17 ラッキーデイ
パスカルを待たせないよう、リーナはできるだけ急いで購買部に戻った。
パスカルは十人以上の女性達に囲まれていた。
「リーナ!」
リーナの姿を見ると、パスカルは嬉しそうに名前を呼んだ。
パスカルの周囲にいた女性達の視線がリーナに集まった。
明らかに好意的な視線ではない。
「お待たせして申し訳ありません」
リーナは女性たちの視線に内心怯えつつも、できるだけ平常を装いながら頭を深々と下げた。
「気にしなくていいよ。新商品のお菓子が出ていたから、どんな味なのか気になってしまってね。今日は機嫌がいいから、箱買いして近くにいる者に試食して貰った。美味しいらしい。評価が高いから王宮で配る分としてもう一箱買ったよ」
確かにパスカルは箱を持っていた。
「リーナも食べたかった?」
「いいえ。大丈夫です」
「それは困るな。ちゃんと取っておいたのに」
パスカルはポケットから小さな包みを出した。
「これはリーナの分。後で試食してみるといい。チョコレートだよ」
「……ありがとうございます」
パスカルは周囲にいる女性達を見回しながら微笑んだ。
「試食に協力してくれてありがとう。これで失礼する。リーナはついてきて」
色めき立つ女性達を後にして、パスカルはさっさと移動し始める。
リーナは女性達にも一礼すると、パスカルの後に続いた。
パスカルは侍女の休憩室までリーナを案内すると、すぐに立ち去ってしまった。
リーナはパスカルに会えたのは幸運だと感じながらその後ろ姿を見送った。
気を取り直した後、休憩室のドアをノックして開けた。
部屋の中には数人の侍女がいたが、メリーネはいなかった。
リーナはメリーネを探していることを近くにいた者に伝え、メリーネがいそうな部屋を教えて貰った。
教えられた部屋に行くと、メリーネがいた。
「メリーネ様!」
「どうしてここに?」
リーナは昇格して召使になったこと、勤務内容が変わるかもしれないことを伝えた。
メリーネはリーナの昇格について知っていた。
多忙だと言われ、非常に素っ気ない態度で追い返されてしまった。
リーナは部屋に戻った。
誰もいない。
パスカルに貰った新商品のチョコレートを食べてみることにした。
「美味しい……」
久しぶりに食べるチョコレートは、想像以上に美味しかった。
思わず泣いてしまうほどに。
甘い。とても。
こんなに美味しいものがあるのだと実感した。
お金があれば購買部で買える。お金がなくてもツケで買える。
二つの選択があるが、リーナは迷わない。
いつか借金を返した後、自分のお金で買いに行こうと思った。
そのためにも、もっともっと頑張ろうと思った。
夕方になると、勤務時間を終えたカリンが戻って来た。
「カリンさん!」
リーナは真っ先にカリンに話を伝え、パスカルに貰ったお菓子を渡そうと思っていた。
「リーナ、昇格したの?」
カリンは驚いていた。
昇格したことは制服を見ればすぐにわかる。
「朝食後に呼ばれて、召使いになれました」
「大出世じゃない!」
リーナは下働きになって間もない。
これほど早く出世できるのは、間違いなく大出世だった。
「自分でも信じられません。でも、マーサ様が言うには、能力だけでなく今後への期待もあるようです。だから、これからも真摯に励むようにと言われました」
「良かったわね。じゃあ、今夜はお祝いね!」
「まだ話があります」
「待って。私は仕事で汗だらけなの。まずは一緒に入浴に行きましょう」
「はい」
リーナはカリンと共に入浴することにした。
体を洗って大きな浴槽に浸かると、カリンに話の続きを聞かれる。
しかし、浴場には大勢がいる。なんとなく話しにくい。
困っていると、リーナが購買部にいたのを目撃した者が来た。
なぜ外部の者と一緒だったのか、貢がれていたのかなどと質問され、リーナは正直に話した。
昇格したことを上司の侍女に話すため、侍女の休憩室に行こうとしたが、場所がわからなくて困っていた。
