163 舞踏会
インヴァネス大公一家の来訪を歓迎する舞踏会は、緊張感が漂う二国間の関係を改善するためもあって盛大に行われた。
そして、この舞踏会で最も注目を集めた女性はインヴァネス大公妃だった。
「あれは……リリアーナではないか?」
「リリアーナ・ヴァーンズワースだ!」
「レーベルオード伯爵夫人だ!」
「元だがな」
ヴァーンズワース伯爵家の一人娘リリアーナは病弱な美少女として有名だった。
多くの男性がリリアーナに恋焦がれたが、年々膨らむヴァーンズワース伯爵家の負債額が莫大過ぎて大問題だった。
結局、隣に領地を持つレーベルオード伯爵家が跡継ぎであるパトリックとリリアーナの政略結婚を条件に救いの手を差し伸べた。
パトリックとリリアーナの間にはパスカルが生まれたが、当主であり外務大臣を務めていたレーベルオード伯爵が事故死。
当主になったパトリックは官僚を辞める許可が出ず、多忙な日々が続いた。
その結果、リリアーナは精神的に不安定になってしまい、長期療養をしても回復の見込みがないということで離婚することになった。
そのあと、リリアーナは悪意ある誹謗中傷を避けるために他国で療養することになったと言われていたが、ミレニアス王族のインヴァネス大公と再婚したことを知る者は極めて少なかった。
「名門中の名門であるレーベルオード伯爵夫人の座を降りるのは愚行だと言われていたというのに……」
「王族妃に転身するとは!」
「すごいとしかいいようがないわね!」
「美貌は健在だ」
「だからこそ、王族妃になれたのよ」
好奇の視線がインヴァネス大公妃になったリリアーナに注がれた。
「兄上!」
インヴァネス大公子フェリックスは父親違いの兄になるパスカル・レーベルオードを呼び、側から離さなかった。
母親のインヴァネス大公妃に集まる注目を分散し、レーベルオード伯爵家との関係が良好であることを印象づけるためだった。
「兄上と一緒にいられて幸せです。僕は兄上が大好きですから!」
「ありがとうございます。光栄です」
「本当は一緒に暮らしたいほどです。エルグラードに留学したら兄上と毎日のように会えますか?」
「仕事がありますので、難しいかと」
「僕も兄上のように国際儀礼を身につけなければ。何かあれば遠慮なく教えてください。子どもであっても礼儀作法は重要です。大公子の身分があればなおさらです」
「何かあればお伝えいたします」
兄は名門中の名門と呼ばれるレーベルオード伯爵家の跡継ぎで王太子の側近。
弟はミレニアス王族で王位継承権第三位のインヴァネス大公子。
どちらも母親譲りの金髪碧眼で美しい容姿をしている。
麗しい兄弟の姿は多くの人々の視線を集め、至福の時間を感じさせた。
インヴァネス大公夫妻は旅の疲れが残っており、大公妃は元々体が強くないということもあって舞踏会を早めに退出した。
それに合わせてクオンも早々に退出し、自分の部屋に戻った。
同行して部屋の中に入ったのはヘンデル、パスカル、アリシアの三人。
まずはパスカルが交流会の様子、次にアリシアがリーナとインヴァネス大公妃との話し合いについて報告した。
「何かある?」
ヘンデルが尋ねた。
「アリシアは下がっていい。遅くまでご苦労だった」
「明日の午前中はいないわよ。昼食のあと、午後に来るわ」
アリシアは舞踏会に出席している夫と共に帰宅するため、すぐに部屋を退出した。
「パスカル」
「はい」
「インヴァネス大公夫妻はリーナとの面会を希望している。リーナによからぬことを吹き込まれないよう早くても午後、同席させるアリシアが来てからだ。できればお前にもついてほしいが、大公子もセイフリードと交流をしたがっている。二人だけで会わせても平気そうか?」
「平気とは言いにくいのですが、よほどのことがなければ王族同士の話し合いに口を挟むわけにはいきません。話の内容を報告するだけであれば、他の者でもいいのではないかと」
「表沙汰にしたくないことが起きないかが心配だ」
「では、インヴァネス大公家の全員を同室でもてなすのはいかがでしょうか?」
最初はインヴァネス大公妃と大公子を呼ぶ。
