1327 ドキドキの移動
王太子夫妻と王子の茶会は後宮の月光宮で行われる。
この決定に驚く人々は多かった。
昨年は後宮で初めて王太子夫妻による茶会が開かれた。
王族は王宮で開くのが慣例で、それを覆すものだった。
王太子夫妻の茶会は大好評かつ高評価だったため、次の年もまた同じように後宮で開かれるかもしれないと思った人々がいた。
だが、場所が月光宮になること、弟王子たちも一緒になるとは思っていなかった。
「楽しみだねえ」
馬車の移動中、雰囲気をほぐすためにヘンデルはそう言った。
「ずっと忙しかったから、茶会のことを気にする余裕がなかった」
聖夜の茶会は王太子が私的に開くだけに、プライベートを担当するヘンデルが茶会について考えなければならない。
しかし、ヘンデルは王都政の担当者になったせいで猛烈に忙しかった。
クオンがリーナに茶会の件を一任したのは、クオンの執務の都合だけでなく、ヘンデルの仕事を減らすためでもあった。
「今年は久しぶりに純粋な招待者として楽しめそうだなあ」
ヘンデルは今年の茶会に全く関わっていない。
茶会についてはリーナに任せるよう言われていた。
「僕も同じ」
そう答えたのは同乗者のシャペル。
「エゼルバードの茶会の予算のことで必ず担当者になっていた。でも、今年はリーナ様にお任せでいいって」
王太子夫妻と合同だけに、どれほど経費がかかっても王太子がなんとかしてくれる。
節約志向のリーナが莫大な経費をかけるわけもなく、あとで請求された分を払うだけでいい。
シャペルも財務書類の対応や作成に専念してればいいと言われていた。
「ベルは知っているよね? どんな感じ?」
「茶会のことは担当者ではないからよく知らないのよね」
ベルは正直に白状した。
「買物部の売り上げがすごくて、書類作りで手いっぱい! カミーラがいないせいで泣きそうだったわ!」
ベルは隣に座るシャペルに顔を向けた。
「頼りになる恋人がいるのも、ヴェリオール大公妃付きなのも本当に助かったわ!」
「そう言ってくれると嬉しい」
「シャペルに手伝わせたな?」
「ヴェリオール大公妃付きだもの! おかしくないわ!」
「まあ、僕も使える者は使ったけれどね」
シャペルはシャペルで軽食課にいる友人の計算係を活用していた。
「皆様、大変そうです。でも、今日だけはさすがにお休みですわね」
四人目の同乗者はメロディ。
元々メロディはラブの馬車に乗せてもらうつもりだった。
しかし、馬車乗り場が混雑しないようできるだけ身内や知り合いで相乗りするようにという通達により、ラブはセブンの馬車に乗ることになった。
ラブはメロディも乗せてくれるように頼んだが、セブンはすでにパスカルとユーウェインを乗せる約束をしていたために却下された。
メロディはシャペルの馬車に乗るベルと一緒に乗ればいいということでセブンが確認することになったが、シャペルとベルはヘンデルの馬車に乗ることになっていたため、メロディも一緒に乗せてもらうことになった。
「公私の区別がつきにくいからなあ。休みって感じはあんましない」
「でも、きっと今日は楽しめるわよ! リーナ様がどんな茶会を考えたか気になって仕方がないわ!」
「そうですね!」
ベルもメロディも、リーナに一任された茶会の内容が気になって仕方がなかった。
「会場が月光宮だよ? カフェでお茶会をするようなものだよ」
「たぶんそんな気がする」
「でも、月光の間が茶会場でしょう?」
「人数が多いから他のフロアも使うって。足が痛いから座りたいなあ」
ヘンデルは朝から仕事であちこち行かなければならず、立食形式の昼食会では心の中で泣いていた。
「催事は着席式のしか出たくない。立ちっぱなしは疲れる」
「お兄様も歳を取ったってことよね」
「妹なのに辛口……」
「妹だから辛口なのよ」
会話をしているうちに馬車が月光宮に到着した。
「せっかくクオンが馬車乗り場を作ったのになあ」
クオンが新しく作った馬車乗り場は、王宮と後宮と結ぶ連絡通路の後宮寄りにある。
