1338 黒い空
黒々とした空の中で光の花が咲いた。
それを見た人々の心の中にも希望の花が咲いた。
「すごい!」
「大きい!」
「とってもきれい!」
「わー!」
輝くのは花火の光だけではない。
それを地上から見る人々の表情も同じ。
両親がいない子どもたちは満面の笑みを浮かべていた。
「言葉にできないほどの感動です」
福祉特区にある孤児院の院長は涙を浮かべていた。
「心からのお礼を言わせてください。本当にありがとうございました!」
「まさか調整区から花火が上がるなんて!」
「なんという幸運でしょう!」
「貴方様のおかげです!」
職員たちも口々に喜びと感謝の気持ちをあらわした。
「ヴェリオール大公妃のおかげだ」
そう答えたのは黒髪で空色の瞳を持つ男性。
大晦日には王都のあちこちで花火が上がるが、誰が花火を上げるのかには違いがある。
高級住宅地や商業地域は有志の住民や商人たちが中心になって花火の費用を負担しているが、調整区は都市開発の対象外になる地域。
裕福な住民も商人もいないことから花火を上げようとする者がいないため、比較的近い地域で上がる花火を遠目に見るか、風に乗って聞こえる音を楽しむしかなかった。
ところが、大晦日になると福祉特区の孤児院に一人の男性が来て、調整区からも花火が上がることを伝えた。
ヴェリオール大公妃が福祉特区でイベントを開いたことがきっかけで、ヴェリオール大公妃のために調整区で希望の花火を上げようと思う者が花火を扱う業者に依頼したということだった。
「一回だけでもありがたいというのに、何回も上げてくださるなんて!」
「ああ、神よ……助けを必要としている子どもたちに加護を!」
「ヴェリオール大公妃に心からの感謝を!」
打ち上げに失敗することに備えて十回分の花火が用意されていたが、一度も失敗することなく全ての花火が無事打ち上げられた。
それを見届けた男性は孤児院の院長たちに挨拶をすると黒い馬車に乗り込んだ。
大晦日の混雑を避けるための大回りをするのもあって、戻るにはかなりの時間がかかる予定だったが、延長確定の事態が起きた。
馬車の進路を塞ぐように、複数の馬車が進路を遮るように取り囲む。
襲撃のような状況に見えたが、ただの挨拶であることが伝えられた。
「私はアージェラスの者です。エルグラードに来たので、さまざまな人物に会っておこうと思いましてね?」
アベルはそう言いながら黒髪の青年を見つめた。
「髪色を見ると、ヴァーレンではなさそうです。代理人ですか?」
「違うと言ったらどうする?」
「私の顔は誰にでも見られていいものではありません。目的の人物でない場合、抹殺対象になります」
「ヴァーレンの代理人であればどうする?」
「伝言を頼みます」
「どんな内容だ?」
「直接会いたいという内容です」
「なぜ、ヴァーレンに会いたい?」
「有名だからです」
アベルは答えた。
「はっきり答えなさい。ヴァーレンの代理人ですか? そうでなければ、私の得た情報に問題があるということになります。精査しなければなりません」
「ヴァーレンへの伝言を依頼するなら対価を払え。俺を抹殺する気なら、お前の命だけは必ずもらう。どうする?」
アベルはじっと男性を見つめた。
「ヴェリオール大公妃のために花火を上げた者を敵とみなす気はありません。伝言の対価は?」
「情報だ。アージェラスはウェストランドと組むのか?」
「まだわかりません。ウェストランドは一つではないのでね」
ウェストランドの総力はかなりのものだが、あまりにも大きいからこそ分かれてしまっている。
全員が当主の下にいるわけではなく、力がある者が独自の配下を持っている状態だった。
「商売については手広くしたいと考えています」
「情報産業は経済同盟の影響で新規参入が多い。既存勢力とうまく付き合わなければ、敵として潰されてしまうだろう」
「だからこそ、こうして会いに来たのです」
アベルは微笑んだ。
「エルグラードは不思議な国です。闇の中でうごめく者が数えきれないほどいるというのに光が溢れ、平和が保たれています。なぜでしょうか?」
「聞かなくてもわかっているはずだ」
「貴方の答えを知りたいのです」
「太陽がいるからだと答える者が多いだろう」
「では、太陽がいなければ、あるいは沈むようであれば、エルグラードは変わってしまいそうですね」
「これ以上の話には対価が必要だが、今のお前には払えない」
「必要な対価は何ですか?」
「俺と話したければ一人で来い。その覚悟と実力があればだが」
それは見下すのと同じ発言。
反応した者たちが剣の柄に手をかけた。
だが、すぐに待ての合図をアベルが伝える。
「血生臭い香りを避けるためにも長居は無用でしょう。今夜はこれで」
アベルが馬車に乗り込む。
周囲を囲んでいた黒装束の配下もそれぞれが馬車に戻り、すぐにその場を去っていった。
「アージェラスか」
その国内は王位継承問題で荒れている。
エルグラードが大国で繁栄しているからこそ、国境を接していない国から来る人々の数が増えて続けていた。
そして、その多くはエルグラードにとって歓迎できない人々でもある。
「厄介ごとが増えるばかりだ」
それは自分だけのことではない。
エルグラード王太子にとっても同じ。
「幸運には頼れない」
空色の瞳が見つめるのは黒い空。
月明かりは頼りない。
まるで月の力が弱っているかのようだった。
「太陽か。だから何だ? 夜は照らせない」
そして。
「その光は美しい月を隠してしまう。邪魔だ」
それがアスター・デュシエルという名前を持つ者の本音だった。