大公妃の話相手はリーナ、大公子の相手はセイフリードが務め、インヴァネス大公は会議のあとで合流する案をパスカルは出した。
「私とアリシアが部屋に控えます。お茶の時間を考慮して午後三時からにするのはいかがでしょうか? 」
「それでいい。手配しておけ。今夜はそれで終わりだ」
「はい。失礼いたします」
パスカルが部屋を退出した。
クオンは一人残ったヘンデルに顔を向けた。
「何かあるか?」
「リーナちゃんがインヴァネス大公夫妻の娘だってことも、縁談の話が上がったのもびっくりだよ。でも、吉報だ。リーナちゃんと結婚できる。インヴァネス大公女なら正妃にできるよ」
「リーナとは結婚しない」
「なんで!」
ヘンデルは驚愕するしかなかった。
どう考えてもクオンはリーナを気に入っている。
平民では正妃にできないとしても、ミレニアス王族の娘として大公女になれば正妃にできる。
だというのに、リーナと結婚しないという発言は意外中の意外。
クオンとの付き合いが長いヘンデルであっても予想できないことだった。
「私の妻になると幸せになれない気がする」
クオンは静かな口調でそう言った。
「クオンは死神じゃないから平気だよ。呪われてなんかいない」
クオンは一気に不機嫌になった。
「セブンと一緒にするな!」
「その言葉は比べちゃうって。まあでも、セブンはそれでも妻にするっていうだろうけど」
「その話はやめろ。苛つくだけだ」
「リーナちゃんが大公女になったら、それこそ結婚相手なんかいくらでもいるよ? ミレニアスに行っちゃって、インヴァネス大公夫妻と一緒に離宮で暮らすかもしれない。それでもいいわけ?」
「リーナが幸せになれるのであればそれでいい」
「他の男と結婚しちゃうよ?」
「インヴァネス大公夫妻が相当厳しく相手を選ぶ。きっと幸せになれるだろう」
まさかの決断過ぎる!
ヘンデルは驚くしかなかった。
「じゃあ、縁談は受けないわけ?」
「縁談は検討する。その方がリーナのためになる。王族になれるだろう」
ヘンデルはすぐに理解した。
クオンは自身との縁談を利用してリーナの身分を回復させる気だと。
「本心を言うと、髪や瞳の色、記憶が一致するというだけでは大公女として認められるかどうか怪しい。前王の判断による死亡扱いを撤回するよりも、非常によく似た女性として養女にする方が安全だ」
「物的証拠がないのは痛いね。しかも、死んだことになっている。やっぱり生きていたなんて言いにくいよね」
インヴァネス大公はすぐに生存確認ができる、大公女になれるといったような言動をしていた。
だが、最終的な判断をするのはミレニアス王。
ミレニアスという国自体が身分や血統にこだわるだけに、実子としての大公女にするのは簡単ではない。
養女として迎え入れる方が簡単というのがクオンとヘンデルの予想だった。
「インヴァネス大公夫妻と違って大公子は終始冷静だった。中立かつ客観的な立場に見せようとしたが、内心では両親たちと同じ気持ちだろう」
「だから、本人の意志を確認すべきだと言ったわけだよね」
国が認めるかどうかはともかく、本人の希望としてミレニアスを選択させ、正式な手続きを要求しようとした。
「だが、リーナは家族に迷惑をかけたくないと感じ、このままでも構わないと答えた。そこで次の手を打った」
「クオンとの縁談だね」
エルグラード王太子との縁談には大公女の身分が必要になる。
そう言ってリーナやエルグラード側を納得させ、リーナをミレニアスに連れて帰る。
ミレニアス国籍のミレニアス人になる手続きをしてしまえば、インヴァネス大公は自国人としての保護権を手に入れ、それがリーナの意志に基づくものだと主張できる。
エルグラード側は口を挟めない。
「本気で私との縁談を成立させる気はないだろう。奇跡的に娘と再会できたというのに、またしても離れて暮らすことになる」
「インヴァネス大公夫妻の心情としては、リーナちゃんの結婚相手はずっとミレニアスにいてくれる者の方がいいよねえ。離宮で同居ができるような者とかさ」
