1335 温かい心
十四時を過ぎた。
地区会館における主力は国軍関係者だったせいか、食事を作るのも配るのも早かった。
「王太子殿下に申し上げます。十四時を過ぎました。予定されていたスープの配布数をそろそろ越えそうです」
トロイが報告すると、クオンは腕時計で時間を確認した。
「早いな?」
「はい。調理にかかる時間が予定よりも短く、配布も予想以上に順調でした」
「パンはまだあるのだろう?」
「はい。スープにつきましてはすでに現場の方で終了見込みの通達を行い、列にいる人々にもパンだけになる可能性を伝えています。この分ですと、パンの配布も予定時刻前に終了になるかと」
「そうか」
「では、失礼いたします」
トロイは一礼して下がろうとした。
「待て」
クオンが呼び止めた。
「当日の進行状況について、予想と実際の時間の差異を確認できるよう書き留めてあるか?」
「はい。私に報告があった時刻を手帳の方に記しました。現場の各責任者にも、報告書に記すための時間を確認して書き留めるよう指示を出しています」
「チャリティーハウスの方はどうだ? 混んでいるのか?」
トロイは確認していなかった。
配布が終了する頃、片付け作業に入ってからチャリティーハウスの状況を確認するつもりだった。
「これから確認します。進行状況の違いを比較する予定です」
「去年はチャリティーハウスだけだった。そのせいでチャリティーハウスのほうに想定以上の人数が集まっている可能性がある」
その可能性は大いにあるとトロイも思っていた。
「急いで確認させろ。進行が遅いようであれば支援しなければならない」
「ただちに。失礼いたします」
トロイは急いで指示を出しに行こうとした。
ところが。
「待て」
またクオンに呼び止められた。
「急ぎたい気持ちはわかる。だが、他に何かないか確認すべきだろう。自分のしたいことや言われたことだけをするだけでは評価されない」
トロイは瞬時に固まった。
「申し訳ありません。何か他にありますでしょうか?」
「配布が終わると片付け作業に入るはずだ。だが、最後のほうにスープを受け取った者はこれから飲むことになる。配布が終わったからといって、すぐに片付け作業に入るのではなく、まだ配布が終わっていないところを手伝うよう指示を出せ。基本的には全ての調理と配布が終わってから片付けに入る」
全ての調理と配布が終わってから……。
もちろん、それでもいい。予定よりも早く進行しているだけに時間的な余裕がある。
しかし、配布しながら片付け作業も同時にした方が効率的には良いのではないかとトロイは思った。
「トロイ、王太子殿下の言う通りにしないといけないよ? 閉店間際に片付けを始めるのは店側から見れば当然だ。でも、ここは店じゃない。商業行為をしているわけでもない。慈善活動だ。その違いがわかる?」
「……無償の行為です」
有料ではない。金を取らないとトロイは思った。
「そうだ。でも、スープやパンだけじゃない。優しさ、愛もまた無償で配っている」
トロイはハッとした。
「食事を渡した相手がいかに喜ぶか、嫌な気分や急かされるような気分にならないかを優先するのが大事だってこと。時間に余裕があるなら、余計に片付けは後回しだ。ゆっくり食べていけばいい。食べ終わった後も、ベンチで足を休めていけばいいと声をかけるように指示を出して。わかった?」
ヘンデルが追加の指示を出した。
「わかりました。では、指示を出してきます」
トロイは一礼すると素早くその場を立ち去った。
「若いなあ」
ヘンデルは苦笑した。
またしても、他に何かないかをトロイは確認し忘れた。
一人につき一つの指示とは限らない。
そして、素早さや効率だけが全てでもない。
慈善活動において最も重要なのは、相手を尊重すること。そして、それを示す配慮や確認を怠らないことだった。
「まあ、もっと勉強させないとね?」
ヘンデルはそう言ったあと、クオンが自分のほうを全く見ていないことに気づいた。
「クオン、何かある?」
「良い出来だと思った」
