160 母娘
王宮内にある応接間の一つで、リーナはインヴァネス大公妃と話し合うことになった。
その同席者として選ばれたのはアリシアで、部屋の壁際に立って控えていた。
「リリーナにとても大事な話をするわね」
インヴァネス大公妃はリーナを真っすぐ見つめると言った。
「生きていてくれたのは嬉しいけれど、途方もない苦労を強いられてきたことでしょう。まさか孤児院にいるなんて……考えただけで胸が張り裂けそうだわ! これからは絶対に幸せにならないと!」
インヴァネス大公妃は瞳を潤ませながら、込み上げる気持ちを懸命に抑えた。
「今夜は舞踏会があって、国賓として出席しなければならないの。エルグラード側の許可がなければ貴方とは会えないでしょうし、今の内に聞いておくわね。正直に答えてほしいのだけど、恋人や将来を誓い合っているような相手はいないの?」
「恋人も将来を誓い合っている相手もいません」
「パスカルのことだけど、本当に特別な仲ではないのかしら? 血がつながっているとわかったからこそ、言えなかっただけではないの?」
「本当に違うのです。パスカル様はとても親切にしてくれますが、それは死んだ妹がいるからだと聞いていました。私を見ると妹のことを思い出すらしく、死んだ妹の分も幸せになってほしいといって励ましてくれました。でも、本当に私が妹だったなんてびっくりです!」
「パスカルはとても優しい子だから、不幸な境遇のあなたに優しくしてくれたのでしょう。もしかすると、加護の名前が導いてくれたのかもしれないわ」
「そうかもしれません」
インヴァネス大公妃は優しく微笑んだ。
「後宮で働いているのでしょう? 公職だから生活は普通程度には保証されていると思うの。だけど、孤児院にいた頃は大変だったでしょう? どこの孤児院にいたの?」
「複数の孤児院を転々としました。最終的には王都の孤児院に入りました」
「王都のどの辺にある孤児院だったのかしら?」
「調整区です」
インヴァネス大公妃は愕然とした。
エルグラードの孤児院はどこにあるかでなんとなくその状況がわかるというのが常識で、調整区にある孤児院は底辺だと言われていた。
「そんな酷い場所にいたなんて……とても危険だったはずだわ!」
「そうですけれど、守ってくれる人がいました」
「誰なの?」
「同じ孤児院にいた仲間たちです」
「仲間? 孤児たちということ?」
「そうです」
「職員は? 優しくしてくれたの?」
「最低の職員でした。自分たちだけご馳走を食べて、私たちにはパンを一切れと水しかくれませんでした」
「なんですって!」
インヴァネス大公妃は叫ばずにはいられなかった。
「ああ、神様! なぜ、これほどの試練をお与えになるのですか! なんてこと、なんてこと……」
涙を溢れさせる母親を見てリーナは失言したことを悟った。
「大丈夫です! 親切な人が助けてくれましたから!」
「そうなの?」
インヴァネス大公妃は涙に溢れた瞳を娘に向けた。
「そうです! 売っていた切り花を全部買ってくれた人もいました!」
「花を売っていたの?」
「職業訓練として孤児院の手伝いや売り子を経験することになっていたのです。雑草だと馬鹿にされてなかなか売れなかったのですが、一回だけ全部買ってくれた人がいました!」
最初は暗くなる前に帰れと言われただけだった。
だが、花が全く売れないために帰れないと言うと、声をかけてきた男性は全部の切り花を買ってくれた。
そして、リーナを孤児院まで送り届け、寄付する代わりに花を売る仕事をさせるな、夜でなくても危ないと院長に言ってくれたことをリーナは話した。
「その人のおかげで外仕事を免除されたので、危険に遭遇することがほとんどなくなりました。いつかまたその人に会えたら、お礼を言いたいと思っています」
「名前はわからないの?」
「わかりません。一回しか会いませんでした。でも、世の中には優しい人も親切な人もたくさんいます。そういう人たちが助けてくれたからこそ、後宮に就職したり王族付き侍女になれました」
「貴方が頑張ったから王族付きになれたのよ。立派だわ……」
インヴァネス大公妃はそう思った。
「クルヴェリオン王太子のことも聞きたいの。本人の前では言えなかったけれど、王太子との縁談だなんて……大公女の身分を考えれば釣り合うでしょうけれど、身分だけで結婚相手を決めるわけにはいかないわ。貴方を幸せにしてくれる人でないとね」
「そうですね。私も幸せになりたいです」
「貴方にとってクルヴェリオン王太子はどんな方なの?」
「どんなって……エルグラードが誇る王太子らしいとても立派な方ですよ!」
インヴァネス大公妃は娘の言葉をかみしめるように受け止めた。
若かりし頃、リリアーナ・ヴァーンズワースとして身分も財産もある立派な男性――パトリック・レーベルオードと結婚、跡継ぎのパスカルを産んだが、夫の冷たさと家風の厳しさに耐えきれずに離婚した。
娘のリリーナには自分と同じようになってほしくないとインヴァネス大公妃は思っていた。
「そうでしょうね。でも、執務に忙しくて構ってくれないかもしれないわ。結婚相手に配慮すると言う男性は多いけれど、心から愛してくれるかどうかは別なの。貴方のことを心から愛してくれて、貴方もまた心から愛している男性と結婚してほしいわ」
「わかりました。では、頑張って見つけますね!」
インヴァネス大公妃は驚いた。
エルグラードにいた頃の常識として、結婚相手は両親が見つけるもの、あるいは神が選んだ運命に任せるものだった。
リリーナは自分で見つける気なのね……。
強くてたくましい。逆境に負けないよう懸命に生きてきたからだとインヴァネス大公妃は感じた。
「恐れながら申し上げます。今夜は舞踏会ですので、そろそろではないかと。インヴァネス大公妃はお支度の時間がございます」
「そうね」
リーナとインヴァネス大公妃の話し合いはそこまでになった。