そこに通りがかった外部の者に話しかけられた。
困っていることを伝えると、休憩室がどこか教えてくれることになった。
しかも、昇格祝いをくれると言われた。
遠慮したものの、名誉にかかわるからと言われ、リボンとチャームとお菓子を渡された。
その後、侍女の休憩室まで行き、そこで外部の者とは別れたこともリーナは伝えた。
「凄い美形だったって聞いたわよ!」
「イケメンですってね!」
「金持ちの貴族だって聞いたけど」
「王子みたいな人だったって」
「もしかして、王子?」
「まさか! 王族が購買部に行くわけがないでしょ!」
「でも、後宮に出入りできる人だし、貴族?」
「官僚かも」
「偉そう」
「凄いわね! もしかして、見染められたとか……」
「ええっ? 玉の輿じゃない!」
「凄いわ、リーナ!」
話が勝手に盛り上がっていく。
リーナはその者とはなんでもない、贈り物もその者の機嫌が良かっただけ、深い意味はないと言われたことも伝えた。
「偶然出会えただけでも凄いわよ!」
「運命かもしれないじゃない!」
「一目惚れだけじゃないの、恋愛は!」
リーナの話は想像を含まらせるには十分だった。
誰もが夢を見たい。
後宮での生活は衣食住に困ることはないが、借金生活だ。
それを重荷に感じる者もいる。
だからこそ、いつか金持ちの男性に見染められ、借金を返済して後宮を出る。不自由のない暮らしができればと考える。
そうすることで自分を励ましたい。今の状況を悲観したくないと思うのだ。
あまりにも長い話になり、リーナはのぼせ気味で浴槽から脱出した。
そして、贈られた菓子をカリンや掃除部の者に配りたいと伝えた。
カリンは喜んだが、掃除部の者は多い。全員には配れない。
そこで同室者や一緒に仕事をしたことがある者を優先して配る方がいいと助言した。
まずは夕食が先だということになり、リーナはカリンと共に食堂に向かった。
リーナには制服によって昇格を知った者からの視線が大量に降り注いだ。
昼間の時と同じく居心地の悪い視線にリーナは体を震わせたが、カリンがいた。
同室の者やリーナによく声をかけてくれる者、一緒に仕事をしたことがある者がリーナを守るように周辺の席に陣取り、わざと大きめの声でリーナを擁護する発言をした。
「休みも取らずに頑張っていたものね」
「ずっと倹約していて偉いわ」
「借金を増やさないようにした方が返しやすいものね」
「リーナは真面目だから評価されたのよ」
「一生懸命仕事をしているからね」
「自分の分が終わると手伝ってくれるし!」
「優しいのよね!」
リーナは嬉しかった。
認めてくれる者がいると感じた。
夕食を食べ終わると、リーナは自分を擁護してくれた者達を部屋まで呼び、お菓子を配った。
喜ばれたのは言うまでもない。
後から祝いに来た者も多かった。
一人につき一つだと足りない。
そこで半分に分け、全員が一口でも食べることができるようにした。
「美味しい!」
「甘いわ!」
「幸せ……」
「リーナ、ありがとう」
「リーナが昇格したおかげね!」
「お菓子が食べられるなんて思わなかったわ!」
笑顔が溢れるのを見て、リーナも嬉しくなった。
「でも、リーナは食べなくて良かったの?」
リーナは菓子を食べていなかった。
だが、その理由も正直に伝えた。
リボンとチャーム以外にも一つだけチョコレートを貰ったため、カリンが来る前に食べてしまったのだと。
「だから気にしないで下さい」
「そうだったのね」
「だったらよかったわ」
「そうよね。リーナが貰ったのに一つも食べないというのもなんかね」
「大丈夫です。こんなに喜んで貰えて嬉しいです!」
「私も嬉しいわ!」
「私も!」
「お菓子を食べて嬉しくない人なんかいないわよ!」
笑い声が部屋中に響く。
お菓子の話題に花が咲く中、リーナはパスカルから貰ったチョコレートを思い出した。
涙が出るほど美味しく、甘く、まさに幸せの味だった。