「何が?」
「公共トイレだ」
「ああ、そうだね。トイレに見えないぐらい立派だ」
公共トイレにはさまざまな案が出ていた。
費用を少なくするにはできるだけ簡素にした方いい。
しかし、クオンは王都で最も立派な公共トイレにするよう命じた。
それは贅を尽くしたものにするということではない。
最新の技術を導入することで利便性と衛生面を考慮、永続的に維持でき、人々に喜ばれる施設にするということだった。
「福祉特区が整備されるほど、居住者も地区に出入りする人々も増える。屋内施設を利用することが難しい人々にとって、公共トイレは不可欠だよね」
福祉特区には孤児院にも給食施設、学校などといった様々な施設ができる予定だが、誰でも自由に出入りすることができる施設ばかりではない。
安全面や衛生面を考慮し、関係者以外の立ち入りを禁じる施設も多い。
だからこそ、運送業者や馬車業者、福祉特区の見学者や観光客のような人々であっても利用できるトイレが必要だった。
「あれがトイレだと知った者は驚くだろう。使ってみたくもなるはずだ」
「福祉特区の名所というか、観光地になりそうだ」
「福祉特区は税金で運営される施設ばかりだ。視察や観光による副収入があれば、財務の負担を軽減させることができる。インフラの整備と拡充は重要だが、維持にも金がかかる。熟考しなければならない」
「ここには地区会館ができるよね? 屋内で大きなイベントを開催できるようにするためだけど、このままの状態でもいいかもしれないねえ?」
野外だからこその自由度があり、イベントに応じた工夫も可能になる。
天候の影響を受けてしまうのはあるが、今回の炊き出しによって寒さの克服については可能だとヘンデルは思った。
「ここに来たことで、福祉特区についてより考えやすくなった。計画を変更したほうがいいこともあるだろう」
「俺も同じ。やっぱり現地を見るのは大事だよね!」
「地区会館の計画は遅れているだけに、更地のまま一年間は様子を見る。季節の変化による現地情報を集め、建物についての最終判断をするのはどうだ?」
「それが良さそう。あれこれ作るにしても一気には無理だし、優先度もあるしさ」
ヘンデルもクオンの判断が適切だと思った。
「良かったね。福祉特区に来ることができて」
「非常によかった」
福祉特区はクオン自身が決めた福祉政策における大計画だけに、自分の目で確かめに行きたかった。
それがリーナのおかげで予想以上に早く実現した。
「王太子としてもヴェリオール大公としてもより励まなければならない。今年は残りわずかだが、この催しが人々の心を温めてくれるだろう」
「俺の心と体も温まったよ。スープが美味しかった」
「そうだな」
クオンもヘンデルも配布されているのと同じスープとパンを昼食として食べていた。
「俺は貧民じゃない。主催者側とも言いにくい。クオンにくっついて来ただけだ。でもさ、来年もこの炊き出しがあったらいいなあって思った。そう思う人々が沢山いる。間違いないよ」
「私も同じ気持ちだ」
リーナ主催の炊き出しは、温かいスープを人々に配った。
寒いからこそ、その温かさを喜ばない者はいない。
そして、温かさの価値を知るのは心の温かさ、優しさを知ることにつながっていた。
「また来年も炊き出しができるよう私がリーナを支える」
「妻を支える最強の夫だからね!」
クオンもヘンデルも笑みを浮かべる。
心からの笑みもまた、この炊き出しで多くの人々に共通するものだった。
翌日。
ヴェリオール大公妃リーナが公式に主催した炊き出しが大成功に終わったことを、王都で発行される新聞が大々的に報道した。
通常、このようなイベントは食事や支援物資を用意し、それを来た人々に配るという単純な内容になる。
しかし、リーナの炊き出しは違った。
将来を担う子どもたちの教育や慈善活動の関係者、興味を持つ人々が勉強する機会にもなった。
福祉面だけでなく教育面や道徳面においても寄与することになり、王族妃が公務として行うイベントに相応しいと大絶賛された。





