1326 後宮統括と義父
王家主催の聖夜の昼食会が終了した。
王家の全員が退出すると、宰相ラグエルド・アンダリアの視線はレーベルオード伯爵に向けられた。
「レーベルオード伯爵」
「私への声かけはあとにしてほしかった」
レーベルオード伯爵の視線の先にラグエルドが視線を変えると、自分を睨んでいる妻プルーデンスの視線とぶつかった。
「一番に声をかける相手は心から愛する妻でしょう?」
「このあとの予定を考えたからだ」
ラグエルドとレーベルオード伯爵は国王の茶会に招待されている。
二人は王族エリアを通って後宮に行くことができる許可を持っているが、舞踏の間から歩いて後宮の大宴の間に行くのは非常に遠く時間がかかる。
そこで舞踏の間の側に臨時で用意された特別馬車乗り場を利用し、一緒の馬車で後宮に向かうことになっていた。
「後宮に行ってくる」
「気をつけてね?」
「大丈夫だ。護衛もいる」
「そうね。レーベルオードがいるものね」
プルーデンスはレーベルオード伯爵を見て微笑んだ。
「夫を守って頂戴。見捨てたら許さないわよ?」
「わかっている」
「プルーデンスも時間だ。第一側妃の茶会を楽しんでくればいい」
「そのつもりよ」
プルーデンスはマルロー侯爵夫人や取り巻きを連れて音楽室へ向かった。
ラグエルドは一息つくと、レーベルオード伯爵に顔を向けた。
「移動する」
「わかった」
二人は特別馬車乗り場に向かった。
ラグエルドとレーベルオード伯爵を載せた馬車が後宮の新しい馬車乗り場に到着した。
「ここか」
「便利になった」
後宮と王宮はつながっているが、連絡通路があるのは王族エリア。
ラグエルドもレーベルオード伯爵も連絡通路を利用できる立場だが、職場から延々と歩いて行くのは時間的にも労力的にも大変だった。
しかし、連絡通路の途中に馬車乗り場が作られたおかげで、馬車を使って後宮に行きやすくなった。
二人は正面玄関から後宮へ入っていく。
大きなホールを抜けて大廊下へ入ると、改装されたばかりの後宮購買部があった。
「宮殿には見えない。最高級品を扱う店のようだ」
「随分印象が変わった。改装で美しくなった」
「壁がない分、広くなったとは聞いていた」
「明るくなった」
購買部の側を通過したあとに見えて来るのは洒落た店舗が並ぶ場所。
リーナが新設した買物部だった。
「王宮購買部と全然違う。雑然としていない」
「非常に洒落ている。女性が好みそうな感じだ」
王太子がリーナのために行った改装だけに、かなりの配慮があるのは明らかだった。
そのまま大廊下を奥へ進み、大宴の間を目指す。
大宴の間は緑色のカーテンに新調されているだけだが、それだけでも以前とは違う印象になっているだろうと二人は思っていた。
「大変申し訳ありません。会場内の最終確認をしています。それが終わってからのご入場になります」
「どの程度かかるのかは確認中の騎士次第です。まだ時間がありますので、よろしければ購買部や買物部の店舗をご利用ください」
大宴の間の扉の前には後宮警備隊の警備担当者がいおり、中に入れないことがわかった。
「戻るか?」
「どちらでもいい」
「だったら待つ」
「それでしたら一列でお並びください。扉が開いたあとは一列でご入場いただきます」
「一人ずつ入るということか? なぜだ?」
「大扉なのに、少ししか開けないのか?」
違和感があった。
「そのような趣向になっております」
「一列に並ばせて入れるように言われています」
「護衛を先頭にしてもいいか?」
「えっ?」
扉の警備担当者は驚いた。
「中に入れるのは招待客の方だけですが?」
「護衛の方も招待状をお持ちということでしょうか?」
扉の警備担当者は双剣装備のレーベルオード伯爵を護衛だと勘違いした。
「我々が護衛だ」
後方にいたラグエルドの護衛を務める騎士とレーベルオード伯爵の護衛を務める騎士が前に出た。
「任務の都合上、宰相閣下を一人で中に入れるわけにはいかない」
「レーベルオード伯爵も同じだ」
後宮警備隊の警備担当者は、自分たちの前にいるのがいかにすごい人物なのかを理解した。
「わかります。ですが、招待客だけをここから中に入れるよう言われておりまして」
「騎士、侍従や侍女は別の扉から入れるようにと言われています」
扉の警備担当者は困ってしまった。
「大宴の間に入るだけだろう?」
「そうなのですが……言っていいのでしょうか?」
「どうだろう……守秘義務対象のような?」
「国王陛下には護衛がつく。その騎士もここから入れないということか?」
「今、先遣者が中にいて、安全かどうかを確認中です」
「確認後にここへ来ますので、その時に確認します。少々お待ちいただけないでしょうか?」
内側から扉が開いた。
出て来たのは国王騎士団の騎士だった。
「もう来たのか。随分早かったな?」
国王騎士団の騎士はラグエルドの護衛を務める騎士を見て声をかけた。
「特別馬車乗り場を使ったからだ。新設された馬車乗り場のおかげでもある」
「騎士付きの馬車なら検問で止められないからな」
「ここから護衛は入れないのか? 我々は側を離れるわけにはいかない」
レーベルオード伯爵の護衛を務める騎士が伝えた。
「王家の者や外戚の護衛は大丈夫だ。ここから入れる。但し、先頭で入った者が一番楽しめるのは間違いない。どうするかは宰相閣下とレーベルオード伯爵に判断していただくしかない」
「楽しめる?」
ラグエルドは眉をひそめた。
「先頭だと何かあるのか?」
