172 緊急移動
エゼルバードは馬車の外にいた。
リーナが第四王子と別行動をしている報告を受けたため、先に戻って来そうなリーナに声をかけるつもりだった。
退屈しているようであれば、私の馬車に呼べばいいですからね!
リーナのためであればパスカルも妥協をする可能性がある。断られても、リーナに対して優しい対応をした自分の評価が上がるだろうとエゼルバードは思っていた。
「来た」
ロジャーの声に反応して、エゼルバードは商業棟の出入口へ視線を向けた。
護衛騎士たちが女性を抱えて走っている。
各馬車へ向かい、女性たちを降ろすと、すぐに馬車の中に入れて扉を閉めた。
内側から開かないように、外鍵がしっかりとかけられてもいた。
「なぜあのようなことを?」
「緊急事態になり、各自の馬車に緊急避難したのではないか?」
キフェラ王女とリーナが遭遇してしまい、そのせいで護衛たちが緊急移動をしたのだろうとロジャーは推測した。
「何があったのか聞いてきなさい」
「わかった」
ロジャーは第四王子の馬車へと向かい、護衛に声をかけた。
「緊急事態か?」
「はい」
護衛騎士の一人が答え、もう一人が事情を説明した。
その話を聞いたロジャーもまた怪訝な表情になった。
キフェラ王女がリリーナと呼んだのか?
ヘンデルから貰った資料に、リーナ・セオドアルイーズとして遭遇した者やリリーナ・エーメルとして遭遇した者のリストがあり、キフェラ王女の名前も載っていた。
リーナはリリーナ・エーメルとして側妃候補付きの侍女見習いをしていた時があり、後宮華の会にも参加している。
そのせいでキフェラ王女の名前が載っていたのだろうとロジャーは思っていたが、キフェラ王女が親しそうにリーナに話しかけたという部分がおかしかった。
セイフリードと共にパスカルが来る。
ロジャーは儀礼的にセイフリードへ頭を下げると、すぐにパスカルへ寄った。
「緊急移動をしたそうだな?」
「そうです」
「騎士から大体の事情は聞いた。私に話すことは?」
「キフェラ王女には目立つような行動は控えるよう説明します」
「緊急移動にしなくても、適当に誤魔化せばよかったのではないか?」
「衆目がある場で秘匿性の高い内容が出ると困ります。出発時間を遅延させないためにも、緊急移動をするのがその場における解決としては最良だと判断しました」
パスカルの判断は適切だとロジャーは思った。
「私たちのせいで出発時間が遅れるのも困ります。この件については宿泊施設に到着してから、今日の出来事として話し合うことにしたいのですが?」
「わかった」
ロジャーはエゼルバードの元に戻ると、ここを出立することが先決になったことを伝え、護衛たちに号令を出した。
エゼルバードもロジャーが説明よりも出立を先にした判断に何かあると感じ、すぐに馬車に戻った。
第一組の護衛達はすぐに準備を整え、急いで馬車を発進させた。
「なぜ、キフェラ王女といた?」
馬車が駅を出ると、セイフリードがリーナに尋ねた。
「私がご報告いたします。買い物を終え、商業棟の西口に戻る途中でキフェラ王女の一行を発見しました」
問題が起きると困るため、追い抜かさず距離を置いていた。
だが、王女一行が買い物をするために立ち止まったため、後ろの方を通り抜けることにした。
ところが、丁度後ろにいる時にキフェラ王女の視線が移動し、リーナを見て声をかけたことをメイベルが説明した。
「キフェラ王女はリーナの髪色を見て、リリーナだと思ったと言っていました。どこに行くのか、誰と一緒なのかなどと質問されて困っていますと、セイフリード王子殿下とパスカル様が来ました。以上です」
「リリーナ・エーメルとして遭遇した者のリストにキフェラ王女の名前があった。顔や名前を覚えられているようだな? 側妃候補付きとして伝令をしていたせいか?」
「実は」
リーナは王立歌劇場でキフェラ王女と会ったことを話した。
「キフェラ王女を助けたわけか」
「助けたというほどのことではありません。時間を教えただけです」