「インヴァネス大公は息子の狙いに気づいた。だからこそ、縁談に反対とは言わず、検討すると答えた」
「娘を引き取りたいって話をしていたのに、今度は娘を嫁に出すって話になった。手放すことになるのに、すぐに検討するというのはおかしいよねえ」
「あの親子は抜け目がない。言葉をそのまま信用するのは危険だ」
「でも、王族の話し合いは国交に影響を与える。リーナちゃんとの縁談を了承すると言っておいて、大公女にしたら断るっていうのは難しいよね?」
「縁談や婚約を潰す方法はいくらでもある」
「まあ、そうだね」
「父上と宰相についても警戒しなければならない。この件を政治的に利用しようとするだろう」
エルグラードとミレニアスとは国境線、治安、貿易等の問題を抱えている。
両国の思惑にリーナが巻き込まれて不幸になってしまうのを、クオンは何としてでも阻止したかった。
「リーナがエルグラードとミレニアスの間で苦しむことになるよりは、ミレニアスに行かせた方がいい気がした」
「リーナちゃんの幸せを第一に考えているクオンは立派だよ。人として尊敬する。だけど、ミレニアスはそんなにいい国じゃない。エルグラードよりも女性の立場が低くて弱いし、両親が本人の意思を無視して勝手に結婚相手を決めるのが普通の国だ」
「わかっている」
「クオンの幸せも考えてほしい。リーナちゃんとの縁談がダメになったら、年齢的にいって誰かと結婚するよう言われるかもよ? 国王は勅命を出せるしね」
「父上にとって勅命は最大の切り札だ。だが、使えば王位を失うことになるだろう」
クオンは不当だと思う勅命を受け入れる気はない。
自らの信念と自己選択の権利を勅命による強制結婚で侵害された場合は、自らが新王に即位してでも無効にする覚悟があった。
「散々退位したがってきた父上を引き留めるのは老害の連中だけだ。エルグラードの未来を支える若い力は私を支持する。世代交代をするのに丁度いい」
「俺もそう思う。だから、勅命が出ても全然平気だけどね」
ヘンデルは笑みを浮かべた。
「それはともかくとして、俺としてはリーナちゃんと結婚してほしいなあ。クオンだってリーナちゃんの善良さをわかっているし、守ってあげたいって思っているよね? 結婚して一生守ってあげればいいじゃないか」
「リーナとの縁談を悪くないと思ったのは確かだ」
やっぱり脈ありじゃん!
ヘンデルは心の中で叫んだ。
「だったら、インヴァネス大公に渡す必要はないよね?」
「リーナは私の妻になることを望んでいないだろう。真摯に尽くそうとするのは立派な侍女になるためであって、愛情のためではない。誠意と忠誠心のあらわれだ」
「そのへんはこれからじゃん? クオンが積極的にアピールして、愛情を感じて貰えるようにするとかさ?」
「私の言動は命令も同然だ。下手に何か言えば、強制になってしまう。リーナの気持ちを大事にしたいからこそ、何も言えない」
「優しいなあ。やっぱり、リーナちゃんには優しくしたいって思うだけの特別さがあるってことだ。なのに、やせ我慢しちゃってさあ」
「それは違う。リーナに対して好意を感じてはいないわけではないが、妻にしようと決断するほどではないということだ」
「でも、他の男性がリーナちゃんに近づくのを邪魔しているよね?」
「リーナの安全を確保するためだ。性格的にも騙されやすい気がする」
「どう見ても過保護だよ。リーナちゃんが他の男性と知り合って仲良くなる機会を潰している。結婚を邪魔しているのと同じ。ありがた迷惑じゃん?」
クオンは口を堅く引き結んだ。
「俺はクルヴェリオンって一人の友人を大事にしたい。気になる子にちょっかいをかけそうな相手を近づけたくないのはわかる。でも、リーナちゃんの気持ちがクオンに向くのを黙って待つのは愚策だ。後悔しないようによーく考えてほしい」
「わかった」
「じゃあ、今夜はこれで終わりかな?」
「朝に会議をする。側近たちを集めろ。六時だ」
「了解。クオンもできるだけ寝ておいて」
「そうする」
ヘンデルは部屋を退出した。
クオンも明日に備え、眠れなくても体を横たえることにした。