最も近いのは太陽宮の正面出入口。真逆の位置にある月光宮へ行くためには遠すぎて使えない。
月光宮の出入口の一つは太陽宮に直結しており、もう一方は水星宮や木星宮との切り離しによって作り直された場所にある。
しかし、多くの馬車を同時にさばくことができるようにはなっていない。
そこでカフェのテラス席がある場所も一時的な馬車乗り場にすることで、到着した馬車が詰まりにくくなるよう工夫されていた。
「晴れていてよかったわ。雨だと屋根がないものね」
「そうですね。舗装されていない場所に降りると、ドレスが汚れてしまうかもしれません」
靴は仕方がないと割り切れるが、ドレスの裾が汚れるのは貴族の女性にとって避けたいことだった。
「新しい馬車乗り場が屋根付き舗装付きだから、余計にこっちがなあ」
「月光宮にも屋根付き舗装付きの馬車乗り場がほしくなるね」
四人の馬車が到着したのは、かつて木星宮とつながっていた場所だった。
「火星宮の方から人が来ている」
建物の出入口は二つ。
月光宮の出入口のすぐ隣にある火星宮の出入口から出て来た人が、月光宮の出入口から中に入る列に並んでいた。
「なんでだ?」
「火星宮から人が来るせいで列が長いわ」
「カフェのテラスから中に入った方が良かったのかもしれませんわね」
「というか、カフェの方から来ているのかな?」
シャペルはそんな気がした。
「でないと、火星宮の出入口から出てくるのはおかしいよね?」
月光宮と火星宮は二つの宮殿が並んでいるというよりも、月光宮から増築して作られた場所が火星宮という感じになっている。
建物の中で行き来できるようにつながっているため、わざわざ外に出てから月光宮に入り直す必要はないはずだった。
「階段が混雑しているからとか?」
全員がすぐに階段へ向かうと詰まりやすくなるため、あえて遠回りをするようなルート設定をしている可能性があった。
「カフェからこっちへ来るには長い廊下がある。それをまた戻るように歩かせるのは大変だよ」
「昼食会で立ちっぱなしだったから、足が疲れている人が多そうなのに」
「まあ、行くか」
出入口の扉の側には警備担当者がいて案内をしていた。
「火星宮も月光宮も一方通行です!」
「月光宮の方から宮殿に入ってください!」
「火星宮の方からは中に入れません! 出てくるだけです!」
「やっぱり。月光宮の方からしか入れないな」
「そのようですわね」
四人は列に並んだ。
ベルとシャペルは恋人同士で並ぶため、必然的にヘンデルとメロディが横並びになった。
「俺みたいなおじさんと一緒でごめんね?」
「ご一緒できて光栄ですわ! 社交デビューの時にはエスコートしていただきましたし、夢のような一日でしたわ!」
「一日だけだからだよ」
「思い出としては一生ですわ!」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、俺の後輩に結構いい感じのやつがいる。今度紹介するよ」
「遠慮させていただきます。私の理想はとても高いので、ご迷惑をかけるだけですもの」
「結構進みが早い。それほど待たなくて済むかも」
シャペルが予想した。
「お兄様、無駄話をしていると間が空いてしまうわ。割り込まれるわよ?」
「俺の前に割り込むやつは相当な度胸がある。それはそれで誰なのか知りたい」
「確かにそうですわね」
しばらくすると、先に並んだベルとシャペルが月光宮の中に入った。
「人台車があるわ!」
「トロッコみたいだね?」
月光宮にできた新しい出入口から入ると長い廊下がある。
そこには人工的な坂が作られており、箱型の人台車に乗って一気に滑り降りる移動装置が設置されていた。
「一台につき一名が乗れます!」
「必ず座ってお乗りください!」
係員が叫んでいた。
「さすがリーナ様だわ! 乗り物に乗れば、長い廊下を歩かなくて済むわね!」
「そうだね!」
長い廊下を歩くと疲れる。時間もかかる。
そこで廊下に人工的な坂を設置。箱型の人台車に乗って滑り降りることで、迅速な移動をうながしているようだった。