「あります。宰相閣下さえよろしければ、先頭でお入りください。そのあとに続くのはレーベルオード伯爵がいいのではないかと。たった今最終確認をしましたので、中は安全です。護衛はそのあとでも別の出入口からでも問題はありません。大宴の間に入るだけですので」
「まあ、そうだが」
ラグエルドは怪しいと感じた。
「レーベルオード伯爵、先に入ってくれないか? 双剣装備だろう?」
「構わない」
「では、レーベルオード伯爵からお入りください。赤い絨毯がありますので、その上を歩いてお進みください」
レーベルオード伯爵は大宴の間に入った。
大広間の光景が見えるはずだというのに、高いレンガの壁があった。
床には赤く細長い絨毯の小道。
そして、レンガの壁の向こうには、
森がある……。
大きな木々が立ち並んでおり、草花が生えているのが見えた。
「森?」
レーベルオード伯爵のあとからラグエルドが入って来た。
「だが、もっと暗い方がいい。全てが本物らしく見える」
「確かに」
レーベルオード伯爵もそう思った。
驚くのは一瞬。手前の方は本物だが、奥の方は舞台セットのような作り物だとわかってしまった。
「さっきの騎士を呼べ!」
ラグエルドは後ろから入って来た護衛の騎士にそう言った。
「何か?」
国王騎士団の騎士がすぐに扉から顔を出した。
「部屋が明るい。最終確認のためにカーテンを開けたのではないか? 閉め忘れている気がするのだが?」
「ああ!」
国王騎士団の騎士は思い出した。
「申し訳ありません! 薄暗いまま安全確認をするわけにはいかなかったので……すぐにカーテンを閉めます!」
国王騎士団の騎士が急いで森の方へ走っていった。
「最初が我々で良かった」
「そうだな。せっかくの趣向が台無しになるところだった」
しばらくすると、一気に部屋が暗くなった。
カーテンが閉められたのは言わずもがな。
森の風景は全てが本物らしく見えるように変化した。
「全然違う」
「この方がいい」
薄暗くなったが、真っ暗ではない。程よい感じだった。
赤い絨毯もあるだけに、どこを歩いて進めばいいのかもわかりやすかった。
「行くぞ」
「先頭は私のはずだが?」
先に行こうとするラグエルドにレーベルオード伯爵が声をかけた。
「また何か問題があると困る。後宮統括として先に確認する。我々の最終確認が終わるまで、他の招待者は入れるな! 国王陛下とヴェリオール大公妃の趣向を無駄にするような失態は許されない!」
「わかりました」
すぐに護衛の一人が扉の前にいる警備担当者に伝えた。
急遽、宰相兼後宮統括のラグエルドとヴェリオール大公妃の義父レーベルオード伯爵が最終確認をすることになった。
二人は問題点がないかに注意しながら薄暗い森の中を進み始めた。
「すでに素晴らしい趣向であることはわかっているが、カーテンが惜しかった。光の加減で印象が変わってしまう」
「そうだな。意外と長いようだ」
すぐに森の風景が終わることはなかった。
「細い絨毯で歩く場所を指定し、曲がりくねったコースにすることで距離を稼いでいる。大宴の間は茶会場として広すぎる。空きスペースを森のように飾り付け、茶会場へ行くまでを楽しめるようにしたのだろう」
ラグエルドは感心しながら推測を述べた。
「分析されると臨場感が減ってしまうのだが?」
「臨場感は最初のカーテンで失われた。あれがなければ、本物の森に迷い込んだかのような気分のままでいられた」
「否定はしない」
「優先すべきは最終確認だ。がっかりするのは我々だけで十分だ!」
「同じ気持ちだ」
やがて、二人は蔦が絡まったレンガの壁と古ぼけた木製の扉に辿り着いた。
「なんとなくだが、ここで終わりではないか?」
「そんな気がする」
「正直に言う。扉を開けたくない。現実に戻ってしまう気がする」
ラグエルドの気持ちをレーベルオード伯爵は理解することができた。
「わかる。だが、先に進まなければ、最終確認が終わらない」
「そうだな」
ラグエルドは頷いた。
「だが、一人が開けると、もう一人はこの扉を開ける楽しみがなくなってしまう」
「一人ずつ扉を開けて入ればいい。中が見えないよう扉をすぐに閉めれば大丈夫だろう」
「先に入る」
「わかった」
ラグエルドが扉を少しだけ開けて入り、すぐに閉めた。
少し間を置き、レーベルオード伯爵もドアを開けて中に入る。
予想通り。大宴の間の光景がある。
茶会場にふさわしい豪華なダイニングテーブルのセットが見えた。
「どうだ?」
「やはり一人ずつドアを開けて入ったほうがいい。一列ではなく一名ずつ、希望によっては二名ずつ中に入れるよう後宮統括として指示を出したらどうだ?」
「そうしよう」
「時間に余裕があるうちは、前に入った者が少し進むのを待ってから次の者を入れる。茶会の時間が迫って来たら、遅れないよう一列で招待客を入れればいい」
「悪いが、今聞いたことを伝えてくれないだろうか?」
「では、そのように」
茶会場にいた侍従が伝令役として向かった。
「それにしても」
ラグエルドはため息をついた。
「茶会はこれからだというのに、すでに楽しんでしまった」
「あまりにも予想外だった」
森と中を進む赤い絨毯の小道は、ただの空きスペースをなくすための飾りつけでもなければ茶会場へ行くまでに通るだけのものでもない。
それ自体が驚きと興奮を味わえる特別な催しになっていた。
「リーナ・リリーナ・レーベルオードの手腕は確かだ。国王の茶会場にたどり着くまでに、招待者はそのことを実感するだろう」
「そう言ってもらえて嬉しい」
レーベルオード伯爵は鉄壁の無表情を崩して笑みを浮かべた。