だが、それによってキフェラ王女を取り囲んでいた者はいなくなった。
結果だけを見れば、リーナがキフェラ王女を助けたことになる。
キフェラ王女はプライドが高い。助けられたとは思わなくても、リーナが自分のために動いたのだろうと思う。
そのせいで名前や特徴としての髪色を覚えていたのだろうとセイフリードは推測した。
「リリーナ・エーメルのことについては国の責任だ。誤認の報告が遅く、訂正に時間がかかったのが問題だった。リーナに非があるわけではないが、無効とされたことだけに口にしてはいけない」
「わかっています!」
「キフェラ王女とは接触するな。僕は未成年のせいで権限が弱い。何かあればパスカルを頼れ。最悪の場合はこの第一組で最上位のエゼルバードだ。わかったな?」
「はい」
「デカベル」
「申し訳ありません。私の判断ミスです」
メイベルは頭を下げた。
「その通りだ。視線の向きが違うからといって、近くを通るべきではなかった。急がば回れだ。同じ過ちを繰り返すな」
「はい」
「パスカルが注意しても、あの女は王女の身分を盾にするだろう。十分に気をつけろ。取りあえず、この話はここまでだ。荷物を片づけろ」
「はい!」
「直ちに」
リーナとメイベルはバッグや購入したものを椅子の下にある荷物入れにしまおうとした。
「待て。何を買った? 暇つぶしに見せろ」
リーナとメイベルは買ったものを全て検分されることになった。
そして、買ってきた菓子も早速開けられてしまった。
「毒見しろ」
セイフリードはクッキーの箱をメイベルに渡した。
「早速お食べになるのですか?」
「お茶の時間だ。茶がないため、菓子だけで我慢する」
「お茶も用意できますが、常温の紅茶になります」
「紅茶があるのか」
「水筒に入っています」
メイベルは馬車の中にある棚を開けた。
「淹れたてより味が落ちてしまうのはご了承ください。無糖です。水であれば未開封のボトルのものがあります」
「リーナ、クッキーと紅茶を毒見しろ」
「はい!」
リーナはクッキーを一枚食べた。
「どうだ?」
「美味しいです」
「バター風味か。普通そうだ」
セイフリードは香りで判断すると、しぶしぶといったようにクッキーを食べ始めた。
リーナは水筒からグラスに注がれた紅茶を飲んだ。
「紅茶も美味しいです」
「お前は美味しいしか言えないのか? 美味かどうかは嗜好の差で変わるだけに曖昧だ。王族付きなら品質の良さや詳細な味がわかるような言葉を使え。誇張はするな。嘘をつく者は信用されない」
「勉強になります。次は気をつけます!」
セイフリードは紅茶の香りを確かめたあと、ほんの少しだけ飲んだ。
「熱いのが飲みたい」
「馬車の中では無理です」
「これはお前が淹れたものではないな?」
「よくおわかりで」
「茶を淹れる能力に関しては、スネークの方が上だ」
セイフリードの言葉に、メイベルは目を細めた。
「セイフリード王子殿下、特別な呼称は親しみのあらわれや本人確認を省くための合言葉になります。ですが、公の場で使用されるのはおやめください。名簿と違う名前だと思われ、問題になることがあるかもしれません」
「名は体を表す。デカベルという方がお前らしいが、一理ある言い分だ。考えておく」
気難しい王子の相手は疲れると思いながらメイベルは視線を変えた。
「リーナ、私にもクッキーを頂戴」
「はい」
リーナが箱を差し出した。
「デカベルは大食いらしいな? 全部食べる気か?」
「そんなに食べません!」
メイベルはきっぱりと否定した。
「一枚だけにしろ。お前は菓子ではなく食事で腹を満たせ」
「わかりました」
リーナはもう一枚食べようとした手をすぐに引っ込めた。
「リーナはいい。一枚目は毒見分だ。味を知るためにもう一枚食べていい」
「バター風味だとわかったので大丈夫です。昼食をしっかり食べます!」
「そうか」
セイフリードはそのあともクッキーを食べ続け、一箱目が空になった。





