? リーナ・レーベルオードは私の恋人になった。国王の許可がないために非公式ではあるが、このことを心に留め十分に配慮せよ。王太子として命令する」
クオンは王太子。
国王の許可がなくても、王太子としての命令権がある。
クオンの恋人になったことでリーナの立場も状況も変化する。
身の安全を確保するために配慮するのは当然のことだった。
「おめでとうございます。兄上に心からの祝福を」
エゼルバードはにっこりと微笑みながらそう言った。
ついに兄上に恋人が!
エゼルバードは歓喜していた。
ようやく兄が女性に興味を持ち、リーナを恋人にした。
リーナが平民の召使いだった頃から怪しいと思っていただけに、やはり自分が正しかったのだと満足した。
「僕からもお祝い申し上げます」
セイフリードが発言した。
「この件で兄上に確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何だ?」
「情報開示はどの程度の範囲になるのでしょうか? ここにいる者だけになり、それ以外には伝えないということでしょうか?」
「ヘンデルから役職付きを通じて、騎士団には通達する。私の恋人になったことでリーナには安全上の懸念が出る。護衛対象にする。ミレニアス側に対しても状況を見て伝える。非公式ではあるが、秘密にするつもりはない。リーナを不当に扱えば、私の個人的感情に影響するとして厳しく対処する」
「わかりました。では、今後リーナのことは王族付きの侍女ではなく、兄上の恋人として扱った方がいいでしょうか?」
「当然だ。階級としては事前に通達したように王太子付き侍女官にする。メイベルも同じだ」
クオンはリーナの方に顔を向けた。
「リーナにはもう一つ言っておくことがある。私のことはクオンと呼べ。恋人であれば、愛称で呼び合うのはおかしくない」
「わかりました」
「私のことも名前で構いません。兄上の恋人に対する特別な配慮です」
「エゼルバード様とお呼びすればいいのでしょうか?」
「そうです」
「わかりました」
「ところで兄上、確認したいことがあるのですが?」
「なんだ?」
「私の方からフレディにリーナのことを教えましょうか? その方が配慮されると思うのですが?」
「すでに王族付きの女官程度の待遇に改善する話はしている。ミレニアスはキフェラ王女を推しているだけに、恋人としてのリーナに注目が集まり過ぎるのはよくない。足を引っ張られるに決まっている」
「それもそうですね。では、公然と知らしめる言動は控えます。親しい者だけは内密に伝えるということでよろしいでしょうか?」
「それでいい」
クオンは許可を出した。
「ミレニアスとは国境問題を主題にした話し合いを行うが、キフェラ王女の話も出るだろう。リーナが同行したのは素性調査のためだが、このことは表向きにできない。恋人になったことも含め、リーナに悪しき影響が出ないように各自で十分注意するように」
「大丈夫です。私はミレニアスに短期留学したので事情もわかりますし、友人たちもいます。リーナのことはお任せください」
エゼルバードは悠然と微笑んだが、対照的にセイフリードは憮然とした。
「エゼルバードは目立ちたがり屋だ。一緒にいるとリーナに注目が集まりやすい。リーナは僕と一緒にいた方がいい」
「部屋に籠っているだけになってしまいます。それではせっかく他国に来たというのに、さまざまなことが学べません」
「見聞を広めるのは重要だが、目立たない方がいいというだけだ!」
「セイフリードの方こそ目立つのでは? 友好的な言動ではありませんからね」
エゼルバードとセイフリードの間には不穏な空気が漂っていた。
「そこまでにしろ」
クオンが仲裁に入る。
すぐにお茶会に向かう馬車の用意が整ったことを告げる者が来た。
「茶会は公式な予定ではない。インヴァネス大公の私的な行事だ。リーナはレーベルオード伯爵令嬢として招待されているが、私の恋人になった。側にいるように」
「わかりました」
クオンは立ち上がると、リーナに手を差し伸べる
「恋人としてエスコートする」
「ありがとうございます」
リーナが手を前に出すと、クオンはしっかりと掴んだ。
茶会だが、実際は調査の続きが行われる。
どうなるかはわからない。
しかし、クオンにとってリーナはリーナ。
大切な存在であることに変わりはなかった。





