15 パスカル
先導するように歩いていたパスカルが立ち止まり、振り返ってリーナに声をかけた。
「昇格祝いに何か買ってあげるよ。あまり高いものはダメだけどね」
購買部の前だった。
「お気持ちだけで結構です」
「好意は素直に受け取った方がいい。高価でなければ賄賂にもならない。僕の気まぐれに付き合うだけだと思ってくれればいい」
「でも」
「何にしようか? 欲しいものはある?」
「ないです」
リーナは即答した。
しかし、本心ではない。欲しいものはある。
購買部は魅力的だった。
素敵な商品が綺麗に並べられており、お金があればこういったものを買えるのだとしみじみ実感してしまう。
買おうと思えば買える。ツケ買いができる。
しかし、借金になってしまう。
借金を早く返すためにも贅沢はできない。倹約しなければいけない。
だからこそ、欲しいものはないと思うべきだとリーナは考えていた。
「借金があるので贅沢はできません。本当にお気持ちだけで結構です。一度欲しいものを買ってしまうと、我慢できなくなりそうで怖いのです」
「買うのは君じゃない、僕だ。君は貰うだけでいい。幸運なだけだよ」
パスカルは優しい口調で語りかけた。
「昇格は滅多にない。たくさん喜んで祝って貰った方がいい。心配しなくても大丈夫だよ。
ちょっとしたものを贈るだけだ。飴はお気に召さないようだしね。一緒に見に行こう」
昼食時間は購買部に来て買い物をする者もいるため、外部の者と一緒にいるリーナはすぐに注目されてしまった。
「そういえば名前を聞いてなかった。教えてくれるかな?」
「もう会わないと思いますし、知る必要もないかと」
「つれないね。残念だな」
「初めて会った人に用心するのは普通ですよね? 貴方の名前だって知りません」
「パスカルだよ」
「……リーナです」
「名前を教えてくれたね? どうしてかな?」
「名乗られたら名乗り返すよう指導役に教えられました。それが礼儀だと」
「なるほど」
パスカルは微笑んだ。
「可愛い名前だね」
リーナは恥ずかしさにうつむいた。
ただのお世辞だとわかっているが、王子様のような男性に褒められて嬉しくないわけがなかった。
「お菓子はすぐになくなってしまうし、別のものがいいかな。何がいい?」
「本当に気持ちだけで」
「それだと僕の気が済まないし、何か買ってあげると言ったからね。有言実行する。そうしないと、僕の名誉が守れない」
「名誉……」
「お化粧をしていないね。口紅はどうかな? 他の化粧品でもいい」
「いらないです」
リーナは即答した。
「これは?」
小物入れ。
「入れるものがありません」
「飾っておけばいいよ」
「飾る場所もありません。ベッドと貴重品入れの木箱しかありません。ずっと木箱にしまっているだけでは持っている意味がないです」
「櫛は? ブラシでもいい。毎日使えるよ」
「持っています」
「数種類ある。好きな装飾のものを選んだらどうかな? ここで扱っているのは女性に人気のある品ばかりらしいよ」
「実を言うと、後宮に来た時に身の回りのものが全然なくて、仕方なくここで買い揃えました。そこにある小花の装飾の櫛を使っています。一番安いのでそれにしました」
パスカルはリーナの手を引きながら他の品を探した。
「ハンカチはどう? 何枚あってもいいよね。絵柄も沢山あるし何枚か買う?」
「いらないです。ハンカチは使いません」
「汗をかくよね?」
「ハンカチがぐしょぐしょになってしまうので、あえて拭かないのです。掃除の仕事が終われば入浴できるので、それまで我慢します。ハンカチはいざという時のために持っているだけなので、一枚で十分です」
「一枚じゃ少ないよ。交換できない」
「大丈夫です。使わないので一枚で足ります。一年以上、使ったことがありません」
「手を洗って拭く時は?」
「エプロンで拭いています。どうせ洗うので。皆、そうしています」
「意外と難しいね」
「本当に何もいらないのです」
「このままだと時間もかかってしまう。上司の所に行くつもりだよね?」
「そうです」
「だったら早く選ぼう。買わないと上司の所に行けないよ」
リーナはため息をついた後、棚を見渡した。
そして、ずっと欲しかったものを選んだ。