「乗り物のご利用は大変な人気で混雑しています! お待ちいただくことになりますのでご了承ください!」
「歩いて会場に向かう場合は、右側の通路をご利用ください!」
「左側の通路は関係者が人台車を用意するのに使います。他の方は使えません!」
「シャペル、乗り物で行くわよね?」
「もちろんだよ!」
ベルとシャペルは喜々として乗り物を利用する列へ並んだ。
そもそも、誰も歩いて行こうとはしていない。
全員が箱型の人台車に乗る方を選択していた。
「構造は単純というか、長い滑り台だね?」
「そうね。箱型人台車で滑り降りるだけというか」
「車輪をはめ込む溝がある。コースを外れないようにしているわけか」
「側壁もあるから安心よね」
「でも、やけに滑りがいいな。溝の素材が滑りやすいものになっているのかな?」
「ロウでも塗っているのかもね?」
「油な気がする」
ベルとシャペルは順番を待つ間に乗り物について考察した。
そして、ついに順番が来た。
シャペルが箱型人台車に乗って座ると、安全バーがはめ込まれた。
「こちらが手すりになっていますので、両手で掴んでください。走行中は危険ですので絶対に立たないでください」
「わかった」
「終点の方にいる係員が安全な場所に誘導します。そのあとで降りてください」
「途中にも臨時対応する係員がいますのでご安心ください。後ろから乗り物がぶつかるようなことがあったとしても、座ったまま手すりを掴んでいれば怪我はしません」
前に出発した箱型人台車との距離が開くよう待つことしばし。
「では、押します!」
「いってらっしゃいませ!」
係員が勢いよく押すと、シャペルを乗せた箱型人台車は一気に坂を滑り降りていく。
予想を上回る速度に、シャペルは興奮した。
「すごい! 面白い!」
長い廊下を進むことでだんだんと速度が落ちていく。
最後は安全な位置まで係員が誘導してくれた。
「こちらが終点です」
降りたシャペルが少し離れたところで待っていると、ベルを乗せた箱型人台車が到着した。
「もう終わり? あっという間だわ!」
「ご利用ありがとうございました。こちらで降りていただきます」
ベルは箱型人台車から降りると、自分を待っていてくれたシャペルのところへ駆け寄った。
「このあと、どうするの?」
「階段を上がって茶会場の方へどうぞ。まだ時間があるので、もう一度乗りたい場合は火星宮の廊下へどうぞ。外に向かう箱型人台車があります」
係員の説明を聞いたベルとシャペルは理解した。
月光宮と火星宮に並行してある長い廊下を活用し、一方通行の乗り物を設置。
茶会へ行く時と帰る時にそれぞれ使用できるようにした。
乗り物を利用すれば迅速に移動できる。楽しい。足も疲れにくい。
「それで火星宮につながっているドアから箱型人台車がどんどん出て来たわけね」
終点に到着した箱型人台車を、火星宮の廊下にある坂で送り返している。
「火星宮の出入口から出て来る人がいるのもわかった」
もう一度乗りたいと思った者が火星宮の廊下にある箱型人台車を利用して終点に到着。一旦、歩いて外に出たあと、月光宮からまた入り直している。
「火星宮に行くわよ!」
「当然だよ!」
ベルとシャペルは火星宮の廊下へ向かった。
「メロディはもう一回これに乗りたい?」
ヘンデルは自分のあとに箱型人台車に乗って到着したメロディに尋ねた。
「乗りたいですわ! とっても楽しいです!」
「そう言われる気がした。でも、茶会へ行くには二回乗ることになるからね?」
「往復ですわね。大丈夫です! 列に並びますわ!」
「元気だなあ……若いっていいよね」
ヘンデルはメロディに手を差し出す。
「俺ももう一回乗りたいなあ。一緒に行こうか」
「ヘンデル様はお疲れですよね? 無理をされなくても大丈夫ですわ」
「変なやつに声をかけられると面倒だよ? メロディは俺と行くべきだね」
ヘンデルはメロディの手を取ると火星宮へ向かって歩き始めた。
恋人つなぎ……!!!
メロディの心臓は箱型人台車に乗っている時よりもドキドキしていた。





